2009年3月9日月曜日

パゾリーニによるマタイ福音書1~32

パゾリーニによるマタイ福音書 愛洲昶・編 花野秀男訳 絵・ ピエーロ・デッラ・フランチェースカ、ジォット、カラバッジョほか

               
シナリオ

          マタイによる福音書

 ここに出版されたシナリオは、最初のフィルム撮りと対応している。つまり、このプロジェクトが、その後映画化されたものとは異なる芸術的制作規模を想定していた折に撮られた、最初のフィルムと対応している。だからといって──それゆえに──本書の文学的意義、ドキュメントとしての価値が些かも減じるものではない。



            クレジット

白地に、ボドニー活字で徴されたクレジットタイトル。
最初の一行、マタイによる福音書、に被さるように、画面外からよく徹る澄んだ(フィルム全体を通して預言者の節を「唱える」のと同じ声)。

 画面外の声 アブラハムの子、ダヴィデの子、イエス・キリストの系譜……

 声はかぼそくなりながら中景に退き、やがて、ついには辛うじて聞き取れるばかりの囁きとなる。最後にゆっくりと前景に戻ってきて、第一部タイトルの下では、始めと同じようによく徹る澄んだ声が響きわたる。
 ……それゆえなべて世を経ること、アブラハムよりダヴィデまで十四代、ダヴィデよりバビロンに移されるまで十四代、バビロン捕囚よりキリストまで十四代である。




 1  マリアの家。屋内 昼(ナザレ)

マリアの全身撮影。彼女はうら若い乙女なのに、眼差しだけは深みのある大人だ。その眸に、敗れた者の、苦しみが煌めく。農民世界で体験される苦しみ(ぼくはこうした苦しみを、戦時中、フリウーリの娘たちのいくたりかの裡に見た。それはあらかじめ形成されていたかのような苦しみで、慎ましいがゆえに、宿命的に入ってゆく状態であった)。
彼女はブルネットのヘブライ人少女で、もちろん、いわゆる「民衆出の」娘だ。他の何千もの娘と同じく、色褪せた衣裳を身に纏い、「血色のよい」肌に、生ける慎みにほかならぬおのれの宿命を負う乙女である。けれども彼女の裡には、何か王にも見紛うものがある。そして、それゆえにこそ、ぼくはサンセポールクロのピエーロ・デッラ・フランチェースカ作お孕みの聖母マリア、うら若い乙女のまま母となったあの少女、母親=少女、のことを想う。奇蹟の懐胎ゆえに、微かにぷくんと膨れたお腹が、苦しみを秘めて口を噤むあの乙女に、聖なる大いさを授けている。
ヨセフの最大接写。三十歳そこそこの職人。端整で素朴、丈夫なありふれた男。労働や正直で犠牲的な暮らしについて、素朴でやや窮屈な考え方を曲げぬ片田舎の家族のありきたりの「長男」。
いまでは平生の暮らしの埒外の何事かが起こって、彼はそのことに「躓か」ざるをえないけど、彼は「正しい人」、つまりおのれの「〈神〉への畏れ」において男らしく振舞う、分別のある男だ。いま彼がマリアに投げかける眼差しは、「密かに縁を切る」決心を告げたばかりの者の眼差しである。
マリアの最大接写。悲しみと湧きでる涙に抗いながらも、幼子の至高の気高さに包まれて、彼女は屈していない。
ヨセフの最大接写。いまでは悲しみにくれた沈黙が涙いろに染まってゆく。けれども若い男は勇を鼓して、目を伏せると背を向けて、田舎家の戸口から立ち去ってゆく。
マリアの全身撮影。あの小さく迫り出たお腹を抱えて、その苦しみのなかで、ひとりぽっちだけれど、そのお腹が山のプロフィルの大いさを彼女に帯びさせている。ひとりぽっち。
 (『本と恋の流離譚』中では「3 パゾリーニによるマタイ福音書」 )







 2  マリアの家。屋外 昼(ナザレ)


マリアの家から出てくるヨセフ、その全身撮影。ついで、遠ざかってゆく彼、そのパン撮影。職人の若者が──もう少年ではなくて、新しい家長、父親の、男らしさが顔にくっきりと刻まれている──「許嫁」の家から遠ざかって、鄙びた世界へと踏みだしてゆく(昼下がりの、悲しいばかりに強烈な太陽が、眠りにも似て、事物のうえに照りつける)。
進みゆくヨセフ、その全身撮影。 野菜畑の低い壁と、無花果の木立のあいだをゆく。地中海の田舎の世界、その真昼のしめやかな平安のなかへ。
一本の樹木(オリーブの樹か?)の木陰に横になるヨセフ、その全身撮影。あちらの下で、一筋の木陰のなかに、臥せる彼の身体のうえに長い休止、その全身撮影
小鳥たちの囀り、遠くで呼び交わす人びとの声……手桶の軋る音…… 目を閉じるや、たちまち若者らしい刺のある眠りに落ち込んだヨセフ、その最大接写──汗にまみれた歪んだ顔や、喘ぎにも似た荒い寝息が苦しみの痕を留めている。
すると唐突に、ありとある物音が途絶えてしまう。底無しの静けさが、今際の際にも似て、リバースショットで、すっかり光と静寂に浸された風景のうえに降りてくる。 ヨセフに目を凝らして、彼に告げる〈主の天使〉、その全身撮影

主の天使 ダヴィデの子、ヨセフよ、躊躇うことなく、妻マリアを迎えいれよ。彼女の胎の子は〈聖霊〉によって宿ったのだ。彼女は男の子を産む。その子をイエスと名づけよ。彼はまことにおのれの民をその罪から救うからだ。

物音や人の声がまた聞こえだして、さらに、一羽の小鳥の囀る歌声がひときわ高く大気に震えわたる。
目を見開くなり、唖然として眼前の光景に見入るヨセフ、その最大接写。あの光り溢れる、あの物音に満ちた、宏大な虚ろな風景──束の間の存在の甘美な徴し、永遠の徴し。そしてこうした風景のうえに、〈預言の言葉〉が高らかに響きわたる(これに伴ってつねに繰り返されるモチーフ、バッハの楽曲とともに)。

バッハの楽曲「プロフェーティカ」。

預言の言葉 見よ、〈乙女〉が身籠もって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる、「〈神〉はわれらと共に」という意味である。

起きあがるヨセフ、その全身撮影。ついで、先刻歩いてきたばかりの道程を引き返す彼、そのパン撮影。男はマリアの家めざして戻ってゆく。
マリアの全身撮影。いまでは彼女は庭先に出て、貧しい人びとの娘の慎ましい家事仕事に余念がない。
黙って彼女に近寄るヨセフ、その全身撮影
視線を向けるマリア、その最大接写
いまや余すところ無くおのれを照らしだす、底無しの、素朴な微笑みを浮かべながら見つめるヨセフ、その最大接写
彼女もまた、神秘的な、なおも苦しみの混ざった微笑みに、少しずつ次第に照らしだされてゆくマリア、その最大接写

溶暗。
……アブラハムの子、ダヴィデの子イエス・キリストの系譜 







……それゆえなべて世を経ること、アブラハムよりダヴィデまで十四代、ダヴィデよりバビロンに移されるまで十四代、バビロン捕囚よりキリストまで十四代である



 3  ヨセフの家屋内 昼 (ベツレヘム)
乳房を吸う幼子を抱くマリア、その全身撮影または半身撮影。このうえなく無垢の母性、しかし「リアリスティック」だ。(つまり、〈幼子を抱くマリア〉のイメージは、磔刑図とともに、彼女の生涯の特徴を最もよく示す、聖画像的イメージとして人に知られたもののひとつだが、ここでは、聖人伝的あるいは先験的に聖なるものが何ひとつこのマリアにあってはならない、という意味でだ。聖母マリアのまわりには現実の品々、貧しい新妻の現実の暮らしの品々が置かれており、そしてそれゆえにこそ感動的だし、ついには聖なるものとなるという事実のなかにこそリアリズムが成り立つのだ)。

溶暗。



 4   エルサレムの町並み。屋外 昼

全景撮影 市場がぼくには見える──オリエントの町の市場が、一九六三年の今日でもまさに見かけるような市場、スークと言うのだろうか、幾世紀もの停滞の奥底に、獣たちや、子供たちや、干からびた泥などの眩暈が蟠っている。あるいは隊商たちの「駅」が見える。黄色い埃のうえの黄色い泥の塊みたいな駱駝たち、古風なターバンを頭に巻いた若者たち、そして現代世界では消滅してしまった用途に充てられた品々などが目につく。
砂塵のなか、炎暑のなかを、年端もゆかぬたくさんの少年たち、乞食や、跛たち、あるいは小動物みたいに最高にしなやかな身ごなしの者たちなどが、いま到着して群衆を掻きわけ掻きわけ進む異国の人びとめざして、走り寄ってゆく。
召使の一団を後ろに従えた、三人の裕福な旅人である。彼らの衣裳には際立って異国風な豪奢さがある。 そして一行のひとりが、土地の者たちを振り返って言う。

三博士のひとり ユダヤ人の王として生まれたお方はどこです? わたしたちは東方でそのお方の星を見たので、拝みにきたのだが。



 5 ヘロデ王の宮殿。屋内 昼
     (ヨルダン)

ヘロデ王の最大接写。「不安を抱いた」王の顔のうえに非常に長い沈黙(オリエントの権力者の太った、残酷な顔。それは、実践性や、おのれの特権は傷つけられないと思う感情などによって置き換えられた、精神性の欠如そのものだ、など)。
黙りこくった二十人ほどの祭司長や律法学者たち、その最大接写。これに被せて、非常に長いパン撮影
ヘロデ王の接写。

ヘロデ王 要するにどこに、〈キリスト〉は生まれるというのだ?

ひとりの祭司長の最大接写。
祭司長 ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう録しています。「ユダの地、ベツレヘムよ──おまえはユダの大きな町のなかで決して最小の町ではない──おまえからまことにひとりの長が現れて──わが民イスラエルの牧者となるからである。」 

 バックに、バッハの「プロフェーティコ」のモチーフが低く流れて、やがて爆発し、そしてすぐに消えてゆく。

急速な溶暗。




 6  ヘロデ王の宮殿。屋外 昼
         (ヨルダン)

ヘロデ王の最大接写王は、まるでたったいま聞きおえたかのように、口を噤んだまま、黙って目をやる……
彼らも待つかのように、黙り込んでいる〈三博士〉、その全身撮影
あたりには、オリエントの王の怠惰な豪奢さのなかに、蛮族風の広間。
ヘロデ王の最大接写

ヘロデ王 行って、幼子のことを詳しく調べ、会ったなら、われに知らせよ。われも行って拝もうほどに。

溶暗。




7  ベツレヘムの街道とヨセフの家。
      夕映え(ヨルダン)

このうえなく強烈な光。
その光に照らしだされつつ、神秘的で楽しげな忘我に浸って、進みゆく東方の三博士、その全身撮影
あの光はいまではヨセフの家──庭先に大工道具やら農具やらの並んだ、大工の見すぼらしい家──から目も眩むばかりにあたりに発しているかのように見える。
ヨセフの家に近寄る三博士の全身撮影。そのうちにも家の近所からは、好奇心にかられて幼い少年たちが跳びだし、はしゃぎながら一行を取り囲む。




 8 ヨセフの家。夕暮れの屋内(ヨルダン)

夕暮れを迎えたヨセフの家の中ではすでに述べた「リアリスティックな母性」の情景がある。マリアの幼子は乳を吸ってはおらず、ちっちゃな手足を盛んに可愛らしく動かしながら、いまは遊んでいる。ヨセフがはその傍らで大工の手仕事に一心に打ち込んでいる。
中へ入る三博士の全身撮影と、戸口に人垣をつくる人びと(近所の人たち、子供たち)の群れがある。 三博士は入るなり跪いて拝むのに、幼子は喜んで小さな足で可愛らしく盛んに宙を蹴っている。あどけなく呆気にとられているマリアと、仕事を中断してしまったヨセフの前で、三博士が幼子を拝む。それから贈り物を土間に置き、恭しく頭を下げて祈っている。

溶暗。




  9  ベツレヘムの街道。 野外 昼
          (ヨルダン)

地中海の宏大な風景のうえに、無花果の木立、オリーヴ林、遠い人の声、羊の群れの啼く声……のうえに、夜明けが訪れる。手桶の軋る音…… 遠くで啼きかわす羊たち……
やがてすべてが不意に静まり返る。測り知れない静けさ。あたりの風景をゆっくりとパン撮影。すると、見よ、〈主の天使〉が街道にすっくと立っている。
ヨセフの家を辞し、帰途につく東方の三博士、その全身撮影、ついでパン撮影。一行が天使の傍らにまでやって来るやいなや、天使が彼らの前に立ちふさがる。そうして一行を先導してゆく。広々とした風景の中を背を向けて遠ざかる彼ら。すると、朝焼けの中、そこかしこからまた物音が立ちのぼり、日々の声々が聞こえてきて、それどころか小鳥の囀りが前にも増して力強く立ちのぼって、再び目を覚ました世界の平安の中でうち震えている。




10   ベツレヘムのヨセフの家。屋内 明け方
               (ヨルダン)

明け方、ベツレヘムのヨセフの家の中、まだ闇と、睡りに浸りきっている。
片隅に、大きく、無言のまま立っている〈主の天使〉、その全身撮影
そこにみな眠っている、マリアと幼子は粗末なベッドに、ヨセフもおのれの寝床に。犬さえ自分の隅っこで寝ている。事物や品々は夜明け前の蒼白さの中に失われている。すると再び目の覚めたばかりの世界の物音が、和らげられて、朧気に届いてくる。
奇蹟みたいな睡りを眠るヨセフ、その最大接写
睡りのなかで彼に告げる〈主の天使〉、その全身撮影

主の天使 起きよ! 幼子とその母親を連れてエジプトに逃れ、わたしが告げるまで彼の地に止まれ。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしている。

溶暗。




  11   ベツレヘムのヨセフの家。野外
           朝(ヨルダン)

さてここに、逃亡の永遠のシーン。慌しく積み重ねられた家財道具、黙って拾いあつめた大切な品々、形見。これから乗って旅する驢馬。溢れんばかりの慈しみをこめて厚く襤褸にくるんだ眠っている幼子。無用の閂をかけた住み慣れた古い家の戸口。そして旅立ち、暇乞い。
家、麦打ち場、動かしがたく、背後に遠ざかってゆく大切な土地よ、あちらではいくどとなく迎えたいつもと変わらぬ朝の静けさ、なのに今日という日はこんなにもむごく別の朝。 

涙をこらえながら、彼らの苦しみの宿命と恩寵の中に慎ましく閉じ籠もって、後ろを振り向く、ヨセフの最大接写、そしてマリアの最大接写。けれどもマリアの眸に湧いた涙の一滴が乾いて、あちらの失われた家を見晴るかす眸の中に、ただ一滴だけいつまでも残っている。

 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が爆発する。

預言者の言葉 エジプトからわれはわが子を呼び出した。



12  ベツレヘムの一帯。野外 昼

          (ヨルダン)


(たけ)り狂って馬を駆るヘロデ王、そのクロースアップ、それに被せてパン撮影
哮り狂って馬を駆る一人の兵士、そのクロースアップ、それに被せてパン撮影
哮り狂って馬を駆る別の兵士、そのクロースアップ、それに被せてパン撮影。

つきまとって離れない、執拗な太鼓の連打音。馬蹄の轟き。喚声。

血に飢えた兵士たちが眼前に迫る、そのクロースアップ、それに被せてパン撮影、この繰り返し(たとえばエイゼンシュテインなどのように「表現主義的な」手法にしたがって、など)

一軒の農家に殺到する兵士の一団、その全身撮影。次つぎに馬から飛び降り、哀れな家に押し入って、泣き叫ぶ女や男たちに追われながら出てくる。兵隊が一人の母親の手から幼子を奪い取って、殺してゆく。
羊の群れの間で羊飼いの群れの子供たちを殺しまくって、同じ残虐行為を繰り返す兵士たちの別の一隊、その全身撮影、などなど。

獣じみた叫び声、苦しみの叫び声。

 溶暗。

そしていまは底知れぬ静寂の中に、殺戮された幼子のいくつもの群れが中庭に、道端に、川原に散らばっている。 一本の木の枝に縛り首になって吊るされている一人の幼子。小麦袋の傍らには首を刎ねられた別の幼子。
註。今次大戦中に、絶滅収容所などで起きた類似の残虐行為を思い起しながら、殺されたいたいけな身体に徴された残虐行為の痕を撮ること、など。)

 ゆっくりと続けて撮られる、こうした死のショットの数々、それらに被せて、絞った音から次第に強く響き渡り、ついに爆発する、バッハの楽曲「プロフェーティカ」。

預言の言葉 声が聞こえた、ラマで激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子たちのことで泣き、慰められようとしない。子たちはもういないからだ。

そして恐ろしい傷口に、引き裂かれた最後のいたいけな幼子のうえに静寂が舞い戻る。

溶暗。




13 ヘロデ王の宮殿。屋内 昼
            (ヨルダン)

王子たち、祭司長たち、律法学者たち、彼らのクロースアップ、それらに被せてゆっくりと長い移動撮影。一同はみな、葬儀の厳粛のなかで、目を凝らす……
死んで、王の寝台のうえに横たわるヘロデ、その全身撮影。

 急速な溶暗。






14  エジプトの地。野外 昼
         (ヨルダン)

臥せて眠っているヨセフ、その全身撮影
天使の訪れる深い睡りの中で、疲れた彼の顔、その顔のクロースアップ──その寝息は呻きにも似て。

 野良仕事に合わせて歌う農夫たちの唄声。やがて不意に歌声が途絶える。

絶対的な静寂の中で、見よ、いまはリバースショットで、ヨセフの前に〈主の天使〉が立っている。

主の天使 起きて、幼子とその母親を連れ、イスラエルの地にゆけ。幼子の命を狙った者どもは死んでしまったから。

睡りの中に神意を聴く驚愕になおも満たされたまま、目を覚ますヨセフ、そのクロースアップ。すると、あたりには、再び物音と人の声がする。

歌う農夫たちの唄声。 

 起きあがるヨセフ、そしてその全身撮影。ついでパン撮影。彼は歩きだして探す。すると、見よ、あちらに。
ほかの子供たちに囲まれて、マリアといたいけなイエス、その母と子の全身撮影。 これもまたリアリスティックな「聖母子像」である。
いまイエスは、捕えられた一羽の小鳥と戯れていて、その小鳥を撫でている。彼のまわりのほかの子供たちも、マリアの慈しみの眼に守られながら、その小鳥に触れて、撫でたがっている。

急速な溶暗。




15 エジプトの地。野外 昼
           (ヨルダン)

 バッハの「プロフェーティコ」のモチーフ。

はるか遠くで、辛うじて聞きとれるくらいにバッハの「プロフェーティコ」のモチーフが再び奏でられだすなかをヨセフ、マリア、イエスがパン撮影を従えて、棕櫚などの木陰のある砂漠の風景をとおり過ぎてゆく……
そしていま相変らずパン撮影を従えて、また相変わらずバッハの「プロフェーティコ」のモチーフを従えて、一行はイメージの奥底に埋もれたかのように、惨めな村の村外れにさしかかる──泥、汚物、癩、塵埃で満杯の川床の腐った水、牝山羊や驢馬といり混ざって、いっしょくたに賤しいひと塊となった半裸の男たち。

村のざわめき。

やがていきなり一切の物音が途絶えて、見よ、あそこに〈主の天使〉がその気高い神秘のなかに、細道の汚泥のうえにすっくと立っている。

バッハの「プロフェーティコ」のモチーフが強烈に爆発する。

主の天使 ヘロデの子アルケラオの支配するユダの地へ行ってはならない。 ガリラヤ地方の、ナザレという町へ行け。「彼はナザレ人と呼ばれる」と録した預言者たちの言葉が成就されるように。

溶暗。





 16 ヨルダン川の岸辺。野外 昼
                                  (ヨルダン)

駱駝の毛衣を身に纏い、腰に革の帯を締めた洗礼者ヨハネ、その半身撮影。心奪われる静寂の中で彼はおのれの前に眼を凝らす。

水音と群衆のざわめき。

ユダヤの砂漠を背に、ヨルダン川の岸辺沿いにヨハネのまわりに集った群衆の「幻視にも似た」ショット。 瞳に謙遜を宿し、敬虔ではあるがいささか脅えた人びと。みな貧しい衣服を纏っているが、中には知識人の姿も見えるし、ヨハネの弟子たちばかりではなく、将来の使徒のふたり、ヨハネとアンデレもいる。
洗礼者ヨハネの最大接写

洗礼者ヨハネ 悔い改めよ、天の国は近づいた。この者はまことに預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする──〈主〉の道を整え──その小径を真っ直ぐにせよ。」 

ヨハネがこう告げている間に、ここに、彼の言葉に注意深く耳を傾ける群衆の新たなショット。そしてあたりには砂漠の、ヨルダンの荘厳。十七世紀の神秘的幻視の大画風なその光と影…… 
洗礼を施す仕度をするヨハネ、その半身撮影(彼はすでに両足を流れに漬けている)。
最初の洗礼(ヨハネと受洗者、その全身撮影 )──二番目の洗礼(前記のとおり)──三番目の洗礼(前記のとおり)
するとここにロングショットで、川沿いの群衆や身分賤しい群衆を掻きわけて、上流階級の豪奢と優美の衣裳に身を包んだファリサイ派やサドカイ派の人びとの一団が現れる。経済的、精神的特権に心は頑なになり、誇りに溢れ、彼らは傲然と前に出る。
彼らを睨むヨハネ、その最大接写。 その両眼は苦しみに、ついで無類の怒りに燃えあがる。

洗礼者ヨハネ 蝮の裔よ! 誰がおまえたちに来たらんとする神の怒りを免れることを教えたか? おまえたちは悔い改めに相応しい実を結べ。そして「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言えると思うな。言っておくが〈神〉はこんな石塊からでもアブラハムの子らをお造りになれる。斧は早や、樹の根元に置かれた。良い実を結ばぬ樹はみな、切り倒されて火に投げ入れられる……

酢の中の油にも似て、あるいは海原の中の岩礁にも似て、貧しい人びとの群れの真っ只中に留まる権力者の一団、その彼らをロングショットのフレイミング、またはパン撮影

 ……わたしはおまえたちの悔い改めに水で洗礼を施すが、わたしよりも後に来る者はわたしよりも力がある。わたしはその者の鞜をとる値打ちもない……

ヨルダンの流れの碧をバックに、群衆が耳を傾け、ファリサイ人が耳を傾ける。

 ……彼は〈聖霊〉と火でおまえたちに洗礼を施す。 手には箕を持って、打ち場の麦をすっかりふるい分け、その麦は倉に納め、殻は消えることのない火で焼き尽くす……

溶暗。



  17 ヨルダン川の岸辺。野外 昼
            (ヨルダン) 

見よ、彼が来た、「〈聖霊〉と火で洗礼をほどこす」者が。 貧しい人びとの間を歩んでくるが、その彼を群衆と見分けるものはまだ何ひとつない。 彼は洗礼を受けにくる何千もの信者たちのひとりである。
控え目で無名(だが言いえぬ神々しさに輝く)その彼を移動撮影、ついでクロースアップ。
ヨルダン川の流れに漬かって洗礼を施し続けるヨハネ、その彼を移動撮影。 歩んでくるキリスト、その彼を移動撮影、ついでクロースアップ
キリストに気がついて彼を見つめるヨハネ 、そのクロースアップ、ついで移動撮影
歩んできてヨハネの前に控え目に立ち止まるキリスト、そのクロースアップ、ついで移動撮影
彼に目を凝らすヨハネ、そのクロースアップ
キリスト、そのクロースアップ
キリストをその人と認めたヨハネ、そのクロースアップ

洗礼者ヨハネ わたしこそ、きみから洗礼を受けるべきなのに、そのきみがわたしのもとへ来るとは?

脅えたかのように、感情を抑えたキリスト 、そのクロースアップ

キリスト いまは受けさせてくれ。正しきことをことごとく成就するのはわれらに相応しい。

従順に、いまはもう語るのを止めて、最前ほかの身分賤しい人びとに施したのと同じように、キリストに洗礼を施すヨハネ、その全身撮影
長く、厳粛な、洗礼という無言の行為。
キリストが水辺から上がると、そのとき果てしない大音響が轟く。
みな天を見上げる。眩い光ゆえに、泣いたみたいに濡れた眸の顔という顔、その鳥瞰撮影。すると一羽の鳩が、なおも轟きわたる大空から、滑るように飛んでくる。何ひとつ変らない、奇蹟は物理現象ではないのだから。けれども不変の空に、何かひどくこのうえなく新しいものがある。雷鳴はきわめて高らかな楽曲の中に溶けてゆく。

 バッハの楽曲「いと高きもの」

天の声 これはわが〈子〉、わが心に適う悦びの〈愛しいひと〉である。

そして空の光の上に…… 

ゆっくりと溶暗。     




 18 荒れ野。カランタル山(エリコ)。
         野外 昼(ヨルダン)

 二度、三度あるいは四度と、通過するキリスト、そのクロースアップまたは全身撮影。 ついでその移動撮影か、それともパン撮影かで、ゆっくりとただひとり荒れ野の中に消えてゆくキリスト。しかも荒れ野はその懐深く踏み入るにつれてますます堪えがたく荒れ果ててくる。ついには石塊と砂だけの広がりとなる。
さてここに、行く手に目を凝らすキリスト、そのクロースアップ、その瞳には神秘の燈火がともっている。そしてここに、彼の目の前には荒れ野。無用の太陽の中で、大地の死だけが広がっている。
キリストは跪いて祈りはじめる、その全身撮影。けれども、まだ祈りに集中しきれないかのように、彼を取り囲んでのしかかる戦きと静けさに気を散らされて、視線を上げる。
あの生命のかけらひとつない土地ゆえの苦しみを湛えた瞳で、眺めるキリスト、そのクロースアップ
キリストの目に映るのと同じように、ゆるやかなパン撮影によって剥き出しにされてゆく、白んでゆく、死体みたいな大地の広がり、荒れ野。パン撮影は全角回し撮りを終える。
そして──パン撮影の終りに──大地の眩い虚無の恐ろしい眺めの回し撮りを終えようというときに……

 ゆっくりと溶暗。    




   19 荒れ野。野外 昼。
          (四十日後に)

悪魔だ。そこにいて、見つめる悪魔、その全身撮影。このうえなく美しい青年だ、〈主の天使たち〉のひとりみたいに。けれども彼の美しさの官能的で神秘的に厭わしい怠惰さの中には何か恐ろしいものが蛇みたいにのたくっている。優雅で、素晴らしさに茫然とするような衣裳を身に纏っている──まさしく天使みたいに、そして権力者みたいに。しかもその衣裳をそれに淫した者のように着こなしては、おのれの苦悶と、悪を欲する者の癒されがたい不満とに蝕まれている。悪魔はその怠惰な、流し目の、美しすぎる眼差しを向ける……
祈っているキリスト、その全身撮影。彼は衰弱しきっている。(断食ゆえに骨と皮と化したその顔にはすでに磔刑の兆しが現れているのだろうか?)
それでも彼は祈りという至高の力をまだ持っている。
悪魔とキリストは長い間じっと見つめあう。卑しい、絶望しきった皮肉の翳が一瞬、悪魔の瞳を過る。

悪魔 おまえが〈神の子〉なら、これらの石塊にパンになれ、と命じたらどうだ

もう話すための声もほとんど残っていないのに、英雄的な努力で辛うじて聞きとれる嗄れ声で応えるキリスト、そのクロースアップ

キリスト 人の生きるはパンのみによるにあらず、〈神〉の口より出ずるすべての言葉による。 

溶暗。  




20 エルサレムの神殿の小尖塔。
          屋外 昼(ヨルダン) 

ゆっくりとパン撮影、つれてエルサレムの街が、ゆっくりと目に曝される──大通りから大通りへ、家並みの破風から破風へ、真昼の黄金色に舞う埃の粒子の中を──全角回し撮りを終える。
神殿の小尖塔の上の悪魔とキリスト、その全身撮影悪魔が人を動顛させる皮肉をこめてキリストを覗き込む、そのキリストのクロースアップ。

悪魔 おまえが〈神の子〉なら、飛び降りたらどうだ。「おまえのために〈神〉が天使たちに命じて、おまえの足が石に打ち当たらぬように、天使たちは手でおまえを支える」と、録されてあるではないか。

キリストはなおも耐え忍びつつ、嗄れ声で、動かしがたい力をもって悪魔に応える。

キリスト 「おまえの〈神〉である〈主〉を試してはならぬ」とも録されてある。 

鮮かな中断。




 21 山の頂。野外 昼
       (ヨルダン)

再びパン撮影のゆっくりとした回し撮りだが、今回は真昼の甘美な太陽の下に、見惚れるほどに実り豊かな平野の果てしない広がりが眼前にある。耕された畑、オリーヴ林、棕櫚の林、小さな村々、そして遠くには小尖塔がいくつも燦然と煌めく都会、それに羊の群れや河川……
前回のシーンと同じく悪魔とキリスト、その全身撮影
怠惰で皮肉な……だがその誇りを癒しがたく傷つけられてはや獰猛さを剥きだした悪魔、そのクロースアップ。

悪魔 平伏してわれを拝むなら、これらをみなおまえに与えよう。

キリストのクロースアップ(前回のシーンと同様)。

キリスト サタンよ、退け!「おまえの〈神〉である〈主〉を拝し、ひたすら〈主〉にのみ仕えよ」と、録されてある。

悪魔のクロースアップ。憎しみの、恐ろしい、不幸せな眼差し。やがて彼は敗れて、ゆっくりと背を向ける。
夏の火事で黒く焦げた木々や茂みの間を、もう後ろを振り返りもせずに去ってゆき、後ろ姿のまま消える悪魔、その全身撮影
リバースショットで、オリーヴの林のささやかな木陰、そよ風にそよぐ甘美な木々の間を、一群れの〈主の天使たち〉が讃美と愛の頌歌を歌いつつ歩みきて、その全身撮影、その頭上には…… 

天使たちの歌(バッハの楽曲「いと高き者」)。 

ゆっくりと溶暗。    




   22 牢獄の独房。内 昼
          (ヨルダン)

 独房の中で鎖で繋がれている洗礼者ヨハネ、その全身撮影。断食と苦しみに窶れはてて、目を伏せたまま彼は祈りに没頭している。 それから鉄格子から射しこむ光のほうにふと目を上げて、そとの光の中に滑空する雌鳩、〈神〉の白い鳩たちを見る。

低く抑えてバッハの楽曲「プロフェーティカ」が甦る。   




    23  カファルナウムの地。野外 昼
              (イスラエル)

 ……鳩たちの飛翔は空の中に消えてゆき、……を示唆するかのように……

 クレッシェンドで、バッハの楽曲「プロフェーティカ」がなおも続く。

……湖の岸辺で、太陽に照らされて、カファルナウムの街が白く輝く。 カファルナウムに向けて歩みゆくキリスト、その全身撮影。

預言の言葉 ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖畔の街カファルナウムへ往け。これは預言者イザヤによって言われたことが成就するためである。 

 陽に曝された山々に囲まれて、白い輝きを増してゆくカファルナウムの町並みを、遠くから、移動撮影

 ……「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の町、異教徒のガリラヤ……

道端で動かぬ(仕事の帰りか、それとも午睡をとるのか)疎らな人びとを──子供たちや、羊たちの群れと一緒に──移動撮影。やって来る余所者を見守りながら、どの人の目も好奇心に燃えている。

 ……暗闇に住む民は、大いなる光を見、……

気高く物思いに沈んで、巡礼者のように歩みゆくキリスト、その全身撮影

 ……死の地と死の蔭とに坐する者に、光がのぼった」

日々の貧しい時の中に失われたまま、眺めているつましい人たちの群れを、なおも移動撮影。彼らの沈黙を前に、移動撮影車が止まるまで。
愛の笑みが溢れるばかりの底知れぬ眼差しで彼らを眺めながら、こちらも立ち止まってしまったキリスト、その最大接写。 やがて密やかに、親しみを込めて、内面の晴れやかさに溢れつつ、彼らに告げて言う。

キリスト きみたち、悔い改めなさい。天国は近づいたのだから。

真昼の野辺の長閑さをバックに、口を噤んで、一心に耳を澄ます人たちの窶れた顔々を、ゆっくりとパン撮影

鮮かな中断。 




    24 湖の畔。野外 昼
    (イスラエル)ゲネサレト湖

湖面に熱心に網を打つふたりの若者を、移動撮影。ペテロとアンデレを全身撮影。 二人ともその辛い仕事に黙々と没頭している。
彼らを眺めながら歩みくる(移動撮影が先行して)キリスト、そのクロースアップ。やがて立ち止まり、口を開くまで。

キリスト ぼくについて来なさい。きみたちを人間を漁る者としよう。

茫然と、しかも感動して彼を見つめる兄と弟、そのクロースアップ、ついでパン撮影
兄弟のように親しみをこめて彼らを見つめるキリストのクロースアップ、被せて移動撮影
移動撮影車に先導されて、キリストのほうへ歩みくる兄と弟、その全身撮影……

鮮かな中断。   




    25 湖の畔。野外 昼
         (イスラエル)

三人の男たち──老いたゼベダイとその息子のヤコブにヨハネ、彼らを移動撮影。彼らも湖の畔にいて、小船の上で落着き払って──背を丸めて、口笛吹きながら──網を繕っている。
移動撮影に先行されつつ──後ろにペテロとアンデレを従えて、歩みゆくキリスト、そのクロースアップ。やがて立ち止まり、うち眺めて、相変わらず声を荒らげずに、兄弟そのものの飾り気なさで、告げて言う。

キリスト ゼベダイの子、ヤコブにヨハネ、ぼくと一緒に来なさい!

互いに見交わして、それから老いた父親を見、またキリストを見つめるヤコブにヨハネ、その全身撮影
彼らを見つめるキリスト、そのクロースアップ、被せて移動撮影
立ちあがるヤコブにヨハネ、移動撮影が先導して、キリストのほうへやって来る……その二人のクロースアップ

鮮かな中断。 




    26  ガリラヤの地。野外 昼
            (イスラエル)

わめき、呻き吼えながら、蛇みたいに蠢く人体のもつれた塊、その移動撮影──やがてまったく人間らしさの見えない、悪鬼に憑かれた者らのひとり、そのクロースアップまで……
まわりを四人の使徒に囲まれて、底知れぬ憐れみを込めて、この者を見つめるキリスト、そのクロースアップ
そんな憐れみの眼差しに身を捩り、わめきだしたかと思うと、次第に唸り声が小さくなって──とうとう徐々に鎮まってしまうまで、悪鬼に憑かれた男の最大接写
悪鬼に憑かれていた男がいまは癒されて回りの者らを見分ける、その者らもいまは癒されたように見える、その男のクロースアップ、その背後から移動撮影。蛇たちのもつれた塊がほどけてゆく。すると親類や居合わせた人たちが気狂いを縛っていた鎖をほどく。
祈りに集中するキリスト、そのクロースアップ
彼を見つめる人びとの顔、その顔という顔をゆっくりとパン撮影

鮮かな中断。  




     27  山の頂。野外 
     昼(イスラエル) 至福の丘 
      あるいはハッティン連峰

山の頂で祈りに集中するキリスト、その全身撮影。孤独は絶対的だ。
だが見よ、岸辺に打ち寄せては砕け散る海にも似て力強く、ざわめきが遠くから聞こえてくる。使徒たちに導かれて、大群衆が目を眩ませる太陽のもと、山腹の急斜面を攀じ登ってくる。登りに登って、ついには無言のまま山頂をぐるりと取り巻き、言葉が発せられるのを固唾を呑んで待っている。当のキリストはこの大群衆を黙って見つめている。
陽に照りつけられながら、山腹に沿っていまは黙って腰を降ろす大群衆、そのパン撮影
「口を開き、教えて言う」キリスト、そのクロースアップ。彼が言う。

キリスト 幸いなるかな、心貧しい者よ。天国はその人たちのものだから。
 幸いなるかな、泣く者よ。その人たちは慰められるだろうから。
 幸いなるかな、柔和な者よ。土地はその人たちのものとなるだろうから。
 幸いなるかな、正義に飢え渇く者、その人たちは満たされるだろうから。
 幸いなるかな、憐れみ深い者よ、その人たちは憐れみを得るだろうから。
 幸いなるかな、心の清い者よ、その人たちは〈神〉を見るだろうから。
 幸いなるかな、平和を実現する者よ、その人たちは〈神〉の子と呼ばれるだろうから。
 幸いなるかな、正義のために迫害される者。天国はその人たちのものだから。
 幸いだろう、きみたちは。ぼくのために罵られ、迫害され、詐りのあらゆる悪口を浴びせられるときには。喜び悦べ、天にはきみたちに大きな報いがあるのだから。きみたちより前の預言者たちも同じように迫害されたのだ。

一心に話して聞かせる彼の顔、そのクロースアップの上に……

溶明。 





      28 山の上。野外 午後遅く


真昼の灼けつく光のかわりに、いまは日没のやわらかな光がある。
語り続けるキリスト、そのクロースアップ

  キリスト きみらは地の塩だ。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられようか? 何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人びとに踏みつけられるだけだ。
 きみらは世の光だ。山の上にある町は隠れるべくもなく、また人は燈火をともして升の下におかず、燈台の上におく。そうして燈火は家の中にいる者みなを照らす。
  このようにきみらの光を人びとの前に輝かせ。人びとがきみらの善い行いを見て、天にあるわれらの〈父〉を崇めるように。

そして一心に話し聞かせるキリスト、そのクロースアップの上に……

溶明




       29 山の上。野外 夜


語り続けるキリスト、そのクロースアップ
いまは夜である。彼の顔が辛うじて見えるか見えないかだ。ただ眼だけが生き生きと、光り輝いている。

キリスト ぼくの来たのは〈律法〉や〈預言者〉を毀つためだ、と思うな。 毀つために来たのではない、それどころか成就するために来たのだ。 断っておくが〈律法〉の一点一画までことごとく全うされるまで、天地の過ぎ往くことはない。
 それゆえこうした戒めの最も些細なひとつでも破り、みなこれにならえと人に諭す者は、天国でいと小さき者と呼ばれる。
 しかし些細な戒めをも守り、かつ人にも守れと諭す者は、天国で大いなる者と称えられる。
 言っておくが、きみらの正義が律法学者やファリサイ派の正義に勝らなければ、天国に入ることはかなわない。

そして一心に語り聞かせるキリスト、そのクロースアップの上に……

溶明。




       30 山の上。野外 昼


強烈な光がいまはキリストの額を叩き、彼の顔を石灰の面みたいにしている。
語り続けるキリスト、そのクロースアップ

キリスト きみらも聞いてのとおり、昔の人は「殺すなかれ、殺す者は裁きにあうべし」と告げられている。
 しかし言っておくが、兄弟に腹を立てる者は、誰でも裁きを免れない。
 また兄弟に向かって「馬鹿」と言った者は衆議にかけられ、「痴れ者」と言った者は火の地獄に投げ込まれる。
 それゆえきみが祭壇に供物を捧げようとするまさにそのときに、兄弟に怨まれることのあるのを思い出したなら、供物は祭壇の前にそのまま残して往って、まず兄弟と仲直りし、それから帰ってきて、供え物を捧げなさい。
 きみを訴える者となお路上にいるうちに、早く和解しなさい。
 さもないと相手はきみを裁判官に引き渡し、裁判官は看守に引き渡し、きみは牢に入れられてしまうかもしれない。
 断っておくが、一文残らず支払うまでは、きみは牢から出られないことだろう。

溶暗




       31 山の上。野外 夜


夜である。しかしいまは何本も松明がともされて、その照り返しがキリストの顔のうえで疲れ知らずに踊っている。
語り続けるキリスト、そのクロースアップ

キリスト きみらも聞いてのとおり「姦淫するなかれ」と告げられている。
 しかし言っておくが、女を見て欲望を覚える者は誰でも、心の中ですでに彼女と姦淫したのだ。
 それゆえもし右の目がきみの罪のもとならば、抉りだして捨ててしまえ。身体の一部がなくなっても、全身が地獄へ投げ込まれるよりはましだ。
 またもし右の手がきみの罪のもとならば、切り捨ててしまえ。身体の一部がなくなっても、全身が地獄へ投げ込まれるよりはましだ。
 「妻を離縁する者は、離縁状を渡せ」と告げられている。
 しかし言っておくが、淫行のゆえではなくて妻を離縁する者は誰でも、妻を姦淫に晒すことになる。離縁された女を妻にする者も姦淫を行うことになる。

溶暗





       32 山の上。野外 昼


雨もよいの日の悲しく、平べったい、灰色の光がキリストの顔の上に捺されている。
語り続けるキリスト、そのクロースアップ

キリスト また、きみらも聞いてのとおり、昔の人は「詐り誓うなかれ、なんじの誓いは〈主〉に果たすべし」と告げられている。
 しかし言っておくが、きみたちは一切誓うな。
 天を指して誓うな、そこは〈神〉の玉座だ。 地を指して誓うな、そこは〈神〉の足台だ。
 エルサレムを指して誓うな、そこは大〈王〉の都だ。
 おのれの頭を指して誓うな、きみには髪の毛一本白くも黒くも出来ないのだから。
 きみらはただ「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言え。それ以上のことは、悪魔から出るのだから。

溶暗

               (工事中) 

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