2009年3月9日月曜日

パゾリーニによるマタイ福音書66~99



   66  空。野外 昼(マケロンテ、
         ヨルダン)


  鳩が飛ぶ、〈神〉の白い雌鳩たちが有頂天に取り乱した羽ばたきで。 





   67  独房。屋内 昼(ヨルダン)


  恍惚として祈りに集中する、鎖に繋がれたヨハネ、そのクロースアップ

 楽の音、楽器の和音、ダンスのテンポで、リハーサルのためみたいに掻き鳴らされる曲(「テレマンのアダージョ」)

  彼のまわりでは宵の祭を準備する人びとの声、音響、楽器の和音。





    68  王宮の中庭。野外 昼
          (ヨルダン)


  見よ、あそこに実際、楽士たちがその楽器を試しに弾きながら、笑ったり冗談を言ったりしている。

  和音、ダンスのリズムで曲の短い音だし(「テレマンのアダージョ」)。

  だが見よ、召使たちが、そして少年たちが大皿を掲げて、羅紗を翳して通り過ぎてゆく……  





  69  王宮の一室。屋内 昼


  そして見よ、ヘロディアの娘が母親の介添えで祭の衣裳を身につけている。その着付けには何か不吉なものがある。沈黙の中で行われて、女たちの顔はどれも少しも祭らしくない。
  夢中になって、不安にかられて、邪な、母親と、娘のクロースアップ。まわりでは、あたりでは祭を告げる声々や小楽節が弾けるように飛び交い続けている。

  祭の声々や小楽節。 





   70 独房。屋内 昼


  そして鎖に繋がれた洗礼者ヨハネは、この世から取り除かれる予感にとり憑かれたかのように、相変わらず祈りに没頭する。

 ダンスに中断される声々、小楽節(「テレマンのアダージョ」)。





   71  王宮の広間。屋内 夜


 「テレマンのアダージョ」。

  祭はいまや闌(たけなわ)だ。
  テレマンの素晴らしさに茫然とする「アダージョ」の楽音にあわせて、サロメはすでに舞踏の軽やかなリズムで踊りつつある。サロメのダンスには少しも涜神的なところや官能的なところや淫らなところがない。彼女は首から踝まで全身隈無く、ボッティチェッリの天使──あるいは彼の〈春の美神〉が着ても可笑しくない優雅な衣裳を身に纏っている。それどころか彼女はまさしくフィリッポ・リッピがその厳格なフレスコ画において想像した如く装っている。
  ヘロデⅡ世の宮廷の祭は大饗宴的なところが少しもない。公式の祭であって、極めて洗練されている。
  じっと動かずに全景撮影、そこにはただサロメのダンスだけがある。それはいつものこの種の一大シーンを映し出すが、そのリアリズムには構図にある何か聖なるものから幾ばくかと、古典作品の大いなる造形的創造力の記憶から幾ばくかを減じてある。
  屋内に、食卓は節度ある奢侈で整えられ、招待客は輪になって、中央にヘロデとヘロディアが坐り、召使たちは食卓の端にじっと立っている。そして踊るサロメはその洗練された舞踏で、様式的にはオリエント舞踊の所作を仄かに漂わせている。テレマンの無上の「アダージョ」が止み、ダンスも終わる。
  ヘロデ王のクロースアップ

  ヘロデⅡ世 おまえのこのダンスの褒美に、望みのものを言うがよい、何でもとらせようぞ。

  尻込むサロメ、そのクロースアップ
  示し合わせの恐ろしい眼差しを投げつけるヘロディア、そのクロースアップ

  サロメ 洗礼者ヨハネの首を盆に載せ、ここに賜れ。

  逡巡し、震えあがったヘロデⅡ世、そのクロースアップ
  憎しみの渇望漲るヘロディア、そのクロースアップ
  その未熟な青春の残酷な無関心に浸るサロメ、そのクロースアップ。

  ヘロデⅡ世 おまえにとらす。





    72  独房。屋内 夜


  洗礼者ヨハネはその寝床に臥して、鎖に繋がれたまま、苦しみの無垢の睡りを眠っている。王宮の広間で再開された舞踏の調べの谺するのが、遠くで聞えている。

  テレマンの「アダージョ」。 

 見よ、獄舎の扉が不意に開いて、松明を翳した二つの黒ぐろとした影が入ってくる。ヨハネは掴まれ、起され、うつ伏せにされる。刃が立ちあがり、沈む。
  ヨハネの首は床に転がる、死と血に塗れて恐ろしく。



    73  空。野外 昼(マケロンテ、
          ヨルダン)


 光の中に雌鳩たちの喘ぐような、方向を見失った飛翔。




    74 湖畔。野外 昼(イスラエルまたは
        ヨルダン)


  両手で顔を覆っているキリスト、そのクロースアップ。彼の背後には砕ける波と、渚に引き揚げられた小舟が幾叟か見える。
  少しずつキリストは顔の前から両手を退けて、苦しみの刻まれた顔を見せる。涙に燃えあがる眸でおのれの前を見つめている。
  ヨハネの二人の弟子たちが、彼らが彼に訃報を齎したのだが、泣いている、そのクロースアップ
  やがてキリストは彼らから目を逸らすと、相変らず悲嘆に震えながら、群衆に目を転じる、相変らず彼に従いきて、いまは湖畔に犇めく群衆に。
  石だらけの浜辺をその野宿の仕度で一杯にしている、結局は無関心で、無情な群衆をパン撮影
  ほんとうに彼を理解することの叶わぬあの群衆ゆえに、キリストは落胆のあまり焦れた短い仕草をする、そのクロースアップ。しかしそれでも彼らに憐れみを覚えて、悲嘆に震える小声で言う。

  キリスト ここを離れて、ぼくらだけで、どこか人けのないところへ行こう。

  向きを変える。そしてパン撮影を従えて全身撮影で、小舟のほうへ行く。
  彼の弟子たちは彼のあとを着いてゆき、追いつくと、小舟を湖に押し出す。
  群衆は、全景撮影で、押し合って、方角が分からずに、がっかりして、彼らを置いてきぼりにしたキリストのほうを見晴るかす。 





      75 湖の反対岸。野外
      昼(イスラエルまたはヨルダン)


  キリストと使徒たちの乗った小舟は開けた浜に着く、そして弟子たちが船を渚に引き揚げる。キリストが降り──相変らず全景撮影──弟子たちがそれに続いて歩みくる、そのクロースアップ。 立ち止まる、何か心を乱すものを見たかのように、実際全景撮影で、彼の前には群衆がいる──どうしてあそこに着いたのか、ほかの船によってか、陸を歩いてか、それは分らないが……
  彼らの苦しみと、彼らの希望と、彼らの病を抱えたまま、キリストを慕い歩いてきたつましい人びとの顔という顔をパン撮影
  見つめるキリスト、そのクロースアップ。彼の顔には少しずつ当惑の表情に変って、憐れみの情け深く優しい光が広がる。キリストと群衆との無言の対話、それは憐憫と希望との対話だ。
  ついにキリストが声を低めて、弟子たちにそっと言う、そのクロースアップ

  キリスト 彼らが哀れだ、ぼくは彼らといて、彼らの病む者たちを癒そう。

  全身撮影で、弟子たちを従え、移動撮影を先行させて、無言の群衆のほうへ歩みくる。
  群衆に向かって移動撮影、担架に臥せた病人たちの一人を全身撮影で、ついでクロースアップで、フレイミングするまで。
  希望に燃えあがって、見つめる病人のその眸、そのディテール撮影……

  溶暗。 





      76  同じ場所。野外 夜


夜の帷が降りた、その松明の悲しい煌めきとともに。
闇の中に犇めく群衆をゆっくりとパン撮影
祈りの恍惚の中で、労りをこめて群衆を眺めるキリスト、そのクロースアップ
パン撮影で、近寄るひとりの弟子、そのクロースアップ

弟子 ここは寂しい場所だし、はや時刻も晩い。それゆえ群衆を去らせて、村々に往かせて、おのが食物を買わせてはいかがか。
キリスト 往かせるにはおよばない。きみらがかれらに食べ物を与えよ。
弟子 ぼくらにはパン五個と二匹の魚しかないが。
キリスト ここに持っておいで。

その弟子は、素直に遠ざかる。

キリスト(群衆に向かって) さあ、きみたち草地に腰を降ろしなさい。

彼のまわりに車座に坐る群衆、その全景撮影
パン五個と二匹の魚を持って戻ってきて、パン撮影に追われながら、それらをキリストに差し出す弟子、その全身撮影
目を上げて天を仰ぎ、それからパン五個と二匹の魚の上に目を伏せながら、それらを祝福するキリスト、そのクロースアップ。ついで、それらを弟子に与えながら、両手を顔の前に組んで祈りに集中する。

  声々、叫び、笑い。

少しずつ顔の前から手を退けて、おのれの前の群衆を優しく見つめる、全景撮影で。彼らは幸せそうに、笑いながら、食べている。友だちの群れ、親類の群れ、みな食べている…… 幾家族も、子供たちと病人たちと、みな食べている、独り者の男たちも、また年寄りたちも、また非常に若い者たちも、みな食べている。キリストは黙って、長い間眺めている。しまいにみな満腹したろうと考えたときに、クロースアップ、ついでパン撮影で、立ちあがる。

キリスト(固まって食べている弟子たちに) 小舟に乗って、ぼくより先に湖の反対岸に往くがよい。(群衆に向かって) さて、きみたち、いまは立ちあがって、往きなさい。
こう言いおえると、全身撮影で、パン撮影を従えて、彼は群衆とは反対の方角に遠ざかる。
キリストの往く径はますます嶮しくひっそりしている。
ついにとある山の頂に着く。そしてそこで跪いて彼は一心に祈る。

 雷鳴が轟き渡る。

 短い溶暗。 





    77 湖の真只中。野外 夜(海)


嵐が湖を覆して、荒波が弟子たちの小舟にぶち当たる。

 雷鳴と嵐の凄まじい音響。

弟子たちは小舟の中で恐慌を来している、すると見よ、キリストがやって来る、全身撮影で、湖水の真只中を歩みくる。

 弟子 幽霊だ……

恐れ戦いて眺める弟子たち、そのクロースアップ
沸き立つ湖面を歩みくるキリスト、そのクロースアップ

キリスト 安心しろ、ぼくだよ! 恐がるんじゃない!

小舟の上のペテロ、そのクロースアップ

ペテロ 主よ、もしきみならば、水の上のきみのところまで来いと命じたまえ!

キリスト 来い。

全身撮影でペテロが小舟を降りてよろめきながらキリストのほうへ歩みゆく。湖水はまわりで恐ろしげに波打ち騒ぎ立つ。
俄の恐怖によって動揺したペテロ、そのクロースアップ。

 ペテロ 主よ、助けて!

キリストはクロースアップで真っ暗な湖水の黙示録風のバックの前をパン撮影を従えて歩みきて、ペテロの片腕を掴まえる。

キリスト 信仰薄き者よ、なぜ疑った?

そして一緒に小舟のほうにクロースアップパン撮影を従えて歩みきて、舟に乗る。キリストがペテロを支えながら。
いまや湖は、あたりは凪いで滑らかに月の光の青さの中に失われている。
ペテロのクロースアップ、ついでパン撮影、彼は跪く。

ペテロ ほんとうにきみは〈神の子〉だ!

急速な溶暗。





    78  湖畔。カファルナウムの港。野外
             昼(イスラエル)


全景撮影。湖畔に降りてキリストの上陸を待つ、エルサレムからやって来た学者やファリサイ派の人びと。
「指導階級」の知識人や司祭である彼らの顔という顔、そのパン撮影、善意にしろ悪意にしろ、明快にあるいは不可解に「言伝え」とその形式主義の擁護者である彼ら。
リバースショットで相変らず全景撮影で、キリストが下船して、歩みゆき、弟子たちが後を追う。

一人のファリサイ人(喧嘩腰の得意顔の青白さの中にヒステリーの赤い染みが浮んでいる) なぜおまえの弟子たちは古人の言い伝えに背くのか? 食事のときに手を洗わないとは!

見よ、いまキリストはクロースアップで、 ファリサイ人を眺める。正しいことの確信とこやつを、そのヒステリックな怒りをたやすく言い負かせることが、おのれの晴れやかさの妨げとはならない。その答の極端な、やや厚かましいほどの清澄さの中にあっても。

キリスト ではなぜおまえたちも、おまえたちの言伝えのゆえに〈神〉の掟に背くのか? まことに〈神〉は言われた、
 「父と母を敬え、父または母を呪う者は死罪」
 と。
 それなのにおまえたちは言う、
 「あなたを扶くべき金銭は〈神殿〉の供物にする、と父または母に告げる者はその父と母をもう扶ける義務はない」
 と。
 こうしておまえたちの言伝えのゆえに〈神〉の言葉を空しくしている。

さっき近寄ってキリストを呼びとめたファリサイ人は、そのヒステリックな憤懣のやりばもなく、死人みたいに土気色になって、いまにも立ち去ろう、いまにも理はおのれにあるとの盲信に屈しようとしている。ほかの者たちは彼を宥めながら、おのれの憎しみを議論の形式的な受容で装い隠さざるをえない。

キリスト 偽善者よ! いかにもイザヤはおまえたちについて見事に預言している、曰く、
 「この民は唇にてわれを敬う、しかしその心はわれから遠ざかる。ただ徒にわれを拝む、人の規則に過ぎぬものをわが掟と教え」

パン撮影を従えつつ、が終始、クロースアップで、キリストは群衆のほうへ歩みゆく、群衆はまわりに屯して、ファリサイ人のこちら側にもあちら側にもいる……
群衆の間を歩みゆくキリスト、そのクロースアップ、ついでパン撮影

キリスト 聴いて悟れ。口に入るものは人を汚さず、しかし口から出るものは、そう、まさにこれが人を汚すのだ……

弟子たちは仰天して見やる、貧しい群衆の隊列のまん中をゆくキリストの後ろ姿を。そしてファリサイ派の人びとを。彼らは仲間うちで激しく議論して、最も慎重な者たちが最も動顛した者たちを宥めようとしながら、金持の衣裳に身を包み、反対の方角に遠ざかってゆく。
肩先までパン撮影に追われながら、キリストの後を追うペテロ、そのクロースアップ。 移動撮影が先行して、群衆の中を歩みゆくキリスト、そのクロースアップ、これもクロースアップのペテロが彼と肩を並べるまで。

ペテロ 知っているか、ファリサイ人がきみの言葉ゆえに躓いたのを?

移動撮影が先行して、歩みくるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト 天にいますわが〈父〉の植えたのではないどんな草木も、みな根から引き抜かれるだろう。彼らは捨ておけ。盲の手を引く盲だ。いま、もし盲がもう一人の盲の手を引くならば、二人とも穴に落ちることだろう。

移動撮影が先行して、歩みきながら、耳を傾けるペテロ、そのクロースアップ

キリスト きみらもまだ悟らないのか? 分らないのか、すべて口に入るものは腹にゆき、下水に落ちるを? だが、口から出るものは心から出る。そしてこれが人を汚すのだ……

前記のように耳を傾けるペテロ、そのクロースアップ。 前記のように歩みくるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト なぜなら悪しき思いは心から出る、人殺し、姦通、不正行為、盗み、偽証、神への罵りは。これらは人を汚すものだ。だけど洗わない手で食したところで人の汚されるものか! 





    79  荒れ野。野外 昼(イスラエルまたは
             ヨルダン)




 希望にかられてキリストの足跡を這うように辿るいつもの群衆をパン撮影。温和で気の毒な、襤褸を着た人たちが彼らの病人を連れている。唖、盲、ちんばに跛たち。見つめるキリスト、そのクロースアップ
ひとりの病人を移動撮影、ついで全身撮影、彼を見つめるキリスト、そのクロースアップまで。
希望に燃えあがる病人の瞳、そのディテール撮影
キリストは、クロースアップで、傍らにいる弟子たちのほうを振り向く。

キリスト ぼくはこの群衆を憐れむ。もう三日もぼくの後をついて来て食べ物が何もない。それに彼らを飢えたままで帰らせたくはない、途中で倒れてしまうかもしれない。
弟子 こんな荒れ地のいったいどこで見つけられるだろうか、こんなにもたくさんの人たちを満腹させるのに足るパンを?
キリスト パンはいくつあるの?
弟子 七つと、小魚が少々。
キリスト それらをここに持ってきなさい……

弟子は、素直に、遠ざかる。

キリスト(群衆に向かって) いまは草地に腰を降ろしなさい。

全景撮影。群衆は黙って、彼のまわりに車座に坐る。
パンと小魚を持って戻ってきて、パン撮影に追われながら、それらをキリストの前に置く弟子、その全身撮影
パンと小魚の上に祈りを凝らすキリスト、そのクロースアップ。パンと小魚のディテール撮影
パンと小魚を取って、それらを弟子に与え、ついで目を天にあげて、祈りにわれを忘れるキリスト、そのクロースアップ
目をまた地上に戻すと……

 声々、ざわめき、笑い声。

……見よ、群衆が、全景撮影で、魚とパンを食べている。
貧乏人の顔という顔が、目に優しくけものじみた満腹感を浮かべて、宥められた飢えの無垢の獣性を漂わせながら、咀嚼している……

溶暗。 





    80  タボル山麓の野辺。野外 
            昼(イスラエル)


太陽に曝された野辺を疲れて、無口に、全身撮影で、歩みゆくキリストと使徒たちを後ろ向きに移動撮影。するとそのとき、彼らの背後に、叫び声がする。

カナンの女の声 〈主〉よ、〈主〉よ!

見よ、走ってくる、小さな蛮族の母親が、車を牽く獣みたいにずんぐりした女が、埃だらけの田舎道を絶望しきって、走りに走ってくる。そしてキリストと肩を並べながら、呻いたり喚いたりする。

カナンの女 〈主〉よ、〈ダヴィデの子〉よ、あたしを憐れんで、お願い! あたしの娘が悪鬼に憑かれてひどく苦しんでいます!

思いに耽って無言で、彼女に気がつかないかのように歩みゆくキリスト、そのクロースアップ
相変らず移動撮影に先行させて、クロースアップのキリストに肩を並べる一人の弟子、 そのクロースアップ。

 弟子 叶えてやって帰してくれ、叫びながらどこまでもついてくる!

前記のようにキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト ぼくはイスラエルの家の失われた羊たちにしか遣わされていない…… 

 前記のように歩みくる女、そのクロースアップ、そして女は鼓吹された信頼の熱情の虜となる。いまはもう叫ばずに、低いくらいの声で話す。

カナンの女 〈主〉よ、あたしを助けて…… 

 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト 子たちのパンを取りあげて小犬に投げ与えるのは良くない。

前記のようにカナンの女、そのクロースアップ、相変らず霊感を受けて確信し、説得上手だ。

カナンの女 はい、〈主〉よ、でも小犬だって主人の食卓から落ちるパン屑は食べるものを…… 

 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト ああ女よ、おまえの信仰は大いなるかな。おまえの望みのようになれ……

喜びのあまり容姿まで変って、立ち止まる女、そのクロースアップ
あの下のほうを眺める、笑みのこぼれる女の眸のディテール撮影、全景撮影で、キリストとその使徒たちの一行が歩みゆき、歩みゆき、いまは少し立ち止まって…… あたりを見回し…… 太陽によって喰い尽くされた野辺の中の一本の木の木陰に行って、一休みするかのように、車座に坐る。
仲間うちで見交して、まるで沈黙の掟ゆえかのようにまごついている弟子たち、そのクロースアップ。 ようやくひとりが意を決して、口を開く。

弟子 〈主〉よ、ぼくらはパンを持ってくるのを忘れた。

腰を降ろしたキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト(軽い、兄弟みたいな、慈しみのある「ユーモア」をこめて) きみらは目を開いて、ファリサイ派やサドカイ派の人びとのパン種に心せよ。

当惑して、鼻を折られた弟子たち、そのクロースアップ。

 キリスト きみらは何を論じあっているのだ、信仰うすい者たちよ、パンを持ってこなかったことをか? まだ悟らないのか、五つのパンを五千人に分ち、そのあまりを幾籠集めたか、覚えてないのか?
 また七つのパンを四千人に分かち、そのあまりを幾籠拾ったか? ぼくの言ったのはパンのことではないのをどうして悟らないのか? ただファリサイ人とサドカイ人のパン種に心せよ。

長い沈黙がこうした言葉のあとに続く。あたりには野原の午後の静まり返った音ばかり。キリストは目を上げて、不思議な表情を見せ、そこでは最前の兄弟みたいな皮肉は優しく、神秘的な打ち解けた調子を帯びている。

キリスト 人の〈子〉は誰だと、人びとは言っているか?
弟子 洗礼者ヨハネだと言う者もいれば、エリヤだと言う者もあり、またエレミヤまたは〈予言者〉のひとりだと言う者もある。

短い濃い沈黙のあとで、前記のように、キリストのクロースアップ。

 キリスト だけどきみらは、ぼくが誰だと言うのか?

 ペテロ(ある種の恐怖にかられたかのように、それを彼はその純真な信仰で克服したが、感動で震えながら) きみはキリストだ、生ける〈神の子〉だ!

バッハの楽曲「いと高き者」が爆発する。

 キリスト(眼差しに天上の至福をこめて) 幸いなるかな、シモン、ヨハネの子よ、きみにそれを明かしたのは肉や血ではなく、天にいますわが〈父〉だから。そしてぼくはきみに言う、きみはペテロ(Pietro)だ、そしてこの石(pietra)の上にわが教会を建てよう、地獄の力もこれには勝てまい。そしてきみに天国の鍵を与えよう。きみが地上で繋ぐものは天上でも繋がれ、地上で解くものは天上でも解かれるであろう。

非常に長い沈黙。弟子たちは恍惚として見つめあう。

 この上なく澄んだ宗教音楽の調べが広がる。

ついにキリストが再び沈黙を破る。

キリスト きみたちはぼくがキリストだと誰にも言ってはならない。

またも短い沈黙のあとでゆっくりと立ちあがると、彼は田舎道をまた歩きだす、使徒たちを後ろに従えて後ろ姿になるまで、全身撮影、ついでパン撮影で。
野辺の宏大な静寂の中を黙って、歩みゆくキリストと使徒たち、全身撮影で、移動撮影が先行して。
いまは死の憂鬱に囚われて、目を伏せて歩みくるキリスト、そのクロースアップ移動撮影が先行して。彼がまた目を上げる。

キリスト きみらも知るように、ぼくはエルサレムへ往かねばならない。そしてあちらでぼくは長老や学者や祭司長たちによって、ひどく苦しめられねばならない。そして果ては死刑の宣告を受けねばならない……

歩みゆくペテロ、そのクロースアップ。そして、こうした言葉に、彼の瞳は恐怖に染めあがる。彼はキリストと肩を並べ、片腕を取ると小声で話しかける。

ペテロ 〈主〉よ、そんなことは決して! きみにあってはならないこと…… 

前記のようにキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト サタンよ、われより遠く退け! おまえはぼくの躓きの石だ、なぜならおまえは〈神〉のようには考えずに、人のように考えるからだ。

再び非常に長い沈黙。そのうちにも一行は歩みゆく、全身撮影で、相変らず移動撮影が先行して、そして涙で目を灼きながら、心を奪われて、魂の底まで揺さぶられた弟子たち……、そのクロースアップ。

 気高く、悲しみに打ち沈んだ、バッハの楽曲「いと高き者」

やがて前記のように相変らずクロースアップで、キリストがまた語りだす。

キリスト 人もしぼくのあとに従い来ようと思うならば、おのれを捨てて、おのれの十字架を背負って、ぼくに従え。なぜならおのれの生命を救おうと思う者はこれを失うが、ぼくゆえにその生命を失う者はこれをまた見出すからだ。
 人、全世界を儲けたとて、おのれの魂を失えば、何の益があろう? また、人はその魂の贖いに何を支払うのか?
 人の〈子〉は彼の〈父〉の栄光の中にその天使たちとともに来るだろう。その時にはおのおのの行為に応じて報われることだろう。
 ほんとうに言っておくが、ここにいる者のうち何人かは、人の〈子〉がその国を携えてくるのを見るまでは死なないことだろう。





    81 タボルの山裾とタボル山。野外 夜
                (イスラエル)


  宏大な野辺に夜の帳が降り、死の静寂が一緒に降りてくる。声を枯らした犬たちの吠えるのが遙か遠くに聞える。と、夜気の中を夜行動物の不可解な唸り声がする。
  キリストと使徒たちの夕食の残り物、そのディテール撮影。一枚の静物画だ、鉢が一つか二つに、何匹分かの魚の骨、何かの果実に、そしてパン、各〈福音書〉にあれほど語られている、パン。
そしてあたりには散らばって、静かに、祈りに没頭する使徒たち。
  祈りにわれを忘れたペテロ、ヤコブ、ヨハネ、そのクロースアップ
  そして見よ、リバースショットで、彼らを見つめるキリスト、そのクロースアップ。やがて、クロースアップで、彼らを呼ぶ。

  キリスト ペテロ…… ヤコブ…… ヨハネ…… ぼくと一緒においで。

  そして、パン撮影にあとをつけられて、月の光の中、甘く恐ろしい静けさの中を遠ざかってゆく。三人の使徒たちは、全身撮影で、彼の後ろを往く。
  キリストと三人の使徒たちの移動はとある山の裾に達して……
  その山の中腹をパン撮影、空の青白さの中に黒ぐろと蟠るその頂きを映し出すまで。

 ナイチンゲールの歌声

 全身撮影で、キリストと三人の使徒たちはいまや山頂にいる。キリストが前に、三人の使徒たちはその足跡の上に。あたりには夜の暮しのざわめきが密に漂う。嗄れ声の熱烈さで競う蛙の啼き声、心に滲みこむ蟋蟀の鳴き声、それに出会いもしなかった昔の恋の衝動を物語るあのナイチンゲールの歌声。

 夜の歌声。

  やがて、いきなり、一切が静まり返る。
おのれの前を見つめながら震えて、脅えながら至福に浴する三人の使徒たち、そのクロースアップ。

 バッハの楽曲「いと高き者」が爆発する。

角膜を引っ掻くほどの白い光に輝く雲が彼らの目の前にあって、彼らの前に立つキリストの上では、遠く、消えてゆく。キリストは真昼の非常に強烈な光に浸されて、一筋の影もない、絹と黄金色の衣裳を纏っている。
  垂直に降りそそぐ光、その中では山頂の木々は乳のような幻にすぎないのだが、そんな光の中を彼に向かってモーセとエリヤが歩みきて、全身撮影で、遠くで共に語らっている。
  あの大いなる光を顔に受けて反射させながら、彼ら自身は夜の闇の中にいる三人の使徒たち、そのクロースアップ。彼らは恍惚としてキリスト、モーセ、エリヤがその天国の衣裳の荘厳に包まれてあの下のほうの光の中で語り合うのを眺める。
  三人の使徒、そのクロースアップ。

 ペテロ 〈主〉よ、われらがここにあるは善きことです。御心ならば、ここに三つの天幕を張りましょう。一つはきみのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために。

  しかし彼は目を眩ませて、両手で庇わねばならなかった。実際、彼らの目の前で光が何もかも溶かして、鼓動しているのは大きな光り輝く雲である。

 さらに烈しく力強くバッハの楽曲「いと高き者」が雪崩込む。

 雲の声 これはわが〈子〉、わが悦びの〈愛しいひと〉。彼の言を聴け。

  うつ伏せに倒れ、盲て、畏れ敬っている三使徒、その全身撮影。そして彼らは長いことその有り様だった。ついにある声が彼らの頭上に響きわたるまでは……

 バッハの「いと高き者」のモチーフは次第に消えてゆく。

 キリスト 起きよ、恐れるな。

  彼らはおずおずと頭を擡げて、山の頂に、常の姿に戻ったキリストを見る。蛙や蟋蟀やナイチンゲールの歌声の中、彼は彼らに微笑みかける。やがて歩みだし、山を下りはじめる、その全身撮影。  三人の使徒たちは彼のあとに従い、四人とも後ろ姿となって下ってゆく。

  キリスト 誰にもいま見たことを話してはならない、人の〈子〉が死人のなかから甦るまでは。

  急速な溶暗。





     82  タボル山麓の野辺。野外 
         昼(イスラエル、デブリヤリ村)


キリストとその使徒たちのグループは疲れを知らず、止まることなく、さらに歩みゆく。そして野辺の大いなる静けさの中で、山で見たことについて語りあう。(移動撮影が先行している。)
移動撮影が先行して歩みゆくペテロ、そのクロースアップ。

 ペテロ それならなぜ学者たちは先ずエリヤが来ると言うのだろう?

移動撮影が先行して、歩みゆくキリスト、 そのクロースアップ。

 キリスト そのとおり、エリヤが来たって悉くをあらためる。だが言っておくが、エリヤはすでに来たのだ、それなのに人びとはこれを識らず、かえって悪しき心のままにあしらった。このように人の〈子〉も、人びとによって苦しめられることだろう……

ヨハネをまた思い出すように、数羽の鳩が──〈神〉の白い雌鳩が──あそこ、小径の日溜りに止っていたのが、見よ、いま飛び立って真っ白に光る空の中に舞いあがって消えてゆく。そして撮影レンズがあの飛翔を追っている間に、画面外で、懇願する声が聞える。

 悪鬼に憑かれた子の父親 画面外で 〈主〉よ! 〈主〉よ! 

 太陽に貪り喰われた野辺に浸されたキリストと使徒たちの前に、とある村の石灰塗りの家並がある。そして小さな人だかりで一杯の、そのバックを背に、ひとりの男がキリストめがけて駆けてくる。

悪鬼に憑かれた子の父親 〈主〉よ、気の触れたわたしの息子を憐れんで下さい、ひどく苦しんでます。何度も火に倒れ、しばしば水に落ち……

あの奥のほう、ロングショットで、人びとの中に実際、数人の男が暴れる少年を押さえつけている。

悪鬼に憑かれた子の父親 あの子をお弟子たちのところへ連れていったのに、治せませんでした…… 

 悲しみに沈む使徒たちの顔々、そのパン撮影
キリストのクロースアップ。

 キリスト ああ、信なき邪な世代よ、いつまできみらとおらねばならないのか? いつまできみらを耐えねばならないのか? その子をここに連れてきなさい。

あの奥のほうから人びとがキリストのほうに歩みきて、その癲癇病みの子を曳きずってくる。

弟子 なぜぼくらは悪鬼を追い出せなかったのか?

 キリスト きみらの信仰が薄いからだ。ほんとうに言っておくが、もしきみらに芥子種ひと粒ほどの信仰があって、この山に
 「ここからあちらへ移れ」
 と言えば、山は移るだろう、そしてきみらに不可能なことはなくなるはずだ。

気の触れた少年はいまキリストの目の前にいる。呻くばかりで、手がつけられない。
切望に拉がれて、震えながらその子を見る父親、そのクロースアップ
少年を見つめながら祈るキリスト、そのクロースアップ
鎮まり、盲たさまから出て、唖然としてあたりを見回し、父親を見つけて彼に駆け寄り、抱きつく少年、その全身撮影
涙と喜びに光り輝く父親の目、そのディテール撮影

 溶暗。  





   83 カファルナウム目前の野辺。野外
       昼(イスラエルまたはヨルダン)


太陽の平安の中に吸い込まれ、澄み渡ったカファルナウムの「パノラマ」をゆっくりとパン撮影。

 バッハの「死のモチーフ」が痛ましく拡がってゆく。

このうえなくしめやかなそのモチーフに抑えられるかのように、移動撮影を先行させたキリストと使徒たちが、全身撮影で、カファルナウムに向けて歩みゆく。
痛ましい想念に囚われて、長い間口を噤んでいた、移動撮影を先行させたキリスト、そのクロースアップ。やがて元気を出して、苦しみに満ちたおのれの内心の考えを大きな声で続けるかのように、

キリスト 人の〈子〉は人びとの手に引き渡されようとしている。彼らは彼を殺すことだろう、だが三日後に彼は甦ることだろう……

移動撮影を先行させた使徒たち、そのクロースアップ。彼らは歩みゆきながら、キリストを眺める。その彼は悲嘆にくれ、目に涙を溜め、長いこと黙りこくっている。
相変らず静けさの中を、移動撮影が先行して、グループ全体が、全身撮影で、嘆きの行列のようにカファルナウム目指して歩みゆく。

 バッハの「死のモチーフ」が消えてゆく。

いまはカファルナウムの城門あたりを移動撮影。リアリスティックな一大シーン、税関吏たち、往き来する群衆、驢馬たち、牝山羊、駱駝、埃の中で遊ぶ少年たち、腐った水の溜池……
イエスと使徒たちが、全身撮影で、市の城門を横切ってゆく。そこには活発な往来の中、一団の「税関吏」が集っている。
連中の一人、そのクロースアップ。

 税関吏 おまえらの〈師〉は税金を払わないのか?

パン撮影で、通り過ぎてから立ち止まって、クロースアップの、彼を眺めるキリスト……

ペテロ 払う…… 

 ……そしてまた歩きだす。
びっくりし、また少しがっかりもして彼を眺めるペテロ、そのクロースアップ
その優しく、かつ厳しい皮肉をこめて彼を眺め返すキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト シモン、きみはどう思う? 地上の王たちは誰から税金や貢ぎ物を受け取るのか? 王の子たちからか、それとも他人からか?
ペテロ 他人から……
キリスト ならば、子たちは税を免れるわけだ。けれど連中を躓かせぬよう、きみは湖へ行って、釣針を垂れ、最初に来た魚を釣りあげよ、そしてその魚の口を開けると、貨幣が一枚あるだろう。それを取ってぼくときみの分として連中にやるがよい……

そして相変らず移動撮影が先行してクロースアップで歩みゆきながら「二ドラクメ銀貨を取り立てる連中」のほうに視線を投げる。彼らはあそこにいる、一団となって城門のアーチの下に「リアリスティックな偉大な構図」どおりに。

急速な溶暗。





    84  カファルナウムの家。屋内=屋外 昼
             (イスラエルまたはヨルダン)


 新たなリアリスティックな大きな構図。むしろ小さなと言うべきか、なぜなら「小さな者たち」の場所だから。それは一軒の食堂か、それともイエスをもてなす家かの内側の中庭である。内側の鄙びた中庭には大きな庇があって、その下にキリストは使徒たちと集って、歩きづくめの旅のあとのしばしの休息と回復にあてている。大庇の陰が燃えあがる太陽の光線から彼らを庇っている。その光は彼らの背後で中庭の埃を白熱させ、埃の上に散らばる農具や、田舎風の囲い壁や、心張り棒や、板囲いを炎暑で薔薇色に染めあげている。家畜小屋や疎らな小樹やフィキディーンディアも…… あそこ、あの光の中でカファルナウムの「内側の」粗削りな暮しが繰り広げられている。老婆たち、子供たち、家畜たち、みな平和そのものだ。
丸太を割った大食卓のまわりに、切株の腰掛けに腰を降ろしたキリストとその弟子たちに給仕するのは、十三、四歳の小柄な少年で、汗びっしょりで喘ぎながらも、上品にのびやかに熱心に動き回って、彼よりも大きな器を持って席の間を回っている。その後ろには衣服の裾にしがみついて、四、五歳のずっと小さな弟が小走りについてゆく。
寂とした静けさの中で、咀嚼するキリストとその使徒たち、そのクロースアップ
使徒のひとりは食べずに、おのれの考えにわれを忘れたかのように、おのれの感情を揺さぶる疑問にひたっていたが、ようやく煌めく目を上げる。

使徒 誰が天国で最も偉大なのか?

彼を見つめながら、なおしばし咀嚼し続けるキリスト、そのクロースアップ
それから彼は兄の服に忠実に縋りつく幼児に目を転ずる。兄のほうはすっかり息を切らせながら、大きな取っ手つき瓶を抱えていま着いたところだ。
そのときキリストは幼児の片腕を優しく掴まえて、尻込みしてまごつくその子を膝の上に乗せる。
それから、クロースアップで、おもむろに優しく話しだす。

キリスト ほんとうに言っておくが、もしきみたちが悔い改めて幼子のようにならなければ、きみらは天国には入れまい。それゆえこの子のように小さくなる者が天国では最も大いなる者なのだ。
 またわが名のためにこの子のようなひとりの幼子を受け入れる者はぼくを受け入れるのである。
微笑みながら男の子の髪の毛のもつれたうなじをそっと愛撫してから放してやる。彼はすっかり陽気に感激し、再び小柄な兄のそばで走る。その兄はまた取っ手つき瓶を抱え、疲れてなお優美な不器用さで客たちに飲物を注ぐ。

キリスト しかしぼくを信じるこれらの小さな者のひとりを躓かせる者は誰であれ、首に水車場の挽き臼を懸けられて、海の深みに真っ逆さまに投げ落とされたほうが、むしろ彼にとってはましとなろう。
 禍なるかな、この世は、躓きあるゆえに!
 躓きの起るは避けがたいが、躓きをもたらす人は禍なるかな!

一心に彼らの仕事をしている幼い少年たちを愛情をこめ、なおも見守る。それからまた語りだす。けれどもこうした言葉を読むと想像しがちな厳しさや憤懣をこめてではなくて、この世に宿命的に起ることについて忠告する者の優しさをこめて。

キリスト いま、もしきみの手、または足がきみの罪のもとであるならば、それを切り離して投げ捨ててしまえ。
 きみにとっては手、腕なしに、または跛で〈生命〉に入るほうが、両手、両足揃って永遠の火の中に投げ入れられるよりも勝るのだから。
 そしてもし目がきみの罪のもとならば、抉りだして捨ててしまえ。
 きみにとっては片目で〈生命〉に入るほうが、両眼を全うして火の地獄に投げ入れられるよりも勝るのだから。
 これら小さい者のひとりでも侮らぬように心せよ。なぜなら言っておくが、彼らの天使は天にあって、天にいますわが〈父〉の顔をいつも見ているからだ。

小柄な少年は食卓を回るその仕事を終え、いまはキリストの脇にきて彼に飲物を注ぐ。キリストはコップを取って一口飲むが、にわかにある考えが彼の瞳を過って、飲むのを止めて根気よくまた話しはじめた。

キリスト きみらはどう思うか? もしある男が百匹羊を持っていてその一匹が迷ったなら、他の九十九匹は山に残して、行って迷った一匹を探さないだろうか? そしてもしその一匹を見つけることが出来たなら、ほんとうに言っておくが、彼は迷わなかった他の九十九匹よりもこの一匹ゆえに喜ぶことだろう。このように天にいますきみらの〈父〉の意志はこれら小さい者のひとりとして道に迷わぬことにあるのだ。

そうして彼は楽しげな目をしてまた飲みだす。
いま少年は相変らず脇に彼を手伝う小さな弟を従え、自分を覆い隠すほど大きな果物籠の下に体を潜らせた可笑しな姿で現われて、大籠を曳きずりながら客たちに果物を配る。
キリストが果実を一つ取ってそれをまさに食べようとする。けれどまたもや彼の止めようのない教える意志と善いものを伝える意志とに囚われ、果実を皿の上に置き、新たな考えにわれを忘れた遠い目をし、すぐに言い表す。

キリスト もしきみの弟がきみに対して過ちを犯したなら、往ってきみと彼のみ、さしで叱れ。
 もし聴くならその弟を得たわけだ。
 もし聴かぬなら、ほかに一人、二人連れゆき、何事も二人、三人の証言によって確かめられるようにせよ。
 それでも聴かぬなら〈教会〉に告げよ。
 そしてもし〈教会〉にても聴かぬなら、彼を異教徒または取税人ごとき者と見なせ。
 断っておくが、きみらがこの地上で繋ぐすべてのものは天上でも繋がれ、またきみらが地上で解くすべてのものは天上でも解かれることだろう……

彼の言葉に耳を傾ける使徒たち、そのクロースアップ。

キリスト もう一つ断っておくが、もしきみたちのうち二人がこの地上で求めるものについて心を一つにするならば、何であれ求めるものは天にいますわが〈父〉によって彼らに叶えられるだろう。
 なぜならそこ、二人、三人とわが名によって集るところには、ぼくが彼らの真ん中にいるからだ。

ペテロのクロースアップ。

 ペテロ 〈主〉よ、もし弟がぼくに対して過ちを犯したら、何度彼を許さねばならないか? 七度までか?
 キリスト 七度までとはいわない、七度を七十倍するまでだ。

長い沈黙。誰もが食卓のまわりで祈るみたいに一心に考えに耽っている。
幼い少年はすっかり汗まみれになってその義務を果たしおえると、庇の陰の大石の上に坐って、幸せに軽やかに口笛を吹きだした。そして幼い弟は嬉しそうに兄を眺める。
やがてキリストは休みなしに真実を伝えるその霊感に囚われて、背景の石灰塗りの壁の白い光からくっきりと切り離された黒く暑い陰の中を、庇の下を食卓に沿って行ったり来たり歩きはじめた。
半身撮影パン撮影が彼を追う。
彼を眺める使徒たちの顔々、その左右対称のパン撮影。 相変らずパン撮影を従え、行ったり来たり歩きながら、キリストが話しだす。

キリスト それゆえ天国はこうも譬えられようか。
 ある王が下男どもに貸した金の決済をしようとする。さて決済を始めて、一万タラントの負債ある下男が連れてこられた。この下男には返す術もなかったから、その主人は彼とその妻子と家財一切を売り払って償うように命じた。しかしその下男が足元に平伏して、
 「主よ、どうか辛抱なさって、全部返しますから」 
 と、しきりに願う。そこで主人はこの下男を憐れに思って、放してやり負債を免除してやった。

 幼子みたいに一心に耳を傾ける使徒たちの顔々のパン撮影
行ったり来たり歩きながら、譬え話を続けるキリスト、そのパン撮影

キリスト 外に出たとたん、この下男は自分に百デナリオンの借金をしている仲間の一人に出くわした。そこで喉を締めあげて、彼に言った。
 「貸した金を返せ」
 その仲間は足元に平伏して、
 「どうか辛抱してくれ、全部返すから」
 と、しきりに願った。けれどその下男は聞き入れず、それどころか往って、借金を返すまで仲間を牢屋に放り込んだ。

使徒たちをパン撮影、またキリストをパン撮影。

 キリスト 仲間たちはそのなりゆきを見ていて、あんまりだと思ったから、行って主人にその一部始終を告げ口した。そこで主人は当の下男を呼び出し、彼に言う、
 「非道な下男め、おまえがしきりに願うから、おまえの借金は全部免除してやったというのに。わたしがおまえを憐れんだのと同じように、おまえも自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったのか?」
 で、怒って、主人はその下男を拷問役人に引き渡して借金を全部吐き出させた。

こう話し聞かせて立ち止まり、深く厳粛な感動に捉えられていたが、クロースアップで、佇んだまま話を締めくくる。

 ……もしきみらの一人ひとりが心からおのれの兄弟を許さないならば、このように天のわが〈父〉もまたきみたちになさるであろう。  





   85  エルサレムへ向かう途中のある村の広場。 
         野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)


彼らの羊皮紙、彼らの書物を手にその豊かな衣裳の襞の中に閉じ籠もった一団のファリサイ人が──貧しい小村の埃っぽい広場に、大木の平たく丸い木陰にじっと佇んでいる。
人生の形ばかりの成熟に蝕まれ、純真さの微塵もない男たちの露わな顔、その顔々をパン撮影
太陽に灼けた広場、つましい家並、厩舎をバックに使徒たちの間を歩みくるキリスト、そのクロースアップ

ファリサイ人 いかなる理由であれ、おのれの妻を離縁するは法に適うか?

彼の前に立ち止まって厳しく答えるキリスト(挑発には乗らずに、と今日なら言うところだろう)、そのクロースアップ。

 キリスト おまえたちは読まなかったのか? 
 〈創造主〉は始めから人を男と女に創り、そして言われた、
 「それゆえ人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人の者は一体となるであろう」 
 と。だからもう二人の者ではなくて、彼らは一体なのだ。それゆえ〈神〉が結び合わされたものを、人が分ち離してはならない。
 ファリサイ人 ならばなぜモーセは離縁状を与えて追い出せ、と命じられたのか?
 キリスト おまえたちの心の頑さゆえに、モーセはおまえたちがその妻を離縁することを許したのであって、始めからそうであったのではない。いまはぼくがおまえたちに言っておく、妾でもないのにその妻を離縁して他の妻を娶る者は誰であれ、姦通の罪を犯している……
 ファリサイ人の小グループは後ろ姿を見せてゆっくりと立ち去ってゆく。代わってキリストに質問しだしたのはいまは使徒たちだ。
ひとりの弟子、そのクロースアップ。

 弟子 人と妻との条件がそのようなものであるなら、結婚しても割に合わない。 

広場の真ん中に立つ大木の陰のほうへ歩みだしながら、答えるキリスト、そのクロースアップ、使徒たちも彼に続く。

キリスト 誰もがこうした言葉を分るわけではない、ただ授けられた者だけがそのことを分るのだ…… 母親の胸元にあるころから生れながらの去勢者であった者もいる……

ぽつんと立つ大木の蔭に憩って、いまはみな後ろ姿である、その全身撮影
そして話しおえようとする後ろ姿のキリストの声が聞える、その彼の最後の言葉あたりに村の中から騒ぎが聞えだした。

 人びとの騒ぎ。

 キリスト ……また人びとによって去勢者にされた者もいるし、果ては天国のためにみずから進んで去勢者となった者までいる。理解できる者は理解せよ。

 いっそう激しい人びとの騒ぎ。

一行に届く騒ぎの音に彼らは振り返った。彼らはすでに木蔭にいて、村の白じろとした奥をバックに黒ぐろと見えたのだが、全景撮影で、村の反対側から太陽の炎の中を数十人もの人たちが、多くは女たちだがそれに母親たちに背中を押されて、ややおずおずとやって来る、たくさんの実にたくさんの少年少女たちを見る。彼らは手に手に果物や花々の捧げ物を持っている。この小さな甘美な群れがキリストのそばまで達し、興奮と混乱をもたらす。

母親たちの声 〈主〉よ、御手を子らの上に置き、彼らのために祈ってください! 

使徒たちは、こうしたこと一切が彼らの〈主〉を煩わすと思って、これらの女たちや、大声を立てているこれらの子供たちを押し退けようとする。

使徒たち 退け、行って〈主〉をそっとしておくように!

優しい微笑みで明るい顔のキリスト、そのクロースアップ

キリスト 子供たちを放して、ぼくのところに来る邪魔はしないように。なぜなら天国はこのような者たちのものだから……

 使徒たちが退く。幼子たちはその母親たちとまわりを輪になって取り囲み、キリストはまず何人かの巻き毛、何人かの陽に灼けたうなじを優しく撫で、ついで一心に子らのために長い間祈る、そのクロースアップ
信頼をこめて彼を見つめる幼子たち、そのクロースアップ
祈りおえ、ついに目をあげて彼らを見るキリスト、そのクロースアップ、子らの願いを聴きいれたというかのように……
すると子らはたいへん騒ぎ立って広場の彼のまわりで踊り遊び始める……
こうした陽気な混乱のさ中に、馬に乗って、下男たちの一隊を従えながら、ひとりの若者が通りかかる。彼は美しく、着ている衣裳や身につけている金の類から金持に見える。
キリストと彼のまわりで遊び戯れる子らを眺める若者、そのクロースアップ。

 金持の若者 師よ、永遠の生命を得るためには、どんな善いことをぼくはしなければならないか?
 キリスト 善いことについて、なぜぼくに訊くのか? ただひとりのみが善い者だ。それゆえきみが〈生命〉に入りたいのなら、戒めを守れ。
 金持の若者 どれを?

あたりでは騒ぎがいくぶん遠のいて嬉しげになったように見える。

キリスト その戒めとはこれだ。殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証を立つるなかれ、父と母とを敬え、またおのれのごとくなんぢの隣を愛すべし……
 金持の若者 ぼくはそうしたことはみな守ってきた。このうえ何がぼくには欠けているのか?

キリストは愛しそうに興味深く彼を見つめ、それから目をあたりに転じて見る。若者の首から手首まで、きらびやかに覆っている金の装身具を、そのディテール撮影。その下男たちを覆っている富の数々を、金の鉢、また高価な布地を、そのディテール撮影。

 キリスト きみ、もし全かろうと思うのなら、往ってきみの持物を売って貧しい人びとに施せ、そうすれば宝を天で得るだろう。それから来て、ぼくに従え。

若者は俄に自信を失い、悲しそうに彼を見つめる。それからおのれの富を見やる。彼の黄金、そのディテール撮影。彼の黒人奴隷たちによって運ばれている資産、そのディテール撮影
憂鬱になり、目には富への郷愁を溢れさせながら、そして彼に従いゆくことのできぬ苦しみもその目に宿しながら、なおも見つめる若者、そのクロースアップ
やがて無言のまま、下男たちの一隊を率いて立ち去ってゆく。
馬たちの地面を掻く蹄の音が消えてゆき、あたりの貧しい子供たちの叫び声がいっそう嬉しげに盛んになる中で、キリストが、クロースアップで、弟子たちを顧みる。

キリスト ほんとうに断っておくが、金持が天国に入ることは難しい。また言っておくが、金持が天国へ入るよりは、駱駝が針の穴を通ることのほうがかえって易しい。
 使徒 それではいったい誰が救われるのか?
キリスト(彼らを眺めながら) それは人には不可能なことだが、〈神〉なら何もかも可能だ。

ゆっくりと、全身撮影で、木の大きな木蔭の大きな石か、それとも粗末なベンチかに腰を降ろしにゆく。使徒たちが少年たちの忘れっぽいゲームの間を縫って彼に従い、彼のまわりに輪になって坐る。

ペテロ 見よ、ぼくらはすべてを捨てて、きみに従ってきた。ならば、ぼくらは何を得るのか?
 キリスト ほんとうに断っておくが、ぼくに従ってきたきみたちは、世が改まって人の〈子〉がその栄光の玉座に坐るときには、きみたちもまた十二の座についてイスラエルの十二の部族を裁くことだろう……

 幼子のように魅せられて耳を傾ける使徒たちの顔という顔。

 ……また、ぼくの名のために家あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは父、あるいは母、あるいは妻、あるいは子たち、あるいは畑を捨ててきた者は誰でも百倍の報いを受け、また永遠の生命を継ぐことだろう。だが先の筈の多くの者が後回しになり、後の筈の多くの者が先になることだろう。

 語りつくす衝動に囚われた彼を使徒たちが見つめる。あたりでは子供たちがいまはいっそう密やかに遊び、母親たちは固まって話し続けている。
休みないその思考の深みに沈んでキリストは数分間黙っていたが、やがて空に吸いこまれるように立ちあがり、全身撮影パン撮影に追われながら、広場とつましい家並の盲た白さをバックに黒ぐろと立つ木の暑い陰の中をまた往ったり来たりしはじめた。
新たな言葉を待つ使徒たち、その左右対称のパン撮影。

 キリスト 天国はぶどう畑の労働者を雇い入れるために日の出とともに出掛けた主人にも似るか。
 そして労働者たちと一日につき一デナリオンの取決めをして、彼らをそのぶどう畑に送った。第三時の九時頃出てみると、市場に空しく立つ者たちを見て、彼らに言う、
 「きみらもわたしのぶどう畑に往け、正当な賃金を払おう」
 と。
 そこで彼らは往った。第六時の正午と第九時の三時頃にまた出て、同じようにした。それから第十一時の五時頃に出てみると、他の者たちが立っていたので、彼等に尋ねた、
 「なぜきみらは一日中何もしないでここに立っているのか?」 
 彼らが答える。「誰もぼくらを一日の賃金では雇ってくれなかったからだ」 
 そして主人。「きみらもわたしのぶどう畑に往け」 

耳を傾ける使徒たちの顔、その顔々をパン撮影。そしてキリストは相変らず、パン撮影で捉えられながら全身撮影で、語り続ける。

キリスト 日暮れて、ぶどう畑の主人がその農場管理人に言う、
 「労働者たちを呼んで賃金を支払え、最後に来た者から始めて最初に来た者までだ」
 こうして第十一時の五時頃に来た者たちがいま来て、それぞれが一デナリオンずつ受け取った。それから最初に来た者たちが来て、彼らはもっと貰えると考えていたのに、やはり彼らもそれぞれが一デナリオンずつ受け取った。受け取る際に彼らは主人に対して呟いて言った。
 「この最後に来た連中はたった一時間しか働かなかったというのに、日長一日、暑さの中を働きずくめだったおれたちと同等に扱うのか、おまえは?」

前記のように使徒たちをパン撮影前記のようにキリストをパン撮影。

 キリスト しかし主人は彼らの一人に答えた、
 「友よ、わたしはきみに不正をしてないぞ。きみはわたしと一デナリオンの取決めをしなかったか? きみの金を取って、往け。わたしはこの最後の者にもきみと同じように支払いたいのだ。わたしは自分の物をわたしの好きなようにできないのか? 妬んでいるのはきみなのか、わたしが気がよいゆえに?」 

こう話して聞かせながら、キリストは立ち止まり、クロースアップで、歌を唄うみたいに話を締めくくる。

 ……このように最後の者たちが最初になり、最初の者たちが最後になるであろう。

溶暗。





   86  エルサレムへ向かう途中の野辺。野外 
                                                   昼(ヨルダン)


大都会エルサレムの暑熱のなか陽炎立つ遠くの眺望を非常にゆっくりと移動撮影。

 バッハの「死のモチーフ」が湧きあがり、拡がってゆく。

 キリストと使徒たちの、全身撮影で、一行に先行して非常にゆっくりと移動撮影、彼らは野辺の静けさの中を歩みきながら、エルサレムの遠くの眺望を見つめている、その上をゆっくりと移動撮影が動いてゆく……
再びキリストと使徒たちの、一行に先行して非常にゆっくりと移動撮影、そして再び陽炎とあの町の遠い輝きを非常にゆっくりと移動撮影
そしていまはあの眺望の中に彷徨う目をして歩みくるキリスト、そのクロースアップ、に被せて移動撮影。彼は長い間口を噤んでいるが、やがてあの遠い宿命的な地平線から目を引き離さずに、夢の中みたいに話して長い沈黙を間に交えながら言葉を吐く。

 キリスト 見よ、ぼくらはエルサレムに上る……

 移動撮影が先行して、ペテロのクロースアップ、彼は涙に目を光らせながら歩みくる……
前記のようにキリストのクロースアップ。

 キリスト ……人の〈子〉は祭司長、学者らに引き渡され……

 前記のようにもうひとりの使徒のクロースアップ、彼もまた不可解に感動して目に涙を滲ます。
前記のようにキリストのクロースアップ。

 キリスト ……彼らは彼を死に定め…

 前記のように泣きながら歩みくるペテロ、そのクロースアップ。
 前記のようにキリストのクロースアップ。

 キリスト ……また彼を異教徒の権力の下に渡して嘲弄し、鞭打ち、十字架に架けさせることだろう……だが三日後に彼は甦ることだろう。

 急速な溶暗。 





    87  エルサレムへ向かう途中の野辺。野外
                     昼


キリストの最後の言葉の谺がまだ残っているそのときに、太陽に貪り喰われた街道づたいに旅する人びとで一杯の荷車の列から声々や叫び声が上がる。ひとりの年寄りの女だ、六、七人の息子たちに追われて使徒たちの一団めがけて走り寄ると、ヤコブとヨハネに抱きつく。

 バッハの「死のモチーフ」が消えてゆく。

 ヨハネとヤコブの母親 息子や、あたしの息子たち……

やがて彼女はクロースアップでキリストに向き直る。無分別な、だが同時に感動的な渇望に溢れて。

 キリスト 何を望むか?
ヤコブとヨハネの母親 命じてください、このあたしの二人の息子たちがあなたの国で、ひとりはあなたの右に、ひとりはあなたの左に坐るよう!

キリストは彼女を厳しく見つめるが、その目は果てしなく辛抱強くもある。

キリスト きみたちは自分が何を願っているのか、分っていない。きみたちは飲めるのか、ぼくがこれから飲もうとする杯を?

彼らの母親の右と左に立つ、ヤコブとヨハネ、そのクロースアップ。

ヤコブとヨハネ ぼくたちは飲める

キリストは憐れみに囚われて、彼らをほろ苦く見つめる。

キリスト きみたちはなるほどぼくの杯を飲むことだろう。だがぼくの右と左に坐ることについては、それを決めるのはぼくではない。それにはわが〈父〉がそれに備えた人たちが当てられることになる。

立腹してヤコブとヨハネを睨む他の使徒たちの顔という顔、そのパン撮影。とりわけユダを。

キリスト きみたちも知るように、諸国の民を君主たちが支配し、権勢家たちが民衆に権力を振っている。しかしきみたちの間ではそうはなるまい。それどころか、きみたちの間で偉くなりたい者はきみたちの下男となれ、そして誰であれ、きみたちの間で一番上になりたい者はきみたちの下男となれ。

こうした最後の言葉を言いながら、彼はゆっくりと向き直り、歩みゆく、全身撮影でついでパン撮影で、後ろに使徒たちを従えて。
後ろ姿の全身撮影で、キリストは低い声でその言葉を締めくくる。

キリスト ……人の〈子〉が来たのは仕えられるためではなく、仕えるために来たのにも似て、また多くの人の贖いとしておのれの生命を与えるために来たのにも似て。

歩みゆく後ろ姿たちの上に……

溶暗。






88  エルサレムへ向かう途中の野辺。(エリコ
         の城門)野外 昼(ヨルダン)


正面に、果てしない徒歩の旅に疲れ切って、埃の中に足を引きずりながら歩みくるキリストと使徒たちの姿。二人の盲が道端の埃の上に襤褸にくるまってそこにうずくまり、二匹のけものみたいに彼らの希望のない夜の中に失われている。押しつぶされた蛆みたいに差し延べた首、高くもたげた頭、そして盲た両の目。

画面外の声 見よ、〈主〉だ、ダヴィデの子だ!

盲たちがいきなり起されたけものみたいに立ちあがり、手探りして進み、倒れて、また立ちあがり、探りながら走ってまた倒れ、とうとう埃の中に身を投げるようにして跪く。

盲たち 主よ、ダヴィデの子よ、ぼくらに憐れみを!

そのうちにも人びとが集まってきて、人びとは盲たちを後ろに押し退け、突き退けしたから、彼らは手探りで進んでは倒れ続ける。

盲たち 主よ、ダヴィデの子よ、ぼくらに憐れみを!

彼らの前に立ち止まるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト きみたちはぼくにどうして欲しいのか?
盲たち 主よ、ぼくらの目が開くようにしてください。

全身撮影で、キリストが近寄り、彼らの目に手を触れる。
涙と喜びに光り輝く開いた両の目、そのディテール撮影。

溶暗。







       89  エルサレムの城門前。
        野外 昼(ベトファゲ。ヨルダン)


エルサレムの城門の全景撮影。じっと動かない広大なショット、群衆と太陽と。祭りの気配がする。優美に行き交う人びと、徒歩で、馬で、駱駝で……
こうした映像の上に高く、抗しがたく、このうえなく力強く預言の成就を告げる音楽が爆発する。

 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が非常に強く鳴り渡る。

キリストと使徒たちが埃だらけの街道に立ち止まり、郊外の惨めな家並の間で、貧しい人びとの最下層の蠢動の中で、眺めている。
キリストのクロースアップ。

 キリスト 向いの部落に往って、仔驢馬といっしょに繋がれた牝驢馬がすぐに見つかる。解いて、ぼくのところへ牽いてきなさい。そしてもし誰かが何か言ったら〈主〉が要るのだがすぐに送り返す、と答えよ。

こうした言葉に、彼らの使命のこの最高の瞬間という熱狂にかられて、子供みたいに快活にいそいそと何人かの使徒たちが走りだし、キリストが彼らを遣わしたあちらへ向う。
見よ、彼らが、全身撮影で、埃だらけの街道を走って下水渠の溝を跳び越え、小さな牧場の一種の臭い「肥の堆」をいくつも跳び越えて、ひと塊のあばら家の間に消えてゆく…… 使徒らのこうした行動と帰る道すがらの行動のうえに預言者の音楽に合わせて預言の言葉が響きわたる。

預言の言葉 シオンの娘に告げよ、
 「見よ、おまえの王がおまえの許に来たる。温和にして、牝驢馬に乗り、荷駄のけものの小さな若駒を牽いて」

見よ、あの下のほうに彼らが泥だらけの粗末な家並の背後からまた現れ、相変らず走りながら牝驢馬と仔驢馬を牽いてくるが、驢馬たちは抗い、お道化てだくを踏む。
そして一群の少年たちがその後を追って騒ぎ立てながら、また小牧場を越え、溝を越え、キリストめがけて走ってくる。
使徒たちみながそのマントを牝驢馬の背に被せて、その上にキリストが跨がるのを手伝う。そのうちにも後ろで少年たちが大勢集ってきて、口から口へと叫び声を伝えてゆく。

声々 イエスだ、ダヴィデの子だ!



あの下のほう、町の城門のあたりにも人びとが犇めいている。キリストは、パン撮影に追われつつ、牝驢馬を御しながら、使徒たちに囲まれて進みゆく。そしてその周りでは群衆が跪きはじめる。何人かはそのマントを埃のうえに投げだし、キリストがとおる絨毯とした。他の者は木々の葉枝を剪りに走って、キリストのためにあの絨毯をいっそう祭りに相応しく豊かにしようとした。
いまは群衆みながマントや葉枝をキリストの進む先に投げだし、襤褸を纏って幸せな群衆の真只中をキリストは驢馬に跨がってゆく。そのうちにも預言の言葉がこのシークエンス中ずうっと語り続け、非常に力強い成就のモチーフがそれに続く。

預言の言葉 ダヴィデの子にホザンナ!〈主〉の名によって来たる者に祝福あれ! 諸天の最も高き天にてホザンナ。

そうしてキリストは葉枝や羅紗をうち振る群衆の間をエルサレムの城門の中に入る。






   90 神殿前。野外 昼
     (エルサレム、ヨルダン)


 大声で叫びあう大群衆が前に犇めく神殿、その移動撮影

 相変らずバッハの「プロフェーティコ」のモチーフが続く。

キリストが驢馬に乗って、全身撮影で、使徒たちに囲まれ、祭り騒ぐ群衆の間を、パン撮影に追われつつ、進みゆく。神殿の前に着くと驢馬から降りて中に入る。





  91  エルサレムの神殿の中庭。
        屋内 昼(ヨルダン)


口を噤んで眺めるキリスト、そのクロースアップ。彼の目は次第にこのうえない怒りに漲ってくる。
一種の市場である神殿、その全景撮影。商人たち、両替商たち、大騒ぎをする子供たち…… 何度目かのリアリスティックな一大シーン。
すでに怒りに囚われているキリスト、そのクロースアップ。そして全身撮影、ついでパン撮影で、神殿に入り、そして見よ、なんと凄まじいことか、その力を前にしては何者もなす術を知らずただ唖然として不安げに眺めているほかはない。両替商たちの台という台、鳩売りの腰掛けという腰掛けをひっくり返しはじめる。鳩たちは驚いて狂ったように舞いあがり、飛び去ってゆく……
鳩たちの狂ったような乱舞飛翔のこのショットは、キリストが全身撮影で、ほかの台や、ほかの腰掛け、商人たちのほかの「露台」をひっくり返して喩え難い混乱に陥らせるショットと代わりあう……
その場に駆けつけるファリサイ人たちのショットの中にキリストのクロースアップ、彼は叫び、恐ろしげで、何もかもひっくり返すのを止めようとはしない。

キリスト こう録されてある、
 「わが家は祈りの家となるであろう。」
 と。ところがおまえたちはそれを盗人どもの巣窟にしている!

やや鎮まった鳩たちの飛行ぶり、飛び去ってゆく…… そしていまは撮影レンズが、全景撮影で、神殿に入ってくる新しい群衆をフレイミングする。盲や、跛や、病人たち、それに彼らの親類たちだ。希望に、喜びの涙に燃えあがる目、目、目のディテール撮影。少年たちの群れがいくつも彼らにも分らぬ昂奮にかられ、喜びに囚われて、パン撮影、そして全身撮影で、踊るかのように走り回る。

少年たち(童歌でのように) ダヴィデの子にホザンナ!

憤慨したファリサイ人たち……を移動撮影。はしゃぎ回って駆け寄る子供たちの群れのいくつかを二、三回無秩序にパン撮影

少年たち ダヴィデの子にホザンナ! ダヴィデの子にホザンナ!

 ファリサイ人の一団の中を移動撮影

ファリサイ人 おまえは彼らのほざくことが聞えないのか?

キリスト、そのクロースアップ。

 キリスト 聞える。おまえたちこそあの件をまだ読んでないのか?
 「幼子や乳飲み子の口からあなたは讃美の言葉を浴びる」 
 とある。

少年少女の群れがいくつも駆け寄って、輪になりながら叫ぶ。

少年少女たち ダヴィデの子にホザンナ!

楽曲「プロフェーティカ」の至高の調べの中、祭りと祈りに溢れかえる神殿、その全景撮影。

 溶暗。 





   92 ベタニアの家。屋外 夜(ヨルダン)


夜である、果てしなく静かな夜、ただ神秘的な寝息ばかりが聞える。ベタニアの家、その屋外の全景撮影。

 バッハの「プロフェーティコ」のモチーフがゆっくりと消えてゆく。

静けさの中でいまここに眠りに浸る使徒たちの身体を一人ひとり、全身撮影。中庭の草の上に寝る者もあれば、家の中に寝る者もある。何ひとつ彼らの底知れぬ深い密な眠りを妨げるものはない。

 溶暗。





    93 ベタニアの家。屋外 昼


 いまでは太陽が戻ってきた。夜明けのとびきり新鮮な色彩の中でベタニアの家、その屋外の全景撮影
兎唇の老婆の門番がゆっくりと開ける。と、目の覚めたばかりのキリストが出てくる。遠くで雄鶏たちが歌っている。キリストは歩みゆき、やがてクロースアップであの下のほう、生まれたての一日の不思議な黄金色の光の中に失われたエルサレムの眺望を眺めやる。
底知れぬ深い悲しみに囚われて見つめるキリスト、そのクロースアップ。

 声々、滑車の軋る音。

そのうちに彼のまわりで世界がまた目覚める。最初の声々と、井戸の中で軋る滑車の音が聞える。
ベタニアの家の壁をバックに、全身撮影、ついでパン撮影で、また起き出したばかりの使徒たちが着直していて──誰かが桶で顔を洗っている──キリストが家の前の庭先に立っている一本の無花果の木に近寄る。かがんで竿を取り、その竿で葉叢に小さな果実を探す。だが、一つも見つからない。
実のない葉枝と葉っぱのディテール撮影。キリストは怒って竿を遠くへ投げだして木を睨む。
立腹したキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト おまえは永遠に実を結ばぬがよい!

 すると見よ、たちまち無花果はすっかり枯れて、まるで火が一瞬のうちに木を貪り灼いてしまったみたいだ。使徒たちが、全身撮影で、枯れた木の下のキリストのほうへ歩みくる。

使徒 いったいどうしてたちどころに枯れてしまったのか?

キリストが、全身撮影で彼らのほうを振り向く。
キリストのクロースアップ。

 キリスト 本当に断っておくが、もしきみらが信仰を持ち疑わなければ、ぼくがいま無花果の木にしたことが出来るばかりか、きみらがこの山に、
 「そこを立ち退き、海に身を投げよ」
 と言えば、そのとおりになるだろう。そして祈りの中で、きみらが信仰をもって求めることは何もかも得られることだろう。

やがて全身撮影で、向き直り、パン撮影に追われて、使徒たちを後に従え、エルサレムへ向けて歩みだす、その後ろ姿が遠ざかってゆくまで……
夜明けの太陽の光の中、エルサレムの、遠くの眺望をパン撮影





     94 神殿の中庭。屋内 昼


神殿の内部で祭司長や長老たちの一団を移動撮影、彼らはキリストを眺めている。キリストは、全身撮影で、使徒たちを従え、神殿に入って彼らのほうに歩みくる。
彼らのひとり、例の一番弱いがゆえに一番狂信的な、顔にヒステリーの紅斑を浮かべた男が冷静になりたいくせに出来ぬ者の割れた声ですぐさまキリストに襲いかかる。

祭司長 なんの権威をもっておまえはこうしたことをするのか? それに誰がおまえにそういう権威を授けたのか?
 キリスト ぼくもおまえたちに一つだけ訊こう。そしてもしおまえたちが答えるなら、ぼくもまたなんの権威をもってぼくがこうしたことをするのか言うとしよう。ヨハネの洗礼はどこから来たのか、天からか、それとも人からか?

弱者の顔をいっそう醜悪にする憎しみの惨めなしかめ面をして、ひとりの司祭がその盲た確信の性急さをもって彼に答えようとしたが、もうひとりが彼を引き止める。こちらはずっと知的だし、ずっと冷静だ。

カイアファ(小声で) われらが「天から」と言えば、彼は
 「ならばなぜ信じなかったのか?」
 と言うだろう。
 またわれらが「人から」と言えば、群衆を恐れねばならない……

この言葉の決闘に無言の不安をもって立ち会う不可解にも威嚇的な群衆、そのパン撮影

……なぜなら、ヨハネは預言者だとみな思っているのだから!

それから声を高め、キリストに向き直って、

カイアファ われらは知らない!
 キリスト ならばぼくもなんの権威をもってこうしたことをするのか言うまい。

 緊張を解かれて、目に笑いを浮かべている群衆、そのパン撮影

キリスト おまえたちはどう思うか? ある男にふたりの息子がいた。長男に向かって男が言った、
 「わが息子よ、今日行って、わたしのぶどう畑で働け」
 すると長男は答えた、
 「主よ、往きます」
 ところが彼は往かなかった。それから男は次男に向き直って同じことを命じた。すると次男は答えた。
 「いやだ。往きたくない」
 だが後で、次男は後悔して出掛けた。このふたりの息子のうちどちらが父親の意志を実行したか?

権威者たちの自信がない、疑り深い顔という顔をパン撮影。ついに、

カイアファ 次男だ。
 キリスト 本当におまえたちに断っておくが、取税人と遊び女とはおまえたちよりも先に〈神〉の国に入る。
 なぜならヨハネが来ておまえたちに〈正義〉の道を示したのに、おまえたちは彼を信じなかったから。
 けれども取税人と遊び女たちとは彼を信じたのだ。さらにそれを見たおまえたちはその後でさえ悔い改めて彼を信じようともしなかった……

ファリサイ人の顔々。皮肉な顔、押し殺した妬みと無力な怒りの漲る顔、心乱れた顔……
そのうちに画面外で、キリストの声がこうした顔々の上にまた語りだす。

画面外のキリストの声 もうひとつ譬え話を聴け。
 昔ある主人がいて、この者はぶどう畑を作った。ぶどう畑には垣根を巡らし、中に搾り場を掘り、櫓を建て、それからこのぶどう畑をぶどう畑の労働者たちに貸して旅に出た……

 いま撮影レンズはヘロデ党の面々をフレイミングする。彼らも様々な感情、自信のなさ、魅惑、恐怖……に囚われながら耳を傾ける。

 画面外のキリストの声 収穫のときに、彼のぶどう畑の成果を回収しようとその下男たちをぶどう畑の労働者たちの許へ遣わした。だがぶどう畑の労働者たちはその下男たちを捕らえて、ひとりを棒で打ち叩き、もうひとりは殺し、三人目は石を投げつけて殺した。再びほかの下男たちを、今度は前回よりも大人数で送った。けれどもぶどう畑の労働者たちは彼らをも同じようにあしらった。ついに彼らの許に息子を遣わしながら、「わが子は彼らも敬うだろう」 と言った。

そしていま撮影レンズはサドカイ派の面々の顔々をフレイミングする、彼らは深ぶかと考え込んでいる、キリストがおのれの生命を賭して権力者たちの前に引き出した問題の重大さに気がついているのだ。

画面外のキリストの声 だがぶどう畑の労働者たちは息子を見て、仲間うちで言い合った、
 「見ろ、あれが跡取りだ、みんな来い、やつを殺して、跡目はわれわれのものだ。」
 そして彼を捕らえて、彼をぶどう畑の外へ投げだし、彼を殺した。
 さてこのぶどう畑の主人がやって来たとき、彼はこれらのぶどう畑労働者たちをどうするだろうか?
カイアファ その浅ましい連中を、浅ましく死なせることだろう。そしてぶどう畑はほかのぶどう畑労働者たちに貸して、彼らが季節ごとに成果をもたらすことだろう。
 キリスト 〈聖書〉にあるのをおまえたちはまだ読んでないのか? 
 「建造者たちの棄てた石が……

 いまは撮影レンズが子供たちをフレイミングする、前日にあれほど叫んだ少年少女たちかもしれない。彼らは信頼しきって口を開けたまま、キリストの話に聞き入る。

画面外のキリストの声 ……隅の親石となった。これは〈主〉の御業にてわれらの目には奇しきこと」
 と。

キリストのクロースアップ。

 キリスト それゆえおまえたちに言っておくが〈神〉の国はおまえたちから取りあげられて、その実を結ばせる民衆に与えられることだろう。そしてこの石の上に倒れる者は打ち砕かれ、またこの石が倒れれば、その下敷きになった者は粉微塵になるであろう。

恐怖をもって、憎しみをもってキリストを睨む権力者たち、そのクロースアップ
待ち構え、かつ無関心に眺めるひとりの武装兵士……を見やる大祭司、そのクロースアップ。

 バッハの「死のモチーフ」が力強く爆発する。

その剣のディテール撮影。このディテール撮影に被せて、キリストの声がまた語りだす。

画面外のキリストの声 天国はある王にも譬えられようか。 この王は王子の婚宴を催して家来たちを遣わして婚宴の招待客たちを呼ばせたが、彼らは来たがらなかった。再びほかの家来たちを遣わして招待客たちに言わせた。
 「見よ、宴の用意は整った、わが牡牛も肥えさせた家畜も屠られて、すべては整った。婚宴に来たれ」
 しかし招待客たちは気にも留めずに出掛けてしまった。野良に往く者もあれば、商売に往く者もあった。さらにほかの者はその家来たちを捕らえて、彼らを凌辱し殺した。そこで王は立腹し、軍隊を急派して皆殺しにしてその町を焼き払った。それから家来たちに言った。
 「婚宴は整ったが、招待客が相応しくなかった。それゆえ往来の辻々に往って立って、出会ったほどの者はみな婚宴に呼べ」

こうした言葉の流れるうちに、撮影レンズがさまざまな兵士たちを全身撮影でフレイミングする。彼らは神殿のそこかしこに「公共の秩序の理由」で散らばり、その場に無情に、無感覚に立って、秩序の人としておのれの命令を遂行することに注意を傾けている。
 ……そこで家来たちは町中に出て、遇うほどの者はみな悪人も善人も集めたので、広間は会食者たちで溢れた。会食者たちを見に入った王はひとりの男が礼服を着てないことに気がついた。そして彼に王が言った、
 「友よ、どうしてきみは礼服なしにここへ入ったのか?」
 男はそこに、無言のままでいた。そこで王が家来たちに命じた、
 「こやつの手足を縛って、外の闇の中に放り出せ。あちらで泣いて歯噛みするがよい」

こうした言葉の流れるうちに、再びカイアファと第一のヘロデ党員、それに第一のサドカイ人が耳を傾ける。

キリスト なぜなら招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。

 無言。カイアファが第一のヘロデ党員に視線を向けると、この男がその視線を返し、やがて偽善者的にキリストに向き直り、有能な弁護士然として平然と言う。

ヘロデ党員 師よ、われらは知る、きみは真摯にして〈神〉の道を率直に教え、だれ憚ることがない。人間の条件を顧みないのだから。それゆえどう思うのか、言いたまえ、
 「貢をカエサルに納めるのは、律法に適うか、それとも否か?」
キリスト 偽善者たちよ、なぜぼくを陥れる? 貢の金をぼくに見せよ。

ヘロデ党員は財布から銀貨を一枚取り出し、手のひらに載せて差し出す。

キリスト これは誰の肖像、誰の銘か?
ヘロデ党員 カエサルのだ。
キリスト ならばカエサルのものはカエサルに、〈神〉のものは〈神〉に納めよ。

ひとりの兵士の剣のディテール撮影、一方で……

「死のモチーフ」が非常に強烈に響きわたる。

第一のサドカイ人を唆すかのようにちらと横目で見るカイアファ、そのクロースアップ。するとこの男もカイアファをちらと横目で見てから、キリストに向き直って言う。

第一のサドカイ人 師よ、モーセ曰く、
 「人もし子なくして死なば、その兄弟かれの未亡人を娶りて兄弟のために跡継ぎをもうけねばならぬ」
 と。さて、われらのところに七人兄弟がいた。長男が妻を娶ったが死に、子がなかったので、その妻を兄弟に残した。次男、三男も、ついに七男まで同じ仕儀となった。最後に兄弟みな死んだのちに、その女も死んだ。ならば復活のときに、その女は七人兄弟のうち誰の妻となるのか?
キリスト おまえたちは誤っている、〈聖書〉を理解せず、〈神〉の力も悟らないからだ……

キリストの返事の終るのを待って、信頼しきって縺れあっている子供たちの顔という顔、そのパン撮影

 ……復活のときには実際、娶らず、嫁がない。復活した人たちは天にいます〈神〉の天使たちにも似る。

彼らの〈主〉の哲理の勝利を共に味わいつつ、参加して、微笑み交わしている少年少女の顔という顔、そのパン撮影

キリスト 死人の復活については〈神〉がおまえたちに告げた言葉をおまえたちは読まなかったのか?
 「われはアブラハムの〈神〉、イサクの〈神〉、ヤコブの〈神〉である」
 とある。彼は死者の〈神〉ではなくて生者の〈神〉なのだ。

ひとりの兵士の剣のディテール撮影

再びさらに強烈にバッハの「死のモチーフ」が響きわたる。

横目の視線をその剣からつと外し、キリストを睨むカイアファ、そのクロースアップ。

 カイアファ 師よ、〈律法〉のうちいずれの掟が最も大いなるか?
キリスト おまえは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、おまえの〈神〉である〈主〉を愛すべし……

貧しい人びとの埃っぽい縺れた髪の頭を傾けて、熱心に聴く少年たちをパン撮影。

 キリスト これが最も大いなる第一の掟である。第二もまたこれに似て大いなる掟である、
 「おのれのごとく、おまえの隣を愛すべし」
 〈律法〉全体と〈預言者〉たちはこの二つの掟に基づいている。

口を噤んで、感心しきって味方する子供たちの顔という顔、そのパン撮影。彼らの上にまた語りだすキリストの声が画面外で響きわたる。

キリスト おまえたちはキリストについてどう思うか? 誰の子か?
カイアファ ダヴィデの子だ。
キリスト ならばどうしてダヴィデは聖霊に感じてキリストを〈主〉と呼んでいるのか? 曰く、
 「〈主〉がわが〈主〉に言った、『わが右に坐せよ、われがおまえの敵をおまえの足の下に置くまでは』 と」 
 このようにダヴィデがキリストを〈主〉と呼んでいるのであれば、どうしてキリストがダヴィデの子でありうるのか?

ファリサイ派の人びと……をパン撮影。ヘロデ党の人びと……をパン撮影。サドカイ派の人びと……をパン撮影。少年たち……をパン撮影。誰もかも黙り込んでしまい、彼を見つめている。その一方、彼らの沈黙の上に「死のモチーフ」が鳴り渡りながら、消えてゆく。

「死のモチーフ」が消えてゆく。

 溶暗。




    95  エルサレムの広場。野外 昼
          (エルサレム、ヨルダン)


(このシークエンスでは、また今後のすべてのシークエンスでは──〈最後の晩餐〉まで──撮影レンズは気が触れたかのようだ。これまで従ってきた単純さという全規範は左右対称や様式的正面性といったそこから決して逸脱することのなかった規範共ども、粉微塵になってしまったかのようだ。そして撮影カメラのバロック風の動きによって、壊れた斜めの左右非対称の様式が始まる。これはキリストがその公然たる説教の最高潮の日々に街中に巻き起こした「混乱」を強調するためである。いまは彼に耳を傾けているのは「大衆」であり、その混乱とその渾沌とした熱望をこめて聞き入っている。それはもはや人と人との間の単純で無垢の対話ではない。)
端から端まで続けて映し出される一団の兵士たち。ふつうのショット、ついでリバースショットで彼らをじっくり見ると、その武器とその配置は不自然に公平だが、実は党派的なものである。

 群衆の最高潮の喧騒が鎮まってゆく。

……を眺めているローマ軍の兵士たちの横顔を斜めからクロースアップ。より間近な群衆のうなじのクロースアップによって断ち切られた遠くの人たちの全身撮影までの陽炎たつ全景撮影
遠くのあの下のほうで、石の小山か踏み均らされた地面の「こぶ」か、小高いところにキリストがいて話している。静かになる。
クロースアップの隅で欠伸を漏らす、ひとりの悪相の兵隊。
非常に遠くで話しているキリスト、その全身撮影

キリスト(初めてのことに高声で、叫ぶみたいに) モーセの座を学者とファリサイ人が占めている。それゆえきみたちは連中の言うことは何もかも守って行え。だが彼らの行いは見習うな。
 なぜなら連中は言うだけで実行しないからだ。
 彼らは重くて背負いきれない荷を括りはするが、それを人びとの肩に載せて、自分は指一本動かそうとしない。
 連中のすることなすことみな人びとに見られようとしてのことばかりだ。やに幅広の聖句箱を持ち歩き、ケープの房を長くする。宴会では上座に坐り、会堂では上席に腰掛け、町中ではお辞儀をされ、人びとにはラビと呼ばれることを好む……

彼の足下で、地面に押し潰されたみたいに蹲って聞き入る人びとの上向いた顔々をキリストが話している小山の天辺からのように俯瞰パン撮影

 ……だがきみたちはラビと呼ばれるな。なぜならきみたちの〈師〉はただひとりだけだから。そしてきみたちはみな兄弟なのだから……

彼の足下から空をバックにキリストを虫瞰クロースアップ。

 キリスト そして地にある者を父と呼ぶな、なぜならきみたちの〈父〉はただひとり、天にいます者だけだから。

非常に遠くで話すキリストを前記のように全景撮影

 ……また、きみたちは導師と呼ばれるな。なぜならきみたちの〈導師〉はただひとり、このキリストだけだから。

退屈して陰気に眺める兵隊の斜めからのクロースアップ

きみたちのうち年長者がきみらの下男となれ。

空をバックに極めて低くからまさに虫瞰図的にイエスをクロースアップ

……誰であれ、思い上がる者は鼻を折られ、おのれを低くする者は高められる。

溶暗。 







   96  エルサレムの下の盆地状の牧場。
       野外 昼(エルサレム、ヨルダン)


ドリーに追われ、群衆の間をジグザグに進みつつ、一隊の兵士たちが到着する。その身体の上に武器が鉄の音を立てながら打ち当る。

キリストの声 だが禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは人びとの目の前で天国を閉ざして自ら入らず、入ろうとする者が入るのも許さないのだから……

兵士の一隊はいまは停止し、その持場に立っている。
何人かの兵士たちの列をなした横顔をクロースアップ。彼らは無言で退屈し、気短になって見つめている……
ファリサイ人たちの半ば隠した顔々……、そのパン撮影
……パン撮影に映し出される広大な牧場、そこに数百人の人びとが集り、その大半は腰を下ろしている。牧場は不規則な円を描いてその真ん中が窪み、鉢状をなしている。
あの下のほうの底に遠くキリストが見える。俄仕立ての台がわりに荷車の上に木々の葉枝を敷き詰めた、その上で説教している。

キリスト 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちはひとりの改宗者を得ようとして海を渡り陸を経巡るが、すでに得られたなら、これをおのれに倍する地獄の子にしてしまうのだから。

地面に押し潰されたみたいに見えるキリストの上からの俯瞰クロースアップ

キリスト 禍なるかな、盲た案内人よ、おまえたちは言う、
 「人もし〈聖堂〉をさして誓えば、その誓いは無効だ。だが〈聖堂〉の上の黄金をさして誓えば、それは果たさねばならない」
 と。

キリストの足下から牧場を上のほうに、そこには太陽が揺らめく陽炎の中に兵士たちが集っている遠くの縁まで映し出してゆく虫瞰パン撮影

 ……愚かな盲よ! いずれが尊いのか、黄金か、それとも黄金を聖ならしめている〈聖堂〉か? おまえたちはまた言う。

さらに上の遠くにいる聴衆たちの顔々を下から虫瞰パン撮影

 「人もし祭壇をさして誓えば、その誓いは無効だ。だがその上の供物をさして誓えば、それは果たさねばならない。」
 と。盲ども!

地面に押し潰されたみたいに見えるキリストの俯瞰クロースアップ

 ……いずれが尊いのか、供物か、それとも供物を聖ならしめている祭壇か? それゆえ祭壇をさして誓った者は祭壇とその上のすべての物をさして誓うのだ。 また〈聖堂〉をさして誓った者は……

画面の端のほうに半身撮影、ついでクロースアップで何隊かの兵士たち、彼らは牧場の底のほうを見下ろしている。一人の兵士が撮影レンズのほうを振り向き、唾をひと吐きする……

 ……〈聖堂〉とそこに住まう者をさして誓うのだ。天をさして誓った者は〈神〉の玉座とそこに坐したまう者をさして誓うのだ。

下卑た盗賊の仕草で唾を垂らしたあと、兵士はまた向き直って見下ろす……

……禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは薄荷、茴香、クミンの十分の一は納めるくせに〈律法〉のうちで最も大切なことはなおざりにしているのだから。すなわち正義と、憐れみと、真摯とをだ。

聞き入る人びとを、牧場を、パン撮影、キリストを俯瞰クロースアップ

 ……これこそ行うべきことであり、十分の一の納め物のほうはないがしろにせぬがよいほどのものだ。盲た案内人よ、おまえたちは蚋は漉して除くくせに、駱駝を呑み込んでいる!

 急速な溶暗





    97  神殿前の広場。野外 昼
          (エルサレム、ヨルダン)


波打ち、叫び、要求し、気が触れたみたいにあちらこちら走り回る群衆の凄まじい騒擾。

群衆の喧騒。

駆けつける一団の悪相のローマ軍兵士たち……をパン撮影。駆けつける一団のヘロデ党、対ローマ協力者の兵士たち……をパン撮影。逃げる、あるいは駆けつける群衆の数グループ……をパン撮影。斜めの鳥瞰、虫瞰フレイミング、ふつうのショットについでリバースショットでの繰り返し。群衆に対する「警察の攻撃」…… アドリブでフレイミング。 騒擾の中で使徒たちと一緒に揉みくちゃにされるキリスト、そのクロースアップ。 兵士たち(斜めの左右非対象の反復されたフレイミングなど)によって運び去られたキリスト信奉者の一グループの「拘留」フレイミング。
全景撮影。あの下のほうで、キリストがどうにか神殿の小階段に登って、静かにさせるかのように両手を上げる。その静けさがゆっくりと広場にのしかかってくる。
ほとんどその口と目だけが映るキリストの最大接写。

 キリスト 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは杯や皿の外側は綺麗にするくせに、その内側は強奪と放恣に満ち満ちているのだから。
 盲たファリサイ人よ! まず杯の内側を清めよ、そうすれば外側も綺麗になるだろう。
 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは白く石灰を塗った墓に似ているのだから。その外は輝いてみえるが、内は死人の骨やあるゆる汚れで満ちているのだから。
 このようにおまえたちも外は人の目に正しく映るくせに、内は偽善と不正で溢れるばかりだ。
 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちが預言者たちの墓を建て、正しい人たちの墓を飾るのだから。そしておまえたちは叫ぶ、
 「われらもし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す共犯者にはならなかったものを」
 と。こうしておまえたちはおのれが預言者たちを殺した者の子孫であることを自ら証言している。

こうした言葉によって昂奮し、キリストに反対する群衆の多くが叫んで非難しだした。

キリスト(声を張りあげ、喧騒を凌ぎながら) ……おまえたちはおのれの先祖の悪行の度を越えている。蛇よ、蝮の裔よ、どうしておまえたちが地獄の罰を免れられようか?  このゆえに見よ、ぼくがおまえたちに預言者や智者や学者らを遣わすのに……

再び騒擾が持ちあがり、兵隊が介入して、彼らによれば最も騒ぎ立てている者たちの両腕を捻じあげて、荒々しく曳きずって往く……
キリストのクロースアップ。

 バッハの「死のモチーフ」がまた爆発する。

 キリスト ……そのうち何人かをおまえたちは殺し、十字架につけて、ほかの者たちはおまえたちの会堂で鞭打って……

俄の感動に囚われ、目に涙を溢れさせている使徒たちのクロースアップに被せてパン撮影。

 キリスト ……町から町へと追い回して迫害することだろう、おまえたちみなの上に地上で流された無辜の者たちの血がすべてまた降りそそぐまでは……

キリストの最大接写

 ……正しい人アベルの血から〈聖堂〉と祭壇の間でおまえたちが殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで……

遠くで語るキリストを恍惚として聴く全群衆をおさめて全景撮影

 本当に断っておくが、こうしたこと一切はみないまの時代の者たちに降りかかってくるであろう!

無言の全景撮影の上に長い沈黙。 パン撮影が映し出すエルサレムの家並を見回すキリスト、そのクロースアップ
キリストの最大接写。

 キリスト エルサレム、エルサレムよ、預言者たちを殺し、おのれに遣わされた人びとを石もて撃ち殺す町よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、ぼくはおまえの子らを何度集めようとしたことか、だがおまえたちはそれを望まなかった……

うわの空で蔑んで聞き流す兵士たちの最大接写

 ……見よ、おまえたちの家は見捨てられて、無人のままにおまえたちに残ることだろう。実際、言っておくが、おまえたちは、
 「祝福あれ〈主〉の名によって来たる者!」 
 と、おまえたちが言うそのときが来るまではいまからのち決してぼくを見ることはないであろう。

そして虫瞰全身撮影、ついでパン撮影に追われて、神殿の小階段から下りて群衆の間を縫いながら立ち去ってゆく。
息を切らせて、彼のあとを追う使徒たちの半身撮影に被せてパン撮影、そのうちにもあたりにはまた騒擾と喧騒が持ちあがり、遙か高みから死のモチーフが鳴り渡る。

群集の喧騒。
 バッハの『死のモチーフ』が高らかに、鳴り渡る。

 群衆の間を歩みゆくキリストのクロースアップ、ついでパン撮影。彼があたりを見回す……
エルサレムの町並みと邸宅群……の不規則なパン撮影
人波に押されてすぐ脇を歩む使徒たちに向かってキリストが言う、そのクロースアップ。

 キリスト きみたちはこうした一切のものを見たか? 本当に断っておくが、ここにはひっくり返されないような石はひとつとして石の上に残るまい。 
   98  オリーヴ山。野外 昼
         (ヨルダン)


思いがけなく頼もしいオリーヴ畑の平和の中で、キリストは草地に腰を下ろし、まわりに使徒たちがいる。みな口を噤んでいま起ったばかりのことについて思いを巡らしては、問いが湧きあがる。ついにひとりの使徒が意を決し、言葉に出して言う。

使徒 ぼくらに聞かせてほしい、こうしたことが起るのはいつなのか、また世の終りの徴とは何なのか?

キリストのクロースアップ。

 キリスト きみたちは人に惑わされぬように心せよ。なぜなら多くの者がぼくの名を騙って現れ、言うことだろう、
 「わたしはキリストだ」
 ──そして多くの者が惑わされることだろうから。
 きみたちは戦争が話題となり、戦争の噂を聞くことだろうが、そのときには心を乱さぬように気をつけよ。
 そうしたことは起らねばならないだろうが、それはまだ世の終りではあるまい。実際、諸国の民が民に対して立ち上がり……

使徒たちのひとりの顔を移動撮影、その目は無の中に失われ、その震撼され強制された幻想の中に、彼は見る。

 使徒の想像

(98-A)戦闘、争闘の映像、それに歯ぎしりする人びと……のクロースアップ

 ……国が国に対して立ち上がることがあるだろう。また方々に飢饉とペストと地震が起ることだろう。しかしそうしたことすべてはまだ数々の苦痛の端緒に過ぎまい……

(98-B)見捨てられ腐ってゆく死体の山また山…… 殺戮の映像、殉教者たちの映像…… (98-C)十字架に釘で打ちつけられたひとりの殉教者……を移動撮影。(98-D)首を吊られたひとりの殉教者……を移動撮影。(98-E)首を切り落とされたひとりの殉教者……を移動撮影。(98-F)鞭で打たれたひとりの殉教者……を移動撮影。(98-G)後ろ姿を見せて歩みゆく使徒たちを移動撮影

 ……そのとき人びとはきみたちに拷問を受けさせ、また殺すことだろう。きみたちはぼくの名のために諸国の民に憎まれることだろう。そして多くの人はそのときに屈伏して、互いに裏切りあい、互いに憎みあうことだろう。数多くの偽預言者が湧き出て、多くの人を惑わすことだろう。

キリストのクロースアップ移動撮影。

 キリスト だが終りまで執拗に続けた者、この者たちは救われる。そして御国のこの〈福音〉はあらゆる民への証拠として、全世界に宣べ伝えられることだろう。そのときこそ世の終りが来るだろう。





    99  オリーヴ山。野外 夜


(「山上の垂訓」のそれと似たシークエンスが始まる。とめどない講話にわれを忘れたキリストの顔の上に溶明してゆく同じ技術、毎回異なる光の状況。夜、昼、嵐、夕暮れなどなど、まるで果てしなく時が流れたかのように。ただし今回はクロースアップでキリストが語った講話のさまざまな断片はひとりの使徒の移動撮影によって中断される。その使徒は聞き入って、いくつもの幻視の厳粛さの中にキリストが物語る歴史の断片のいくつかを「想い描く」。こうしたこと一切が文体論的には前に言及したあの劇的でバロック的な形式的「動揺」の一部をなす。)
語り聞かせるキリストのクロースアップに被せてパン撮影。いまは夜である、ナイチンゲールと木の葉木菟が歌っている。

キリスト それゆえきみたちは預言者ダニエルの言った「荒廃の忌むべき者」が聖なる処に立つのを見たなら──読む者は悟れ──そのときにはユダヤにいる人びとは……

 ひとりの使徒のクロースアップに被せて移動撮影、彼は大きく見張った目で見る。

 その使徒の想像。

(99-A)叫びながら逃げる……人びとの映像。

 ……山に逃れよ。またテラスにいる者はその家の物を取り出そうと下へ降りるな……

(99-B)家財道具を括って泣きながら逃げる……人びとの映像。

 ……また野良に出ている者はマントを取りに帰るな。そして禍なるかな、その日々に孕んだ女と乳飲み子を抱える女たちよ……

(99-C)恐怖に口を噤んで逃げてゆく……身重の女たちや乳飲み子を抱える女たちの映像。
話を締め括るキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。

 キリスト きみたちの逃げるのが冬や安息日ではないように祈れ……

 急速な溶明。




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