2009年3月9日月曜日

パゾリーニ によるマタイ福音書100~131/【序文】 ピエール・パーオロ・パゾリーニの詩と映像と モランド・モランディーニ /「困難な」映画か?/生命力の旺溢/三通の手紙/聖地の実地検証/プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの見解 /映画&演劇のなかの福音書【覚書】/パゾリーニとの出合いから  


 

  100  オリーヴ山。野外 夜明け


  ナイチンゲールたちは空の静けさを雲雀たちに譲り渡した。そして青白い光がキリストの顔に襲いかかる、そのクロースアップに被せて移動撮影

 キリスト なぜならそのときには大いなる苦難が来るだろうから。それほどの苦難は世界の始めからいままでになく、また後にも決してないだろう。そしてもしそれらの日々が短くされなかったなら、誰ひとり救われまい。しかし選ばれた者たちには、そうした日々は短くされることだろう。そのときにきみたちに「見よ、ここにキリストがいる」あるいは「あそこにいる」と言う者があっても信ずるな。
 なぜなら偽キリストや偽預言者どもが湧き出て大いなる徴と奇跡を現し、出来ることなら選ばれた者たちをも惑わそうとするだろうから。見よ、予めそのことをきみたちに告げておく。

  ひとりの使徒、そのクロースアップに被せて移動撮影、彼は無の中に目を見開いて見る。

 その使徒の想像

(100-A)大声を立てながら指さす人びとの映像……

 だからもし人が「見よ、彼は荒れ野にいる」と言っても、きみたちは出てゆくな……

(100-B)荒れ野の映像……

……「見よ、彼は家の中だ」と言おうが、信ずるな……

(100-C)大声を立てながら指さす……人びとの映像。
(100-D)そ の上を稲妻が走り、長々と雷が轟く、嵐の光の中の一軒家、その映像……

 実際、稲妻が東に煌めき跳ねて、西にまで閃きわたる。そのように人の〈子〉もまた来たるのだから。

(100-E)空に鷲たちの舞う、死体の映像……

 どこであれ、死体のあるところなら、そこに禿鷹たちは集まってくるだろう……
 
聖なる恐怖の虜となって、相変らずじっと無に見入る使徒を再び移動撮影

 そうした日々の苦難ののち、俄に太陽は暗くなり、月はもうその光を投げかけず、星々は空から落ちて、諸天の天使たちは身を震わせることだろう……
 
 使徒の想像

(100-F)身を平伏して涙をこぼす群衆また群衆……を移動撮影

 そのとき空に人の〈子〉の徴が現れて、地上のすべての人びとは涙をこぼし、人の〈子〉が天の雲に乗って来たるのを見ることだろう……

(100-G)走りゆく雲……を移動撮影

……大いなる力と栄光を帯びて。そしてその天使たちを遣すだろう……

(100-H)喇叭を吹き鳴らす天使たちをパン撮影、その上に大いなる光の映像……

 ……喇叭の力強く鳴り響くのを合図に、そしてその選ばれた者たちを天使たちは四方から、諸天のこの果てからあの果てまでから集めて来ることだろう。

キリストのクロースアップに被せて移動撮影

 キリスト 無花果の木からその譬えを学べ……

あそこ、オリーヴ畑の中に立つ一本の無花果の木を……ゆっくりと移動撮影

 ……その枝すでに柔らかくなって葉を芽ぐめば、夏の近いのを知る。このようにきみたちもこれらのことすべてを見たときに、人の〈子〉すでに近づいて門辺に至るを知れ……

  キリストのクロースアップに被せて移動撮影

 キリスト 本当に言っておくが、これらのことが悉く起こってしまうまではいまの世は過ぎてゆくまい。
 天と地は過ぎてゆくであろうが、しかしぼくの言葉は過ぎてゆくことはないであろう。

 急速な溶暗。





     101  オリーヴ山。野外 昼


 雨まじりの突風に見舞われ、底知れぬ深みから轟く雷鳴に妨げられた暗い昼間である。
雨でずぶ濡れのキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト それにその日その時を知る者はいない、天の天使たちも知りはしない。知るのはただ〈父〉のみだ。ノアの時に起きたのと同じように、人の〈子〉も来たるであろう。実際、大洪水の前の日々には……

 前記のように使徒を移動撮影

 その使徒の想像

(101-A)宴会を催す……人びとの映像。

……人びとは食べかつ飲み、妻を娶ったり嫁いだりしていた……

(101-B)愉快な音楽が切れぎれに流れる中、若くて愉快な人たちが飲み食いしている……映像。(101-C)若い母親と父親がその幼子をあやしている……(101-D)思春期に入ったばかりの少年と少女がキッスしあっている……

 ……ノアが方舟に入るその時まで。そして人びとは何ひとつ気がつかなかった、大洪水が襲ってきて何もかもひっくり返して曳きずり去るまでは。 このようにして、人の〈子〉も来たるであろう。

キリストのクロースアップに被せて移動撮影。

 キリスト そのとき野良に男が二人いれば、一人は取られ、一人は残される。 二人の女が粉挽き場で臼をひいていれば、一人は取られ、一人は残される。
 それゆえ目を覚ましておれ、いつの日に〈主〉が来たるのか、きみたちは知らないのだから。
 まあ考えてもみるがよい。
 家の主人がもし夜のいつごろ泥棒がやって来るのかを知ったなら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
 だからきみたちも用意しておれ……

 前記のように使徒のクロースアップに被せて移動撮影

……なぜなら人の〈子〉はきみたちの思いも寄らないときに来たるのだから……

 使徒の想像

(101-E)雷鳴の凄まじい轟にあわせて、何もかも倒して引きずり去る洪水の恐ろしい猛威……
キリストのクロースアップに被せて移動撮影。

 キリスト 誠実で慎重な僕(しもべ)とはいったい誰だろうか? 
主人がその家の使用人たちの上に立てて、時に及べば彼らに食物を与えさせることにした、その僕とは?
 
 前記のように使徒の移動撮影

 使徒の想像

(101-F)ありとあらゆる御馳走を山盛りにした大皿を捧げつつ歩みゆく僕、その後からは僕たちの行列が笑いさざめきながら、巻き毛を揺らしながら彼らも整然と山盛りの盆、盃、羅紗を捧げつつ……

 主人の来たるとき、そのようになしているのを見られる僕は幸いである。
 断っておくが、主人は彼にその全財産を司らせるに違いない……

(101-G)飲み、かつ食らう……人びとの映像。
(101-H)笑っている女たち……

 だがもしその僕、悪しき僕で、心のうちで
 「主人の来たるは遅れるだろう」
 と言って仲間を叩きはじめて、大酒飲みたちと飲み食いしだすと、その僕の主人が…… 

(101-I)思春期の僕が女を抱いて……
(101-L)底知れぬ深みから轟く雷鳴のもと、濁流となって溢れだす、荒れ狂って逆巻く水……の映像。

 ……予期せぬ日、思いがけぬ時に来たって、彼を拷問にかけさせ、偽善者たちと同じ目に遭わせることだろう。

(101-M)またも水、またも逆巻く水……

 僕はあそこで泣いて、歯噛みすることだろう。

(101-N)やがてあるのはじっと動かない濁りきった果てしない水ばかり。

 急速な溶暗。





  
   102 オリーヴ山。野外 夜


  また夜となった。宵から松明が震え瞬いている──どこかの村祭りの歌や楽器の調べが届いてくる。
  再び語りはじめたキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。

  キリスト それゆえ天国は十人の乙女にも似るか。乙女たちは燈火を執って……

前記のように使徒の移動撮影。

 使徒の想像

(102-A)燈火を手に若い娘らしい軽やかさで笑いさざめく十人の乙女たち……(102-B)五つの燈火を草地に重ね置きにしたまま、牧場で遊ぶ五人の乙女……(102-C)笑いながら軽やかに優しくこちらはしかし油を携える五人の乙女……

 ……花婿を迎えに出かけた。そのうちの五人は愚かで五人は慧かった。愚かな娘たちは燈火を執りこそしたが油を携えなかった。ところが慧い娘たちのほうは油を小さな器に入れてその燈火に備えた。花婿が遅れたので、みなまどろんで寝てしまった……


(102-D)眠り込んでいる十人の乙女たち……
(映像と映像との間に一連の溶明がある。)

 夜中に大声が聞こえた

(102-E)乙女たちは真夜中に目を覚まされて起き上がり、駆け寄る……

 「見よ、花婿だ、迎えに出よ!」

(102-F)燈った燈火を手に、嬉しそうに駆け寄る五人の乙女たちの映像。そして消えた燈火を手に、涙をこぼす五人の乙女たちの映像……やがて再び燈った燈火を手に、楽しそうに駆け寄るあの娘たちの映像……

 そこであの乙女たちはみな起きてその燈火を整えた。愚かな娘たちが慧い娘たちに言った。
 「あんたたちの油を分けて頂戴、あたしたちのは消えてしまったの」
 けれども慧い娘たちが答える。
 「そうしたらあんたたちにもあたしたちにも足らなくなってしまうでしょ。それよりか油売りのところへ行って買ってらっしゃいな」

 前記のようにキリストの移動撮影。

 キリスト その娘たちが油を買いに出かけたあとに、花婿が到着した。そして仕度の整っている娘たちのほうは花婿と新婚の間に入り、扉は閉ざされた。

 前記のように使徒の移動撮影。

 使徒の想像。

(102-G)抑えられて広がってゆくが恐ろしい予感を漲らせた雷鳴のもと、陰鬱で宿命的な果てしない水の広がり。

 その後になってほかの乙女たちもやって来て、
 「主よ、主よ、開けてください!」
 と言った。しかし彼は答えた、
 「本当に言っておくが、ぼくはきみたちを知らない……

 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。

 キリスト それゆえ目を覚ましておれ、きみたちはその日その時を知らないのだから。

 急速な溶明。  





   103 オリーヴ山。野外 昼


  昼になった、非常に明るい強烈な逆光。
その絶え間ない思考の渦の中で、目を伏せるキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。やがてまた目を上げる。

 キリスト またこうも譬えられようか。 ある男が旅立つに当って下男たちを呼び、彼らにその財産を託した。ある者には五タラントン、ある者には二タラントン、ある者には一タラントンをそれぞれの能力に応じて与えて出立した。
 すぐに五タラントンを受け取った者はこれを働かせて、ほかに五タラントンを儲けた。同じようにして二タラントンを受け取った者は、ほかに二タラントンを儲けた。しかし一タラントンを受け取った者は出掛けて地面に穴を掘り、そこに主人の金を隠した。
 かなり日が経ってから、これらの下男の主人が帰ってきて、彼らと清算をする。
 すると五タラントンを受け取った者が進み出て、もう五タラントン出しながら言う。
 「主よ、あなたはわたしに五タラントン預けたが、見よ、ほかに五タラントンわたしは儲けた」
 主人が彼に言う。
 「良いかな、善かつ忠なる下男よ、おまえは僅かな物に誠実であったから、おまえには多くの物を司らせよう。おまえの〈主〉の法悦に入れ」
 二タラントンを受け取った者も進み出て、もう二タラントン出しながら言う。
 「主よ、あんたはわたしに二タラントン渡したが、見よ、ほかに二タラントンわたしは儲けた」
 主人が彼に言う。
 「良いかな、善かつ忠なる下男よ、おまえは僅かな物に誠実であったから、おまえには多くの物を司らせよう。おまえの〈主〉の法悦に入れ」
 それから一タラントンだけを受け取った者が進み出て言う。
 「主よ、おれはあんたが多くを求める男で、蒔かぬところから刈り、散らさぬところから集めるのを承知していたので心配になって、行ってあんたのタラントンを地面の下に隠しておいた。見よ、あんたの金は返したぞ」
 しかし主人が答える。
 「性根の悪い、怠惰な下男め! わたしが蒔かぬところより刈り、散らさぬところより集めるのを知っていたのか? それならおまえはわたしの金を銀行に預けておけばよかったのに。そうすればわたしが帰ったときに、利子もろとも引き出せたものを」
 それゆえ彼のタラントンを取り上げて、十タラントンを持つ人に与えよ。なぜなら誰でも持てる人はさらに与えられて豊かになるが、持たぬ者はその持てる物まで取り上げられるのだから。そしてこの無用の下男を外の夜の中に投げ出せ。そこで泣いて歯噛みすることだろう。

 急速な溶暗。





       104 オリーヴ山。野外 夕べ


 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。

 キリスト さて人の〈子〉その栄光の中に全天使たちを従えて来たるとき、そのときには栄光の玉座に坐すであろう。そして彼の前にすべての人びとが集ると、彼はこれをまるで羊飼いが羊を山羊から分つように分って、羊たちを右に、山羊を左に置くであろう。


 前記のように使徒の移動撮影。

 その使徒の想像。

(104-A)喇叭を吹き鳴らす天使たちの群れが大群衆を真っ二つに割りながら、彼らを二つに分けて……過ぎてゆく。

 喇叭の音(バッハのモチーフ)。  





   105  オリーヴ山。野外 夜


 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影

 喇叭の音(バッハのモチーフ)。

 キリスト そこで王はその右にいる者たちに言うことだろう。
 「わが〈父〉に祝された者たちよ、来たりて、世の始めよりきみたちに用意された国を嗣げ。なぜならきみたちはぼくが飢えていたときに食べ物をくれ、ぼくが渇いていたときに飲み物をくれ、ぼくが旅をしていたときに宿を貸し、裸だったときに着せ、病んだときに見舞い、入牢中に訪れてくれたのだから」
 すると正しい者たちが答えて言うことだろう。
 「主よ、いつきみの飢えているのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませたか? またいつきみの旅しているのを見て宿を貸し、あるいは裸なのを見て着せたか? そしていつきみの病むのを見、あるいは牢獄にあるを見て、見舞ったか?」 
 そこで王が彼らに答えて言うことだろう。
 「本当に言っておくが、ぼくの兄弟であるこれらの、いと小さき者たちのひとりにしたことはすなわちぼくにしてくれたことなのである」





    106  オリーヴ山。野外 昼


 明くる日となった。稲妻と雷鳴と吹き降りの一日だ。
 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。

 喇叭の音(バッハのモチーフ)

 キリスト それから王はその左にいる者たちに言うことだろう。
 「呪われた者よ、ぼくを離れて、悪魔とその手下どもに用意された永遠の火の中に入れ。なぜならおまえたちはぼくが飢えたときに食べ物をくれず、渇いたときに飲み物をくれず、旅のときには宿を貸さず、裸なのに着せず、病のときも入牢中も訪れなかったのだから」 
 すると彼らも答えて言うことだろう。
 「主よ、いつきみの飢え、渇えるを見、または旅しているか裸なのを見て、あるいは病むか牢獄にあるを見て、助けなかったか?」
 そこで王が彼らに答えて言うことだろう。
 「本当に言っておくが、これらのいと小さき者たちのただのひとりにでもしなかったことは、すなわちぼくにしてくれなかったことなのである」
 こうしてこれらの者は去って永遠の刑罰を受け、しかるに正しい者たちは永遠の生命に入ることだろう。

 非常に長い沈黙。
 オリーヴ畑の中に腰を降ろしたキリストのクロースアップからその全身撮影まで、後退しながら移動撮影
 何もかも静まり返っている。平和の木々の銀色の静けさのはるか彼方で小鳥たちが囀り、働く人間たちが大声を立てている。やがてキリストはゆっくりと立ち上がり、 パン撮影に追われながら、右手のほうに歩みゆき、オリーヴの木々の間を見え隠れしつつ遠くへ行って、ようやく立ち止まると、じっと佇んで地平線のほうを眺めている。

 バッハの「死のモチーフ」が引き裂くように爆発する。

 見よ、あの下のほうに、新しい日の澄みきった光の中にエルサレムが白じらと煌めきながら広がっている。
 全身撮影で使徒たちも立ち上がり、黙ってキリストの俄の沈黙を尊重しつつ、パン撮影に追われながら、オリーヴの木々を縫い、些か怖じ気づき、いくらか距離を保ちながら師のそばへと往く……
 底知れぬ悲しみに曇った目でエルサレムを見つめるキリスト、そのクロースアップ
 そして見よ、あそこに、その春の美しい太陽に照らされてエルサレムがまだある。
 あの町の遠い眺望をじっと見ながら、キリストがクロースアップで、かぼそい声でゆっくりと言う。

 キリスト きみたちも知ってのとおり、二日後は過越の祭りだ…… そして人の〈子〉は引き渡されて十字架に張りつけられることだろう……

 苦しみに耐えきれなくなり、声も立てずに離れたところで涙をこぼしながら顔を両手で覆う使徒たちの顔をパン撮影






    107  会議所。屋内 昼(ヨルダン)


 祭司長や長老たちの顔々を(先の使徒たちの場合と同様に)パン撮影

 悶え苦しむようなバッハの「死のモチーフ」が相変らず続く。

 画面外のカイアファ イエスを捕らえねばならぬ時が来た。しかも詭計をもってして彼を死なせねばならん。

 大祭司の椅子に腰を降ろしたカイアファ、そのクロースアップ。

 カイアファ 祭の間はならん。民衆の中に騒擾が起るやもしれん……

 カイアファのクロースアップから聖俗の権威たちの集会の全景撮影まで、後退しながら移動撮影。 






    108 ベタニアの家。野外 昼
            (ヨルダン)


 バッハの「死のモチーフ」が悶え苦しむように続く。

 ベタニアの夕食(慎ましい鄙びた食卓、そのまわりに腰掛けがいくつか、家の軒下に並び、キリストと使徒たちが食べている)その全景撮影から黙って食べながら、その人智を超えた悲しみに沈んでいるキリストのクロースアップまで移動撮影

 ひとりの女をパン撮影──ベタニアのマリア──女は全身撮影で、高価な壺を両手で捧げ持ちながら、居並ぶ会食者たちの端から端まで歩んで彼に近寄る。いま彼女は彼のそばにいる、若々しくしかも母性的なやさしい顔立ち、そのクロースアップ。微笑んでいる。それから神聖に近い仕草で、壺から香油をキリストの髪にそそいでは両手でそっと母親みたいな仕草でおずおずと香油を髪の間に延ばす。
  向かっ腹を立てて睨むユダ、そのクロースアップ
   ユダの隣のもうひとりの使徒、そのクロースアップ

 ユダ なんでそんなに浪費するのか? その香油は高く売れるから、貧しい者たちに施しが出来るものを!

  びっくりして気分を損ねた女、そのクロースアップ
  微笑んでいるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト なぜこの女を困らせるのか? ぼくに良いことをしてくれたのだ。貧しい者たちはきみらとつねに一緒にいられるが、ぼくきみらつねに一緒にいられるわけではない……

彼を見つめるユダ、そのクロースアップ。

 キリスト 香油をぼくの体にそそいで、この女はぼくの埋葬の仕度をしてくれたのだ。

  彼から目を逸らして伏せるユダ、そのクロースアップ。

 キリスト 本当に言っておくが、世界中どこであれこの〈福音〉の宣べ伝えられるところでは、彼女のなしたことも記念して語られることだろう。

  涙にくれながら感動して微笑む、慎ましい女、そのクロースアップ
 キリストと女のほうを見やりながら、おのれも喜びと感動に染まったかのように微笑むユダ、そのクロースアップ。やがて彼は立ち上がり、全身撮影、ついでパン撮影に追われつつ、会食者たちの端から端まで歩んで遠ざかってゆく……






  109  会議所。屋内 昼(ヨルダン)


 バッハの「死のモチーフ」が相変わらず奏でられ続けている。

 相変らずパン撮影に追われながら全身撮影で、ユダが会議所の集会の端から端まで横切って、カイアファの許へ歩いてゆく。いまはカイアファの前に立つ、彼を眺めるカイアファのクロースアップ
  彼をこっそり眺めながら待つカイアファ、そのクロースアップ
  ユダのクロースアップ

 ユダ 何をくれるつもりか、ぼくが彼を引き渡したら? 

  カイアファのクロースアップ。

 カイアファ 三十デナリオンやることにしよう……

  「応諾」したユダのクロースアップ、目には喜びの光が跳ね、それは邪なというよりも神秘的な狂気に近い。そして彼の上には「死のモチーフ」が消えてゆく……

 溶暗。    





   110 エルサレム付近の場所。
        野外 昼(ヨルダン)


 町の城壁近くとその郊外のひと塊の貧しい家並をバックに使徒たちが全身撮影でキリストのほうにやって来る。オリーヴ畑の中、たったひとりで井戸の傍に佇むキリスト、その全身撮影

 使徒 どこがよろしいか、過越の食事の仕度をするのは?
 キリスト 街中のある人の許に行って言うがよい。
 「〈師〉が言う、
  『わが時は近い、過越の食事をきみの許で弟子たちとする』
 、と」

 免れがたいことを口にするかのように、いつになく熱のこもらない小声で消え入るように彼は話した。
  目に大きな悲しみを湛えて使徒たちは彼を見つめた。なおも話してみようとはするが、彼らは彼のあの疲れをあえて煩わそうとはしない。そして愛をこめた眼差しを長い間じっと彼にそそいだあと、背を向けて立ち去る。
  彼らは歩いてゆく。後ろ姿となって、町めざして、牝山羊と驢馬と泥と太陽の中に心を奪われてその日暮しに埋没している哀れなわずかな人々の間を歩いてゆく。彼らの後ろ姿が遠くなって、その新たな運命めざして永遠に遠ざかってゆくかのように遠ざかってゆく。

 急速な溶暗。

   




  111  最後の晩餐の部屋。屋内
               黄昏


 つましく質素で調度品のない部屋だが、過越の祝のために惜しげもなく飾りたてられている。静けさの漂う屋内。
  キリストと十二人の使徒たちは馬蹄型の食卓に居並んで食べている。彼らは無言で食べている、長く痛ましい沈黙。
  ひと口ずつやっと飲みこみながら咀嚼している使徒たちをみな、ひとりずつクロースアップ

 外の街中の遠くで人びとの声々と楽器の調べが沸き立つ。

 噛み砕き呑みこむキリスト、そのクロースアップ、やがて痛ましく微笑んで。

 キリスト 本当に言っておくが、きみたちのひとりがぼくを裏切ることだろう。

  皿から頭を上げて小声で消え入るように言うペテロ、そのクロースアップ。

 ペテロ 師よ、ぼくだろうか?

 重い心で、なぜならおのれが裏切り者でないことをそれぞれが知っていて、仲間に裏切り者がいると考えるだけでも辱められるのを感じるので、同じ問いをくり返す使徒たちみなを、ひとりずつクロースアップ。

 使徒たち 師よ、ぼくだろうか?
 ──師よ、ぼくだろうか?
 ──師よ、ぼくだろうか?
 など。

 キリストのクロースアップ。

 キリスト ぼくと一緒に皿の中に手を濡らした者、その者がぼくを裏切ることだろう。

 長い間口を噤んで、それからまた相変らずひどく低い声で疲れて消え入るように、しかし絶望しきった激情によって内側から燃え上がるかのように。

 キリスト なるほど人の〈子〉は逝く、彼について録されたごとくに。
 だが禍なるかな、その者によって人の〈子〉が裏切られる、その者は。
 彼にとっては生まれてこなかったほうが良かったであろうものを!

 動顛しておのれの錯乱の虜となって、その狂気がわれを忘れさせておのれもまた無垢であると思い込ませるほどであったから──わななく口許、すでに印された眼差しで問うユダ、そのクロースアップ。

 ユダごく低い声で) ラビよ、ぼくだろうか?

 キリストはほんの束の間彼を眺めて、それから目を伏せ、聞えがたい声で呟く。

 キリスト きみの言ったとおりだ。 

  全会食者のおさまる全景撮影。無言。口こそみな物を噛み続けているものの、苦しみがどの仕草、どの眼差しにも籠もっている。

 再び遠くで陽気な声々と楽器の調べが沸き立ち、消えてゆく。

 急速な溶暗。






  112  最後の晩餐の部屋。もっとあとで


 辛く陰気な静寂の中、飲み食いを続ける使徒たちとキリストをおさめて、全景撮影
ひとかけらのパンを執り、前の食卓の上に置き、一心に祈りをこめて祝福するキリスト、その最大接写
  やがてそのパン切れを千切って、使徒たち一人ずつに配りながら言う。

 キリスト 取って、食べよ。これはぼくの身体だ。

 それから相変らず悲しみを湛えて無言のまま、だからこそいっそうその仕草が気高く映るのだが、杯を執ってぶどう酒で満たし、謝してみなに差し出して言う。

 キリスト みなこれを飲め、なぜならこれはぼくの血、盟約の血だ。多くの人のために罪の赦しとして飛び散ったわが血である。
 言っておくが、今後は一切ぶどう樹から採ったこの汁をぼくは飲むまい、わが〈父〉の国できみたちと一緒に再びこれを飲むその日までは。

 起っている事柄の厳粛さをいっそう崇高にする静けさと悲しみに浸る会食者たち、その全景撮影

 急速な溶暗。





   113  最後の晩餐の部屋。しばらくあとから


 相変らず痛ましい沈黙に閉じ籠もっている会食者たち、その全景撮影
  いまでは不自然なまでに悲痛な雰囲気の中で、何もかもが黙り込んでいる。
  いまキリストはゆっくりと立ち上がり、祈りに集中している。やがて聖歌を唱しはじめる。
  聖歌を唱う使徒たちをひとりずつ、クロースアップ
  聖歌が果てると、見よ、再び会食者たちの全景撮影、そしてキリストはゆっくりと戸口へと歩みだし、使徒たちが後に続く。

 急速な溶暗。






  114  オリーヴ山。野外 月夜
          (ヨルダン)


 その夜の敵意漲る沈黙に浸されて、キリストを真ん中に使徒たちの一団が進みゆく。声をも奪ういつもの悲しみが一行の上に重くのしかかる。
  彼らは歩みゆき、そしてキリストがクロースアップで歩きながら、相変らずその果てしない悲しみに浸りつつ、また語りだす。

 キリスト 今宵きみたちはみなぼくゆえに躓くことだろう。実際、録されてあるのだ、
 「われは羊飼いを撃とう、そうすれば群れの羊たちは散ってしまうことだろう」
 と。だがぼくは甦ったあと、きみたちより先にガリラヤへ往ってよう……

  彼の脇に並び、純真な力に溢れて話すペテロ、そのクロースアップ。

 ペテロ たとえみながきみゆえに躓くとしても、このぼくは決して躓くまい!

 相変らず歩みゆきながら、その悲しみをなおさら深く顔に刻みつけながら答えるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト はっきりと言っておくが、この同じ夜の間に、雄鶏の鳴く前に三たびきみはぼくを知らないと言うことだろう……

相変らず歩みゆきながら、気が転倒して彼を見つめるペテロ、そのクロースアップ。

 ペテロ きみと一緒に死なねばならなくたって、きみを知らないとはいうものか……

  キリストは無言だ。そして一行は全身撮影、ついでパン撮影でいまはゲツセマネと呼ばれる農園に到着する。そしてそこに止まる。 疲れと苦しみの募る眼差しをゆっくりとあたりに巡らすキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト きみたちはここにおれ、ぼくはあちらへ行って祈るから。

  向きを変えて歩きだす。オリーヴ林の中を遠のくが、やがてまた立ち止まると不可解にも当惑して引き返してくる。

キリスト ペテロ、それにきみたち二人、ヤコブにヨハネ、ぼくと一緒においで!

 そして死を誘うような月明りの中、オリーヴ林を縫って消えてゆく。
  ペテロとヤコブにヨハネは立ち上がり、全身撮影、ついでパン撮影で、彼のあとをついてゆく。
  キリストのほうを不安そうに見やる三人の使徒たちをひとりずつ、クロースアップ
  彼に追いつく。彼は後ろ姿のまま佇んでいる。そこで彼らは恭しくうち拉がれて彼のそばに数歩離れて立ち止まり、黙っている。
  だがキリストは不意に振り返り、クロースアップで、相変らず苦しみに負けたかのように彼らのほうへ数歩踏み出して、慰めと支えを求めるかのように彼らの肩に手を置く。
  このようにして長い間、無言のままおのれの裡に「悲しみと苦しみ」を抑えこんでいる。ようやくか細い震え声で話す。

 キリスト ぼくの心は悲しく切なくて、死なんばかりだ。きみたちはここに止まって、ぼくとともに夜を明かしてくれ……

  彼らから離れて遠のき全身撮影パン撮影に追われつつオリーヴの樹の茂みを抜け、空き地に出る。
  ここで彼は祈ろうとしたが、何かが祈りから彼の気をそらす。あの「悲しみと苦しみ」だ。
  そこで彼は遠くを眺める……見よ、あの下のほうにエルサレムのパノラマが開けている。地平線を満たす光の嵐が丘々の尾根に花冠を被せている。それどころかあちらからいまは風に乗って声々や楽器の調べまで聞えてくる……

 非常に遠くから楽しげな声と楽器の調べ。

 あの光り輝く悲しい人間の生活の徴のほうを虚ろな眼差しで長いことキリストは見やって聞き入っている…… 
  やがていきなり恐ろしい落胆の虜となって「地面にうつ伏せに身を投げ出し」苦しみ悶えながら叫ぶ……

 キリスト わが〈父〉よ、できることならこの杯はパスさせてください……

 しかしおのれに打ち勝って両手で顔を覆いながら、

 ……とはいえ、ぼくがそう望むからではなく、あなたがそう望むならば……

 取り乱したまま、また立ち上がる。そして確信が持てずに相変らず「死ぬばかりに悲しい心」の虜となってゆっくりと引き返し、全身撮影、ついでパン撮影で、三人の使徒を残したあそこへ向う。
  オリーヴの枝葉を分けて彼らを見る。彼らはそこに互いに折り重なるようにして無邪気な眠りの中に──しかしそれが無邪気であるだけに恐ろしい眠りの中に横たわっている。
  幻滅や苦しみと混ざりあう憐れみにかられ、落胆して長い間キリストは彼らを眺めている。
  やがて全身撮影で彼らに近寄り、揺り起す。
  眠たげに目を開けるペテロ、そのクロースアップ。 苦みをこめて話すキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト こんなふうにきみたちはたった一時間でさえぼくとともに起きていることが出来なかったのか? 寝ずにいて祈れ、誘惑に陥らないように。なぜなら精神は仕度が出来ても、肉体は弱いのだから。

 それから再び全身撮影で遠ざかり、オリーヴ林を抜けて、死に誘うその静けさに埋もれた先刻の空き地にたどり着く。祈りに集中しようとするが、まだ出来ない。彼の心はまだ「悲しみと苦しみ」から解き放たれていない。
  再びあの下のほう、昔ながらの声々と笑いと呼びかけ、そして楽器の陽気な調べに満ちた町の明りのほうを眺める…… 
  彼は目を伏せる。しかし何かその気を逸らすものがまだあって、また目を上げる。
  一羽のナイチンゲールの歌声が濃い茂みの静けさをそのメロディーで嵐みたいに攪乱する。キリストは軽い笑みを浮かべて、うっとりとその歌声に聞き惚れている。けれどもナイチンゲールは俄に鳴き止み、言いようのない不在感、残酷な沈滞感を後に残す。
  キリストはいまは口を噤んであの茂みを眺めながら、人生へのノスタルジアに胸を締めつけられている。やがて再び地面にうつ伏せに倒れて、切に願う。

 キリスト わが〈父〉よ! この杯もしぼくが飲まずには過ぎ行かぬのであれば、御心のままになしたまえ……

  両手で涙をぬぐい、あたりを見回してまた起き上がり、オリーヴ林を抜けて葉叢を分けると……またも彼らはそこに、残酷にあどけなく寝入っていて、彼らもまた優しくその徹夜その歌声その夢の人生の流れの虜になっている……
  憐れみをこめ、長いこと彼らをじっと見つめる、そのクロースアップ。
 しかし今度は彼らを揺り起さない。黙って来た道を引き返す。再びあの空き地の真ん中に着く。彼は地面に跪く。いまは苦しみの発作は過ぎ去った。目を上げ、天に切願するとき、彼の眼差しはずっと澄みきっている。

 キリスト わが〈父〉よ! この杯もしぼくが飲まずには過ぎ行かぬのであれば、御心のままになしたまえ……

  そうして一心に祈る。彼の目の前の叢で、あのナイチンゲールが絶望しきって、なお喜びに満ちて歌う。 その叢の上に……

 溶暗。






   115  オリーヴ山(ゲツセマネ) 野外 
            夜(ヨルダン)


  叢はいまは真夜中の底知れぬ静けさの中に枝を広げている。ナイチンゲールは啼かない。
  見よ、キリストが祈りの忘我からゆっくりと甦る。そしてゆっくりと立ち上がり、オリーヴの幹の間を歩みゆき、例の葉叢を分けると……そこに彼らがいる。いまはもう熟睡しきってその疲れの無邪気な餌食となって寝返りを打って腹這いの者、背を丸めている者、また仰向けの者……
  いまではすっかり晴れやかなキリストが彼らに見惚れている、そのクロースアップ。それからおのれに向けて呟く、まるで微笑みの陰に隠れるかのように。

 キリスト いまは眠って、休むがよい…… 人の〈子〉が罪人たちの手に引き渡される時が来た……

 その無慈悲な眠りに浸る彼らを慈しみ深く、なおも長いこと見つめている。それから全身撮影で歩みでて彼らの上にかがむと揺り起す。
キリストの最大接写。

 キリスト 起きよ、往こう! 見よ、ぼくを裏切る者が近づいてくる。

 眠りからはっとして目覚め、勢いよく起きあがるペテロ、そのクロースアップ。そしてキリストを見、  不意の騒がしい人声にあたりを見回す。

 騒がしい人声、足音。

  そしてオリーヴの木々の幹の向うに、銀色の木の葉隠れに角燈の輝きもどぎつくいくつもの影が進みくるのを見る。
  彼、そしてほかの二人の使徒もぎょっとして跳ね起きた。そしてここに驚き慌てたほかの使徒たちもキリストのまわりに集まりながら後ろを見やる。その背後には木々の幹や葉叢に見え隠れして角燈と剣と棍棒を手に手に群衆が進みくる。
  群衆がオリーヴ林に溢れる。彼らの中にユダがいる。見よ、彼が進み出てクロースアップ、ついで全身撮影でやって来ると、キリストを囲むほかの使徒たちの間に紛れ込む。彼に近寄り、キリストを抱擁する。

 ユダ ラビよ、安かれ!

 そしてクロースアップで彼に接吻する。

 キリスト ああ、友よ、このためにきみは来たのか?

 しかし棍棒と剣を翳した群衆がキリストに襲いかかり、彼をユダの腕から使徒たちの囲みの中からもぎとって引きずり去る。使徒たちは抗おうと出来る限りのことをする。もともと温和な上に丸腰なのだから並大抵のことではなく、雇われ連中の衣服にしがみつく。
  だが使徒たちのひとりは無垢な者の怒りにまかせて襲撃者のひとりから剣を奪い取り、そやつの片耳を切り落とす……
  あたりは争闘の嵐。なのにこんな争闘の中でもキリストはクロースアップでなおも落着き払って王のように泰然としている。

 キリスト きみの剣を彼の鞘に返してやりなさい。なぜなら剣を執る者はみな剣によって滅ぶのだから……

  その使徒は血の滴る剣を手に彼を見つめる、彼のまわりでは争闘がまた沸き起る。キリストはあそこに、後ろを振り向いてなおも説き聞かせようと止めがたい彼の言葉を聞かせようとする──なのに臆病者どもが彼を引っ立ててゆく……

 キリスト きみはぼくがわが〈父〉に願えないとでも思うのか、願いさえすれば彼はたちどころに十二軍団に余る天使たちをぼくに整えてくださるものを? だがそのときには、どうして〈聖書〉の言葉が成就されよう、このように起るべしと録されてあるというのに?

  その使徒は剣を地に投げ捨てる。そして引きずられてゆくキリストの後にほかの使徒たちとともに殺到しようとするのだが、一団の雇い兵たち、傭兵たちに阻まれてしまう……
  見よ、彼がクロースアップでなおもびくついている襲撃者たちの十本の腕、二十本の腕に掴まれて引きずられてゆく、そのパン撮影。

 キリスト おまえたちは剣や棍棒を手にぼくを捕らえようと出てきた、まるでぼくが山賊であるかのように。毎日ぼくは〈神殿〉に坐して教えを説いていたのに、おまえたちはぼくを捕らえなかった。けれどもこうしたこと一切が起ったのは預言者たちの〈聖書〉が成就されるためである……

  しかしこれらの言葉はファリサイ人たちの怒りをさらに掻きたてると同時に、使徒たちの宿命感と恐怖をも募らせる……
  頭たちに唆され、新たな人びとが新たな角燈、剣、棍棒を手に手に駆けつけて獣みたいに怒り狂ってキリストを取り囲み、彼に追いつこうとしている使徒たちに駆け寄る……
  踵を返して逃げる使徒たち……をパン撮影。オリーヴ林に逃げ込むひとりの使徒、傴僂だ……をパン撮影。巣にひっこむけものみたいに逃げるもうひとりの使徒……をパン撮影。昔ながらの情ない人間の惨めさにうち拉がれ、盲て逃げてゆく使徒たちの一団……をパン撮影。

 急速な溶暗。






   116 カイアファの家に向かうエルサレムの街中。
         野外 夜(エルサレム、ヨルダン)


  喘ぎ汗をかき息を切らしながらペテロはじっと、クロースアップで、剥げ落ちた壁に目を凝らす。目を凝らして見る、長いパン撮影でキリストが縛られて烏合の衆や数人の兵士たちの真ん中を〈上都〉の埃だらけの小路を歩いてくるのを。彼は進みきて、ペテロの前を通りすぎる。
  隠れて見つめるペテロの左右対称のパン撮影の中のクロースアップと、相変らずパン撮影、後ろ姿で歩み続けるキリスト、その後にはまるでどこかの小悪党が捕まったかのようにぞろぞろと後をついてゆく小さな行列。
  こうしてカイアファの屋敷の中に消えてゆく。ペテロは剥げ落ちた低い壁の間の隅っこから出て、汗をかきかき喘ぎながら密偵のひとりみたいな顔をしてカイアファの家のほうへ行く。
  あそこ、剥げ落ちた低い壁、舞いあがる砂埃、夜明けの荒涼たる太陽の間に野次馬の小さな群衆が屯していて、ゆっくりと玄関に入ってゆく。
  そこでペテロはその後について入り、切なげにあたりを見回す。小窓か、それとも扉のアーチかに近寄って見ると、あの下のほう、屋敷内の中庭の奥にキリストがじっと立ち、あたりにあるのは人生の最高の瞬間の渦巻の中、年代記物語の混乱の中に権力者たちに入り交じった烏合の衆の混乱ばかり。

 声々、叫び声、呼び声、命令。

  一人の兵士が走り、もう一人が彼に続き、取消命令ゆえかのように二人とも引き返す。それから彼らは群衆と入り交じって、誰かを探すかのようにペテロの前を走ってパン撮影で通りすぎる。
  ペテロは眺める。キリストはあそこで、縛られたまま、まるでほったらかしにされたみたいに、罪を宣告する手続きの混乱の中に待っている。
  見よ、ペテロの前を兵士たちが何人か人を連れてパン撮影でまた通りすぎる。風采の浅ましい、身体的にも道徳的にも浅ましい二、三の男たちをパン撮影の中でクロースアップ
  そして一緒に「証人尋問」の手続きの場にあのならず者と権力者たちのまぜこぜが到着する……
  カイアファのクロースアップ。

 カイアファ この男に対して何か証言することがあるか?
 キリストの最大接写
  偽証人の最大接写。
 
 偽証人 この男は言った。「われ〈神の神殿〉を破壊し、三日にてこれを再建せん。」と。

  第二の偽証人の最大接写。

 第二の偽証人 わたしもこの男がそうしたことを言うのを聞いた。

 立ち上がるカイアファの最大接写に被せてパン撮影。

 カイアファ おまえに対してこの者たちがなした証言に、何も答えないのか?

 その正当性の晴れやかさに浸りきって、口を噤んでいるキリスト、その最大接写
カイアファの最大接写。

 カイアファ 生ける〈神〉にかけておまえに頼むのだが、われわれに告げてくれ、おまえはキリスト〈神の子〉なのか。

  それゆえに死刑を宣告されることになる言葉を一語一語はっきりと、その至高の明晰さの中で述べるキリスト、その最大接写。

 キリスト おまえがたったいま言ったとおりだ。さらに言っておこう、今日より後、おまえたちは人の〈子〉が〈全能の神〉の右に坐し、天の雲に乗って来たるのを見ることだろう。

  ヒステリックな爆発の中で両手の指関節を噛みしめ、衣裳を引き千切るカイアファ、そのクロースアップ。

 カイアファ 彼は神を冒涜した! このうえまだ証人が必要だろうか? きみたちはいま冒涜の言葉を聞いた。どう思うか?

  狂信に狂った第一の祭司長がようやく轡を外されて勝ち誇る。

 第一の祭司長 死刑だ!

 その言葉にキリストに詰め寄る……兵士やならず者たちの猛悪な顔々を、パン撮影の中で最大接写。
 キリスト……の最大接写に被せて移動撮影。彼に唾を吐きかける……ならず者たちの最大接写。唾を吐きかけられた……キリストの最大接写。ならず者や下男たち……の冷たい笑みの最大接写。笑いにひきつった下品な口で、叫ぶ男の最大接写。

 ならず者 キリストよ、おまえを打ったのはどなた様か、当ててみな!

  ならず者どもに突かれてはびんたを喰うキリストのシーンをおさめつつ、その一方で権力者たちがぞろぞろと移動してゆく……、全景撮影
  大広間のほかの野次馬たちの間で見守っているペテロ、その最大接写、そして彼はゆっくりとパン撮影で目に恐怖と苦しみの色を滲ませながら後退してくる……
  狂信のうねりに染まって髪を振り乱したひとりの女、下女の最大接写。この女が目にヒステリーの光を漲らせ、ペテロを睨み、彼に指を突きつけながら言い放つ。

 下女 おまえもガリラヤのイエスと一緒にいた!

 気を鎮めながら彼女を眺めるペテロ、その最大接写。

 ペテロ おまえが何を言いたいのか、分らないね

  そしてそう言いつつ門のほうへ遠のく。
  もうひとりの女の最大接写、この女も「魔女狩り」の狂気に浸され、気違い馬の目をして。

 第二の下女 この男はナザレのイエスと一緒にいた……

 ペテロ そんな男は知らない!

 あたりには小さな人だかりが出来、いわれのない憎しみを放つ浅ましい眼差しで彼を見やる。

 一人の男 本当におまえもあいつらの仲間だ。おまえの話しぶりでお里が知れる……

  脅えるペテロの最大接写、彼は本能の教えるままにうまうまととぼける。

 ペテロ 誓って……生ける〈神〉の名にかけて誓うが、わたしはあの男を知らない……

 雄鶏の鳴き声。

 あの鶏鳴の告知に……石と化すペテロ、その最大接写。怪しんで嫌な目で見る群衆の前を通り抜けながら……外に出るペテロの全身撮影

 雄鳥のいっそう力強い鳴き声。

 いまは彼は街道を全身撮影で歩いてゆく、やがて人けのない小路に折れ込むとパン撮影でわっと烈しく泣きだす……
  歩きながら苦い涙をこぼし続けて、いまはもう手放しで泣き崩れるペテロ、そのクロースアップ

 溶暗。 






    117  カイアファの家。野外 昼


  見守るユダのクロースアップ。前日ペテロがそこから見守ったのと同じ小窓もしくはアーチから彼は見守る。大広間にはいまはわずかな人しかいない。二人の下男が掃除をしている。薄く痛ましい大気の中に烏たちの啼く声が聞える。

 烏たちの啼く声。

  見守るユダのクロースアップ。あの下のほうに、全景撮影で、前日の屋敷内の中庭に権力者たちが集まっている。今朝は整然としたものだ。みなおのれの椅子に坐って、兵士たちは離れたところにいる。そして見よ、カイアファが彼に近づく兵士の長に合図する。
  カイアファの最大接写。

 カイアファ 彼は死なねばならぬ。いま彼を引っ立てて、ポンティウス・ピラトに引き渡せ。

 見守るユダの最大接写。あちらの下の全景撮影。兵士たちがキリストを独房から引き出して縛り上げ、彼らの真ん中に挟んでカイアファの家から外へ連れ出す。その一隊は無言で、パン撮影に追われながら、ユダの前を通りすぎ、大広間を横切り、太陽の照りつける通りに出て消えてゆく。
  ぱっと両手で顔を覆うユダ、その最大接写。数瞬ののちに両手をのけるときには目は涙で震えている。それから全身撮影ついでパン撮影で──たったいまキリストが辿ったのとは反対方向に──なおも会議所に屯している権力者の一団のほうへ往く。

 烏たちの啼く声。

 彼を眺める……カイアファ、その最大接写。
 取り返しのつかぬことを取り返そうと、子供みたいにうろたえるユダ、その最大接写。

 ユダ 罪のない血を売って、ぼくは罪を犯した!

  恐ろしい残酷さをこめて彼を眺めるカイアファの最大接写。

 カイアファ われらになんの関わりがある? おまえが考えろ。

 全身撮影でロボットみたいにユダは銀貨を地面にこぼれ落とす。そしてロボットみたいに無言で背を向けて遠ざかる……
カイアファの最大接写。

 カイアファ これらの銀を神殿の〈庫〉に納めるわけにはゆかぬ、なぜならこれは血の価だから。

  第二の祭司長の最大接写。

 第二の祭司長 その銀で壺作りの畑が買えるから、そこを異邦人の墓地として、われらはそこを「血の畑」と呼ぶことにしよう。 






   118  血の畑。野外 昼
       (エルサレム、ヨルダン)


 陰気な畑をパン撮影。町の外れに広がり、だんだん塵で埋まってゆく野辺の中の畑。草木は育たなくなってゆくのだが、なおあちらこちらに相変らず見事な見捨てられた木々が数本その無用の見事な枝振りを晒している。

 預言の言葉 そして彼らは銀貨三十枚を取った。それは売り渡された者、イスラエルの子らによって値が付けられた者の価である。そして彼らはこの銀で壺作りの畑を買った、〈主〉がわたしに命じたように。

  預言の言葉があの堪えがたい畑の静けさの中に響きわたっている間に(いまはもう「預言者の曲」の伴奏はない、それだけにいっそう恐ろしい)、ユダが泣きながら歩みきて全身撮影で涙をこぼしながらおのれのまわりを見回す、クロースアップ
  剥き出しの畑が再びその生き残った木々とともに俯瞰撮影で映し出される……
  やがて彼は全身撮影で一本の木に近寄り、そしてそこで、全身撮影のまま、抗しがたい死の激情の虜となって、狂わしい仕草で、一瞬のうちに、なすべきことをし遂げてしまう。そして彼は首を吊って、震えながら垂れ下がっている。






    119  総督府。屋内 昼(ヨルダン)


 ポンティウス・ピラトのクロースアップ。

 ポンティウス・ピラト ユダヤ人の王というのはおまえか? 

  キリストのクロースアップ。

 キリスト おまえの言うとおりだ。

 一斉に告発の叫び声を上げる祭司長や長老たちをパン撮影。

 祭司長たち (告発) (?)

 無言のままのキリスト、そのクロースアップ
ポンティウス・ピラトのクロースアップ。

 ポンティウス・ピラト どんなに多くのことについて彼らがおまえを告発しているか、聞えないのか?

  その慈しみの籠もった遠い目を告発者たちに転じて、なお無言のキリスト、そのクロースアップ
呆れて彼を見つめるポンティウス・ピラト、そのクロースアップ。
 呆れて見つめながら立ち尽くすピラトを真ん中に法廷全体を映し出す全景撮影。一人の下男が彼に近づいて小声で告げる。
  話す下男とピラトのクロースアップ。

 下男 あなたの奥さまがわたしを遣わして言う、
 「あの義人に口出しは無用。今日あたしは夢の中で彼ゆえにひどく苦しんだ」 

 下男が遠ざかる。
  法廷、そして中央にピラトをおさめて全景撮影。

 ピラト 今日は過越祭だ、毎年の過越祭のように、おまえたちの望む囚人をひとり釈放しようと思う。おまえたちは誰の釈放を望むか、バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか?

  法廷の奥のならず者たちの疎らな群れ……、その全景撮影
  祭司長や権力者たち……の全景撮影。大声を立てる群集の全景撮影。

 ピラト 二人のうちどちらをおまえたちは釈放して欲しいのだ?
 群集の声 バラバだ!
 ピラト では、キリストと呼ばれるイエスはどうするのか?
 群集の声 十字架につけよ。

 キリスト……のクロースアップ。ピラトのクロースアップ。

 ピラト しかしなんの悪事を彼は働いたのか?
 群集の中からほかの声 十字架につけろ!

 遺憾に思い、むっとした無言のピラト、そのクロースアップ
立腹し、両手を洗う仕草をする全身撮影で ピラトをおさめて全景撮影。

 ピラト この義人の血についてわれは罪なし。おまえたちがあたるがよい……

口を噤んで凶暴になったならず者たちの群れ、その全景撮影。

 群集の声 彼の血はわれらとわれらの子らに降りかかるがよい!

 一隊の兵士たちがキリストを引っ立てて外へ連れ出す、パン撮影で(必要だが重要ではない不快なことみたいに迅速に、あたりにはわずかな人びとしかいなくてまるで非合法みたいにこっそりと執り行われたあの裁判の浅ましい混乱の中で)。





   120  総督府の中庭。野外
         昼(ヨルダン)


 パン撮影で真ん中にキリストを挟んで、ローマ軍の兵士の一団が中庭に出る。そこである者はキリストにマントを着せかけ、ある者は手に葦をもたせ、またある者は茨を少し取ってきて輪に結び頭に被せる。そしてテーヴェレ川の岸辺からやって来たひとりが「抜け目ない男」の辛辣さと無礼をもって彼を笑い物にする。

 兵隊野郎 ああ、ユダヤ人の王よ、安かれ!

 一同は彼をしばしあちこち叩いてから、唾を吐きかける。やがてまた彼からマントと葦を取り上げ、彼を外へとパン撮影で押し出してゆく(何もかもほんのわずかの間に起ったことであり、取るに足らぬ一エピソード「植民地主義者」の兵営での千ものエピソードの一つに過ぎず、年代記物語の瑣末な出来事にすぎない……)






   121  ゴルゴタの丘へと向かう
  エルサレムの小径。野外 昼(エルサレム、
    ヨルダン) 総督府から刑場まで


 彼を中庭から外へ、パン撮影で、連れ出す。四、五人の兵士たちと馬に乗った百卒長だ。二、三人の雑役夫が十字架を運んできて、支え担ぐようキリストに渡す。(こうしたこと一切が相変らず迅速に、人目を忍ぶかのように行われる。それは当局ができるだけ非公開で片づけてしまおうとする諸々の執行業務の一つにすぎない。)
  路上にはいつもの野次馬、ならず者、ヒステリックな女たちの群集が待ちかねていて、あの小さな行列の尻尾につく。キリストとその小さな行列は汚い場末の石灰を撒いた泥濘の小道を、見すぼらしい家並の間を通ってゆく。キリストは十字架の重みの下でよろめく。すぐそこにずんぐりした若者が、きっと野良仕事の帰り道に違いない、誰でもよい通行人がいる。
 百卒長 おい、おまえがこの十字架を担げ……

  この若者としたら従うほかはない。そうして、パン撮影に追われつつ、小さな行列は下水溝の間の小径を這い登ってゆく。
  キリストは疲労し尽くして、まさに失神しそうだ、そのクロースアップついでパン撮影
  ひとりの兵士が彼に近づいて、そのクロースアップついでパン撮影、水筒の飲物を彼にやる。キリストはそれをたった一滴口にしただけで、衰弱しきって、水筒を兵士に返し、パン撮影でまた歩み続ける。
  町の外れに聳えたつ高台の汚い灰色のあちこち禿げた頂を移動撮影。行列はそこに到着する。
  十字架が地面に横たえられ、イエスが釘で打ちつけられて、十字架が高く立てられる。すべてが素早く、ほぼ無表情になされる、わずか数カットのうちに(全景撮影一、それに全身撮影三、四のうちに、屈んだ兵士たちがキリストの両手両足に釘を打ち込み、もう一つの全景撮影で十字架が高く擡げられて立てられる)。
  十字架が立てられると、撮影レンズは野次馬の人だかりの中で、黙って骰子を転がす三、四人の兵士たちをフレイミングする。勝った者が満足顔で十字架の足許に残されたキリストの衣裳を拾い上げて丸める。それから視線を高く上げる。
  十字架に釘で打ちつけられたキリストの半身撮影、捨て札に「この者はイエス、ユダヤ人の王」とある。
  怒りと苦しみの叫び声が聞えてくる。
  ゴルゴタの丘の全景撮影。ほかの二人の受刑者がやはり護送の小隊と野次馬の小さな群れを引き連れて登ってくる。彼らの十字架がキリストの十字架の足下に横たえられて、二人の受刑者がその上に押さえつけられ、彼らの獣染みた喚き声の中、釘で打ちつけられる。

 溶暗。 







  122  ゴルゴタ。野外 昼(ヨルダン)


 いまは十字架が三柱とも立っている。空をバックにキリストと二人の大泥棒のクロースアップ
全景撮影。いま荒涼たる光の中に、あたりにはやや人だかりが増えている……
  見上げている群集を短く俯瞰撮影。人込みにまみれてヨハネと、アリマタヤのヨセフ、それにマリアたちの顔もちらと見える。
  最初の恐ろしい痙攣の餌食となるキリストと大泥棒たち、そのクロースアップ
  十字架の足下で、見上げる一団のならず者の顔々、そのクロースアップ

 ならず者 神殿を破壊して三日で再建するおまえ、おまえ自身を救ってみろ、もしおまえが〈神の子〉なら〈十字架〉から降りてこい!

 苦しみに失神するキリスト、そのクロースアップ。

 溶暗。


 [*訳註 原文は le Marie と複数形だから、まずベタニアのマリア、母マリアの二人がいたことは確かだが、しばしばベタニアのマリアと同一視されるマグダラのマリアはもちろん、クロパの妻マリアもそこにいたことだろう。刑死人の傍で嘆く身内もそのまま十字架に架けられることの多かった史実から、マリアたちがそこにいたとは考えがたいとなす向きもあるが、むしろ彼女たちにしてみれば、その場その時にキリストと同じ死を死ぬことはむしろ本望であったことだろう。]







   123  ゴルゴタ。野外 黄昏


 夜の空をバックに、三柱の十字架をおさめて全景撮影
  その足下にいつもの小さな人だかり、そのパン撮影。ヨハネ、マリアたち、アリマタヤのヨセフ、みな悲しみに沈み、脅えて、無言である。
  死の痙攣に見舞われている三人の磔にされた者たち、そのクロースアップ。(どんな磔刑もこの映像ほどには苦しみの堪えがたい即物性を伝えはしないことだろう。見ることを堪えがたくするほどの恐るべき自然主義。)
  宵闇の中を下男を引き連れ、小人数で動く権力者たち、そのクロースアップ。

 権力者 他人は救って、おのれ自身は救えない。イスラエルの王なのだから、たったいま十字架から降りてみよ、そうしたらわれらも彼を信ずるものを! 神を頼んでいるが、彼を慈しむのなら神は彼を解き放つはずだ、
 「われは〈神の子〉である」
 と、彼は言ったがゆえに。

  口舌につくせない苦しみを味わって、苦しみの中に自失し、声も眼差しも無くした……ひとりの大泥棒、そのクロースアップ
  苦しむべきは悉く苦しんでしまったのに、なお憎しみの力は残って、キリストを罵るもうひとりの大泥棒、そのクロースアップ。大泥棒 (罵り) (?)

 見るに堪えない肉体的な苦痛に襲われたキリスト、そのクロースアップ。

 溶暗。   






    124  ゴルゴタ。野外 夜


  いまでは夜の闇に包まれて真っ暗な空をバックに、三柱の十字架の全景撮影。あたりにはわずかな人たちと監視の兵士しかいない。
  人間の可能性の極限に達したキリスト、そのクロースアップ。骨と皮ばかりになり、血と汗の膿に覆われて、胸と喉を震わす喘ぎに揺さぶられている、と、そこから戦慄の叫びが迸りでる。

  キリスト わが〈神〉、わが〈神〉よ、なぜぼくを見捨てたのか!

 十字架の下に残ったわずかな人びとをパン撮影。

 ならず者(皮肉に) こいつはエリヤを呼んでるぜ!

 心をうたれて憐れみをこめて彼を見つめる一人のローマ軍の兵士、そのクロースアップ
それからこの兵士は全身撮影で海綿を取って水桶に浸し、そこに酢を注ぐ。ついでその海綿を葦の棒で刺して、キリストの唇に近づける。しかしほかの兵士たちが、酔っていたのかもしれないが、彼を押し退ける。そこへ一人のならず者が割って入って、相変らず酷く皮肉に言う。

 ならず者 ほっとけ、エリヤがやつを救いにくるかどうか見てみよう。

 断末魔に喘ぐキリスト、そのクロースアップ。彼は不意に「大きな叫び声」を発して、それからは死の間際の盲た闇の中で身じろぎもしない。
  夜明けの光の中のエルサレムをパン撮影

 地震の地鳴り。

 崩れ落ちる壁や家々のディテール。

 地鳴りの身の毛もよだつ繰り返し

  地震によって揺り動かされて口を開ける墓穴、そして骸骨や腐った死骸が転がり出る…… 聖人たちの出現…… 恐れ戦いて街中を彷徨う人びと。

 最後の地鳴りがゆっくりと消えてゆく。

  死んだキリスト、そのクロースアップ
  十字架の足下の兵士たちをパン撮影、彼らは震えながら「別人の顔」をして彼を見上げる。

 百卒長 本当にこの人は〈神の子〉だった!

 アリマタヤのヨセフ、ヨハネ、マリアたちをパン撮影、彼らは跪き、われを忘れて祈る。その一心の祈りの中に恐怖と希望が混ざり合う。そして哀れな人びとの眼差しで見上げる……空をバックに死んだキリストを、クロースアップ。

 溶暗。    





   125  総督府。屋内


 ピラトを見つめながら歩みだすアリマタヤのヨセフ、そのクロースアップ全景撮影から孤立した全身撮影で映し出されるピラトは、ローマの権力者たちに囲まれて立っている。
  アリマタヤのヨセフ、そのクロースアップ

 ヨセフ わたしはあなたにイエスの屍を請いにまいり……

 憐れみを見せるピラトのクロースアップ。

 ピラト おまえに渡すべし。

 急速な溶暗。   





    126 ゴルゴタ。野外 昼


 進みゆくヨセフのパン撮影、その後をマリアたちと数人の若者が続く。女たちは長くて白い羅紗を翳している。
  十字架に吊された三体の屍をおさめてゴルゴタの丘の全景撮影
  〈十字架〉の足下まで進みゆくヨセフとほかの者たち、そのパン撮影
  降架をおさめる全景撮影。若者たちが梯子をもたせかけて登り、女たちは白い羅紗を広げて、それが風に鼓動する。

 急速な溶暗。   






    127 埋葬の地。野外 昼


  墓に向かって進みゆくヨセフとほかの者たちの一団をパン撮影。若者たちが白い羅紗に包まれた遺体を支え持ち、女たちはその後を一心に祈りながら歩み来る。若者たちが死体を墓穴に運び入れる間、女たちは跪いて祈っている。それから若者たちは大きな岩を転がして墓穴を塞ぐ。女たちはその前で身じろぎもせずに通夜に入る。 






    128  総督府。屋内 昼


  ヘブライ人の権力者たちが全身撮影ついでパン撮影で総督府の中を歩みゆく。
対ローマ協力者たちに囲まれて、彼らのほうを見やるピラトを移動撮影。彼らが彼の前に来る。
  カイアファのクロースアップ。

 カイアファ 主よ、われら思い出すに、かの詐欺師は生きておるときに「三日後に甦る」と言っていた。それゆえ命じて三日目まで墓を見張らせたまえ。弟子どもがきて死体を盗み出し「死人の間から甦った」などと民衆に言い触らさせないように。そんなことになれば、この最後の欺きのほうが前のものより害は甚だしいことになる。

  苛立つピラト、そのクロースアップ。

 ピラト おまえたちは番兵を有している。行って、おまえたちの出来る限り番をするがよい。

 踵を返すカイアファ、そのクロースアップ、ついでパン撮影で、遠のいてゆく。

  溶暗。   






    129 埋葬の地。野外 昼


  街の暮しの他のどの日とも同じある一日のエルサレム、そのパン撮影。貧しい家並、太陽、動き回る遠くの小さな姿たち、人々の交わす声々、笑い、歌声……

 遠くの声々、笑い、歌声

  だがこちらの下のほう、埋葬の地では、パン撮影に追われて、見よ、女たちがまだ真新しい墓に供えに香油やバルサムを携えてくる。いまでは習慣となってゆくその苦しみに浸りながら、彼女たちはそそくさと歩みくる。

 ずっと近くで声々、笑い、歌声が弾け、やがて風に運ばれるかのように消えてゆく。

  兵隊たちがその前に屯している墓を移動撮影。兵隊はみな若く、彼らにとっては起ったことなどはまるで問題ではなく、彼らの顔々は健康で笑っている。ひとりが笑いながら伸びをして、軽く口笛を吹きはじめる。
  女たちはパン撮影、全身撮影で墓に近寄り、跪き、無言で祈りはじめる。
  石塊によって閉ざされ、静まり返る墓を見つめる女たち、その最大接写。 と、見よ、墓の上に、地鳴りが爆発する。

 地鳴り。

 恐れ戦いて目を覆う女たち、そのクロースアップ

 地鳴りは消えてゆき、やがてそこから聖なる喜悦に溢れるばかりの楽曲が流れくる(モーツァルト)。

いま墓の上には「稲光みたいに光り輝く、雪みたいに真っ白な衣裳を着た」〈主の天使〉がいる。

 主の天使 恐れるな! おまえたちが磔にされたイエスを探していることは分かっている。彼はここにはいない、彼が言っていたように、彼は甦ったのだ。さあ、来て、その横たわっていたところを見よ。見たら速く行って、その弟子たちに告げよ、
 「彼は死人のうちより甦り、きみたちに先立ってガリラヤへ往かれた。そこできみたちは彼を見ることだろう」
 と。
 見よ、われはおまえたちにこれを告げた。

  走って墓地を後にする……一団の女たちをパン撮影。
 喜びに満ちて走る……マグダラのマリアのクロースアップに被せてパン撮影
  喜びに満ちて走る、もうひとりのマリアのクロースアップに被せてパン撮影。喜びに満ちて、自然のままに喜びに溢れて走る女たち、彼女たちよりもこんなにも大きな聖なる出来事の巡り合わせにからめとられて翻弄された端役でしかない慎ましい姿たち……
そして見よ、彼女たちがうつ伏せに地面に倒れ込む。
  女たちを一人ずつクロースアップ。喜びと聖なる畏れによって大きく見開いたその目で、彼を見つめる女たち。キリストは、全身撮影で、微笑みながら、彼女たちを見つめている。
 全身撮影で女たちは彼の足下でその足をかき抱いている。
キリストのクロースアップ。

 画面外のキリスト 畏れるな、行って、ぼくの兄弟たちにガリラヤへ往くように知らせておくれ。あちらでみな会えるのだから。

 溶暗。    






   130 カイアファの家。屋内=屋外 昼


 モーツァルトの敬虔に陽気な音楽が続く。

  墓の番をしていた兵隊たちは感激して、パン撮影で、カイアファの家へ入る──中庭へ、なにしろ今日はいつもと同じ、日々の暮しのただの一日なのだ。大きな祭か、それとも大きな災難のあとかのように人生が凍結されてしまったのだから。そして彼らは控えめに楽しげに進みゆく。中庭ではいまは少年や給仕たちが笑いながら、ボール遊びをしている。
  さてここに全景撮影で、少年たちの走るのや楽しげなわめき声の背後で、呼び戻されて駆けつけ、兵隊たちが権力者たちに口々に話している。彼らは虚ろな墓穴のことを、身振りを交えながら話し、物語る。
  カイアファの最大接写。

 カイアファ おまえたちは言うのだ、
 「彼の弟子たちが夜やって来て、われらの眠っている間に彼を奪っていった」
 と。もし総督がこれを知っても、われらが彼を宥めるから、おまえたちが困ることにはならない。

  こう言いながら、全身撮影で、彼らに何枚か銀貨をやる。若い兵隊たちは銀貨を掴むと、驚いてみな幸せだ。やがて彼らはパン撮影に追われて全身撮影で、出てゆく。みな幸せで金を分けながら中庭を横切って、その中庭でこそキリストの受難が始まったのだが、そしていまはそこで下賤で陽気な少年たちが遊んでいる。

 溶暗。  






   
   131  オリーヴ山。野外 昼
           (ヨルダン)


 使徒たちのグループが、全身撮影ついでパン撮影で、数軒の貧しい農家をバックに山めざして進みゆく。そうしたあばら屋の前でも太陽の下で襤褸を纏った幼い少年たちが遊んでいる、まるでその動きでモーツァルトの楽しげな音楽をダンスのリズムにして奏でているかのように見える。

 モーツァルトの楽しげな音楽。

  少年たちは数匹の小犬たちと一緒になって大声を立てながら遊んでいる。中にはオリーヴの木々から葉枝を毟りとって、そうした葉枝を翳し翳し使徒たちのまわりで一種のサラバンド舞曲を踊る少年たちもいる。これらの者たちを背後に残して、パン撮影の終りに一行は山肌を登ってゆく。
  信頼し、切望して……黙々と登ってゆく使徒たち、その一人ひとりをパン撮影の中でクロースアップ。
  厳粛なところは一切なしに現れるキリスト、その移動撮影。彼はあそこ、木々の間、燕たちの歌声の中にまるでいつもそこにいたかのようにいる。そして使徒たちもまた、信頼に溢れて彼のまわりに肩を寄せて集う。まるでそれは〈主〉の出現ではなくてひとつの出会い、彼らの兄弟や師とのたくさんの出会いと同じただの出会いでもあるかのように。
  親密な底知れぬ喜びの感覚にまかせて話して聞かせるキリスト、そのクロースアップ。

 キリスト あらゆる権力は天上でも地上でもぼくに与えられた。それゆえきみたちは行って、すべての民衆を改宗者となし、かれらに〈父〉と〈子〉と〈聖霊〉の名によって洗礼を施し、ぼくがきみたちに命じたすべてのことを守るように教えよ。そして見よ、ぼくはいつもきみたちと一緒に、世の終りまで共にあるのだ。

  彼のまわりに身をひれ伏して祈る使徒たち、その全身撮影

 相変らず高らかにあたりには聖なる喜悦に溢れる音楽が鳴り渡っている。

  やがてゆっくりと彼らは身を起こし、パン撮影に追われつつ、また山肌を下ってゆく。笑顔で軽やかに歩みゆく彼らにも音楽の舞踏のリズムが乗り移ったかに見える。
  いまは、パン撮影に追われて、一行は再び村を横切る、その埃と太陽の下を。その前では少年少女たちが祭の最中だ。使徒たちは後ろ姿で遠ざかってゆく。そして少年たちは一行のまわりを、優しく陽気に飛び跳ねながら回っている。
  オリーヴの葉枝を翳して揺り動かしながら、優しく走ってゆく……少年たちをパン撮影
  オリーヴの葉枝を翳して揺り動かしながら、陽気に走ってゆく……少年たちをパン撮影。





【序文】

 ピエール・パーオロ・パゾリーニの詩と映像と 

モランド・モランディーニ





一九四二年にフリウーリ語で書き上げた若書きの詩篇──『オリーヴの日曜日』*1──のなかでパゾリーニは唱っている。《ぼくの胸のなかに昏い火が降りそそぐ。それは太陽ではなく、また光りではない。甘く清らな日々は飛び去って、ぼくは生身の、少年の肉体のままだ。もしぼくの胸のなかに昏い火が降りそそぐのなら、キリストよ、ぼくを呼んでくれ、だが光りなし、と。》
この光のない昏い火ゆえにマタイによる福音書は、多くの瞬間において、詩人の映画だ。とりわけパゾリーニが福音書著者マタイのテキストをおのれの自叙伝と、熱情をイデオロギーと一致させて、キリストにおのれのすべての《純真さ》、血、悲しみ、孤独をそそぎこむ機会を見つけたときには、この映画は詩人の作品である。
彼のキリストは、厳しく、烈しく、戦闘的で、チャンピオンだ──パゾリーニがおのれ自身をそう見ているのと同じように──知的、政治的、社会的憤怒に燃えていて、しかも自覚している悲しみと孤独に満ちている。一九六四年当時に多くの者が書き、その後も繰り返し言う者があったように、彼は決して微笑まない、というのはほんとうではないにしても。彼の微笑みは──ほとんどいつも子供たちに向けられている。そのほかの微笑みは、皮肉の影なしとはしない微笑みの影にすぎない──こうしたことが今日でもこの映画の最も神秘的に表現ゆたかな瞬間瞬間に生じている。マタイに伴われて、パゾリーニがおのれの人間性をキリストの人性と比較できるときにはいつでも、この映画はひときわ光り輝く。
人間の顔の詩がこの映画を照らしだす。そのことをたちまち見て取って、モラーヴィアが書いた。*2《パゾリーニは人間の顔の現実について、実に鋭い感覚を持っている。その表情、つまり何か左右非対称のもの、個人的で、不純で、合成されており、要するに典型的とは正反対のもの、表情のなかに爆発する言うに言われぬいくつものエネルギーの出会いの場として、彼は人間の顔を捉えているのだ。パゾリーニの数々のクロースアップだけでもマタイによる福音書を、映画として稀有のレベルに置くには充分なことだろう。》
それゆえマリアの数々のシークエンスも──パゾリーニはマリアに、福音書のテキストにおけるよりもさらにひときわ目立つスペースと役割を与えているし、シナリオでは一貫してただマリアとだけ名前で呼んでおり、ゴルゴタの丘のシークエンス(一二六番)では、《マリアたちle Marie》と、むしろ複数形をあえて使用している──最も美しいシークエンスとなっている。このうえなく優しいひとりの乙女のクロースアップによる素晴らしい出だし(《……なのに、その眼差しは深みのある大人だ。その眸に、敗れた者の、苦しみが煌めく。》表徴的モデルはピエーロ・デッラ・フランチェースカ作御孕みの聖母マリアだ)。キリストの拒絶の、いっさいが眼差しの交錯で演じられた非凡なページ(《ぼくの母親とは誰か、またぼくの兄弟たちとは誰か?》)マリアのあの荒々しく唖の苦しみがつき纏う〈受難〉の断腸の思い。磔のシーンが──カルヴァーリオの丘への、胸の張り裂けるような、略辞法的な登り道のあと、文体論的かつ劇的に下降を示すとはいえ──〈子〉よりもむしろ〈母親〉をその中心に据えているのは偶然ではない。しかし、そのことは映像を見て分かることで、台本にはそのことについての指示はない。たぶん、台本を書きながら、パゾリーニはその老いたマリアの役をおのれの母親スザンナに託そうとはまだ決めていなかったのかもしれない。
パゾリーニがとりわけ福音書において無声映画の物語る技法に訴えたやり方は、ぼくの考えでは、充分に分析されていない。それは彼の言う《教育的な停止の「不均衡」*3》、つまりキリストの講話で、バックの騒音や音楽に支えられてとはいえ、パゾリーニがときおり科白を削除しえて、映像たちの語るのに任せたことに対置された。ひとつ検証してみれば足りる。シナリオの十五ページ分(一-十二番)に相当するフィルムの最初の二十分間で、科白のやりとりはたったの八つで、テキストの十七行分を占めるにすぎない。
このフィルムのなかで表現ゆたかで効果的なのは、リアリスティックな抑揚の記録映画に近いレヴェルを保ちながら──そこにロッセッリーニの教訓を見て取れる──パゾリーニが暴くのではなく描写するのに留めているくだりである。しかるに、マタイの最も深ぶかと宗教的な次元、超自然の存在を表現せねばならぬくだりは、聾か、それとも自信無げに映る。聖餐の〈最後の晩餐〉は生彩を欠くページである。ゲツセマネの農園での夜は文体論的に未解決であるし、オリーヴ山での最終的な〈復活〉も慌しくはしょっている。そこでは、これはシナリオでだけのことだが、オリーヴの葉枝を打ち振りながら、優しく陽気に走りゆく少年たちにアクセントが置かれているのは偶然ではない。
無神論者(少なくとも意識のレヴェルでは──この挿入句は彼のものだ)で、ずっと昔から異端的マルクス主義者で当時はとうに幻滅していて、飽き足らず、気落ちしていた、パゾリーニは、長年彼のうちに溜まった宗教的で非合理なテーマを、福音書のなかに寄せ集めて凝結させようとしている。パゾリーニにおいて《マルクス主義とデカダンス主義という正反対の峻しい経験を繋ぐ、感情的かつイデオロギー的な連関》を、キリスト教のなかに指摘したのは、またもやモラーヴィア*4であった。
それゆえマタイによる福音書は、キリストの神性にではなくて、人性に光を当てた、世俗の映画であったし、またそうであるほかはなかった。こうして、少なくとも意図の表明においては*5、テキストの忠実な視覚化となるはずであったフィルムのいくつかの言い落としにも説明がつく。それは映画化に際しての不可避の言い落としばかりではない。言説のイデオロギー的レヴェルで意味のある除去なのである。
マタイはキリストをとりわけイスラエルの救世主的な師、権威をもって新たな教えを拡げる者として、示している。ここから福音書著者マタイは講話の要点を六つに大別している。そのうちの二つが完全に言い落とされている。種々の譬え(十三章全体、および十五章の一-三十)と、終末論的な講話の(二十四章と二十五章)、こちらにはこの世の終わりについての頂点に達する預言が含まれており、これなしではキリスト教は倫理になってしまう、奇蹟の大部分が削除されている(奇妙なことに、女たちに関する奇蹟はすべて欠いている)、〈山の上での講話〉から結婚と独身への言及が取り除かれているのと同様に。
終末論的なくだりの欠落と、もっと一般的に、超自然的なものへの言及が明かなくだり(タボル山上でのキリストの〈変容〉、〈再来〉つまりキリストの光栄ある帰還、ガリラヤでの使徒たちへのイエスの最後の出現)がみな欠落していることは、たんに上映時間の制約や脚本上の総括の必要だけでは説明がつかない。福音書によれば、〈旧約聖書〉の何世紀にもわたる待機に終止符を打って、イエス・キリストが設けようとしてきた〈神〉の国は、二重の様相を呈して現われる。まずそれは、(〈歴史〉の)時代を下って、現実のもの、この地上のものであるが、またそれは終末論的な、天上の、あの世の国(そして希望)でもある。パゾリーニの福音書には前者だけがある。彼のは、神学的な意味においては、希望のない福音書である。地上へと下りてくる〈天〉はあるのに、〈天〉へと昇ってゆく地上がない。
そのことに気がついたセルジョ・クインツィオ*6は、映画の公開時に考慮しうる知識人のなかでは最も厳しい判断を下した人だが、次のように書いた。《そして実質的には、モラルと文学にされたキリスト教の常套句だけが残った。そこではイエスの激しい言葉も、その美しさ、その遠さ、その現実の政治的功績ゆえに許してもらえる。してみれば、パゾリーニの福音書が、イエスのそれとは違って、歓迎されたのも頷けるわけだ》。
パゾリーニにとって、人間の唯一の真の偉大さはその悲劇、つまり人は死ぬということにある。こういう悲劇の感覚はキリスト教にもあるが、それは山の一つの斜面にすぎない。パゾリーニが信じることの出来なかった別の世界への約束もあるのだ。だからといってそのことは、マタイによる福音書を支配する神性(超自然、絶対、非合理、神秘)の魅力を彼が感じるのを妨げるものではない。この何か別のこと──マルクス主義者としての彼には説明のつかない──を感じて彼はそれを詩人として表現するのだ。
弁証法的ではあれ宗教的な気質の審美家、自然の諸価値への《情熱》とそれらを理性的なものにしようとする《イデオロギー》とのあいだの対比に身を投げ出して、その神話を劇化することにだけ成功した、進歩主義者としての意志とそれを退行的過程をへて実現するという主張のあいだに、歴史と反歴史の絶望しきった混合のなかで引き裂かれたマニ教徒、人生と文学が全く一つになってしまったデカダンス派のエピゴーネンであるパゾリーニは、フロイト=マルクスの結合の旗印の下に、アッカットーネ(乞食)の当時から死のテーマ*7が黒ぐろとしたペダルとして支配的であったその旗の下に一本の映画を作った。
図式的に理解するのは矮小化するのに通じて安易であるとしても、彼の映画には二本の方向線が存在すると言えるかもしれない。その第一の方向線は民衆的で同時代的であり、彼がその退化し、叛逆し、絶望しきって脱走する息子であるあのブルジョアジーに対する憎しみと蔑みに色濃く彩られていて、アッカットーネ(一九六一年)に始まり、豚小屋(一九六九年)を経て、その最も激化した陰気な表現を遺作となったサロー共和国すなわちソドムの百二十日(一九七五-七六年)に見る。その第二の方向線は古典=文学的で、歴史と神話(ジャン・コクトーに従って《つねに真実を言う嘘》としての神話)のあいだの関係の解決策の探究によって明確にされていて、それはこのマタイによる福音書(一九六四年)によって始まり、オイディプース王(一九六七年)とメーデイア(一九七〇年)を経て、最後の寓話的な三部作に至る。この二本の方向線は互いに分離されているわけでも無縁なわけでも全くなくて、オイディプース王豚小屋みたいに明らかに繋がっているかと思えば、福音書テオレーマみたいに暗示的に繋がっている。
コクトーにとってと同じように、パゾリーニにとっても映画は、詩、長編小説、評論、戯曲、ジャーナリズムによって追求してきた文学的ディスクールの──より広汎な聴衆をえるための別の表現技術による──継続であった。(そして、私的には、スケッチや絵画がある。)実存的、文化的、政治的衝撃で沸き立つあのマグマのなかにあって、映画は数ある方法のなかのひとつであった──そして未来だけがその重要性を決めるのだった──それらの方法をもって、存在と祓魔の抑えようのない不安のなかで(彼の悲劇的で象徴的な死から逆に照らしだされた)、おのれ自身とおのれの苦悩を彼は証言した、長編小説で、詩で、戯曲で、公開状で、告発で、弁護で、インタビューで、旅行で、論争で、裁判で、愛で、また詩的なものから自伝的なものを、実存的なものから政治的なものをえり分けるのが難しい神経症的な紛糾における自己呈示で。
もうひとつの教育的図式は、彼の映画監督としての道程を三つの局面に分ける図式だ。第一の局面では、グラムシとその国民=民衆芸術観に伴われて、剥き出しの健気なディレッタンティズムによって目印をつけられて、彼の映画は民衆階級に向かう。その民衆文化は、彼によれば、ブルジョア文化によって抑圧され、抹殺されているのだった。
イタリア社会の工業段階への移行が起きて、《民衆とブルジョアジーは溶けあって大衆という名のあの妖怪が生まれた》、こう彼は言明している、《ぼくの新たな名宛人は大衆となって、そのときぼくは無意識に叛逆して、いっそう險しい、ますます難解で客受けが懸念される映画を撮りだした》。これがオイディプース王からメーデイアまでの局面、つまり第二の局面である。すぐに第三の局面が続いて、これがいわゆる《人生の三部作》で(デカメロン、一九七一年。カンタベリー物語、一九七二年。千夜一夜物語の華、一九七四年)、この局面で彼は大衆に到達することをもくろんで、それに成功したのである。
もの書きもひとつの批評意見を共にした。それによれば、第一の局面(大きな鳥と小さな鳥、一九六六年、まで)では映画に対してパゾリーニは詩人でもあったが、第二、第三の局面となると──ますます洗練されてくるがまた疲れてもくる言語学的な自給自足へと歩みだし、やがて他の作家や他の表徴経験の力を借りて完成して──ひとりの芸術家、偉大なマニエリストになった。これは、それについては今日ぼくはいくらか疑いを持っている意見だ、とりわけオイディプース王を再び見、再読したあとでは。この作品こそは文体論的に最も決着のついた調和のとれた彼の映画の一本であるようにぼくには思えるのである。
オイディプース王のなかに自叙伝がどれほど幻視と夢を織りなしているかを見てとるのに、作者の表明*8を知る必要はない(《オイディプースのなかでぼくはおのれの〈エディプス〉コンプレックスの物語を物語っている。プロローグのなかの幼い少年はぼくだし、彼の父親はぼくの父親、歩兵隊の元将校だ。そして母親、教師は、ぼくの母親だ。ぼくはオイディプース伝説によって叙事詩にされ、神話に擬された、おのれの人生を物語る。》)。
時は現代のプロローグを収めるシナリオの最初の十ページを読めば足りる──澄みきった散文でじつに見事に書かれていて、その形容詞の控えめな使用においてこんなにも簡素で、陳述的でまた同時に喚起的でなかったなら、《芸術的散文作品》と言ってもよいほどなのだ──そうすれば自叙伝的な記憶の振動をそこに捉えることが出来る。
シナリオ全体が、それ自体が目的の文体的緊張と実用的な目的とのあいだの類稀な釣合いのなかで、同じ静謐な表現力で書かれている。これは、ぼくの考えでは、テオレーマのシナリオとともに、少なくともそれが使われた映画からの自立という意味において、パゾリーニが書いたシナリオのなかで最良のものである。しかも少なからずのくだりにおいて──とりわけアクション・シーンにおいて。たとえば、テーベへと向かう街道でのオイディプースと父親との致命的なあの出会い(二十六番)──作家パゾリーニが映画監督パゾリーニにはっきりと水をあけている。
《ぼくの主要な関心は、ぼくの目標は、歴史ではなくて、神話だった*9》と、彼は福音書について語っている。ここでは彼は歴史性のあらゆる痕跡を脱ぎすてて、純粋状態で神話に真向から当たっている。フロイト=マルクスの結合はなおある。プロローグが明らかにフロイトの徴のもとにあるとしたら、エピローグは、コローノスのオイディプースから想をえて、マルクスに属している。オイディプースは盲の乞食となって、テイレシアースの横笛で歌を吹く。それでも往時の王の権威を忘れえぬ彼は、その手を引く少年アーンジェロに所有する者のある種の残忍さをもって振舞う、それは下男または忠実な犬に対するパドローネの態度を際立たせる残忍さだ。
本書に再掲載された、この映画への序文のなかで、パゾリーニが《耽美主義とユーモア》という概念を強調したのもやはりほんとうだ。このふたつの概念がオイディプースの人生の典型的な瞬間を選ぶ際に主導権を発揮したのだし、《つねよりもずっと映画的な仕方で》彼にショットを重ねる工夫を凝らさせることになったのだ。そしてつけ加えて彼が言う。《耽美主義に(瞑想趣味と美のいくらか無頼の徒に)、またユーモアに(苦しみに満ちた目で、せめてほんの微かにでも、微笑もうとする意志に)、そしてモロッコでは、ぼくが撮ったみたいに、撮ることに、必要な精神状態におのれを持するために、いったいぼくはどうしたのか、まさに分からない……》パゾリーニにとっては、ユーモアとは現実からの離脱であり、それはおのれ自身と現実との分離を引き入れる瞑想的態度であった。しかしそれはまた、一度ならずシナリオと映画自体が否定している態度でもあった。
オイディプーステオレーマで生まれた自伝的傾向と憤怒とは豚小屋メーデイアとで無に帰する譬えの苦い味を知る……》と、サンドロ・ペトラッリア*10が書いているけれど、意見を共にしないでいるのは難しい。ことに、彼の映画のなかではおそらく最もマニエリズムがかって、アンバランスで、悪寒がするかもしれないが、また最もイデオロギー的でもある、メーデイアについては。
福音書のなかのマテーラとそのほかの南イタリアの背景およびオイディプースのモロッコが、その暗示的機能において絵から分かれがたい額縁であるとしたら、メーデイアにおけるアナトーリアの謎めいた村々と《優しく黄土色で、心地よく薔薇色の》コルキスの岩山または砂だらけの風景は映画の中の映画となって、物語ることや登場人物に背いている。
パゾリーニの表徴的な折衷主義と混淆趣味とがメーデイアにおいてはその限界を露呈している。〈第三世界〉の魔術的、農民的聖性と新資本主義文明の涜神的諸価値との対立は、表現されるのではなくて表明されてしまって、それまでの映画における本質的矛盾と途方もなさの大部分を失っている。そのことはシナリオにおいても見て取れる。作家は映画監督に仕えていて、文体はほとんどつねに《実用的》、説明的であり、投げ遺りで重複するふしもあちらこちらに見られる。一種の疲れが見て取れるのだが、たぶんそれは、著者が表現上の解決を撮影時にまで保留しているための不確かさなのかもしれない。
いくらか苛酷に過ぎるとはいえ、アデーリオ・フェレーロ*11がこう書くのも頷ける。《結果がいっそう貧しく映るのは、作者がこの夢現の瞑想的調子から遠ざかって、そのマニエリズム的に蒸留した「未開人」への長引いた寛大さをもって、主役と衝突の条件に立ち向かおうとするときだ、苦しみに満ちた怒り狂った過剰をもって、既成制度と権力のしきたりに対抗すべきだったろうに。うわべは女司祭の叙唱のなかにこわばった、あの女優の平凡な出来にも気づかざるをえない。だが、限界は、空虚は別のものだ。あの衝突は成り立たない、なぜなら神話の現実の息吹と次元として存在しきれていないのだから。ゆえに観客は退屈した仮装行列に加わらぬ証人となるほかはない……》
マリア・カラスの女優としての不出来を確かめたければ、非凡とまでは言わずとも、オイディプース王におけるシルヴァーナ・マーンガノの出来映えと較べてみるだけでよい。その静止した姿態を装飾的に魅惑的なクロースアップで撮られることが一度ならずあったのに、映画用カメラに慣れていないカラスのほうは、おのれの顔を《操る》ことを知らず、顔つきの変化を表情ゆたかにすることが出来なかったのである。

M.M.


*原註1 本書では四四五頁。
2 L'Espresso, x, 40, 4 ott. 1964.
*訳註 本書二二二頁。
訳註 なお、この映画の邦題「奇跡の丘」は本書のテーマからずれて、やや不適切に思われるし、このシナリオには、公開された映画にはない箇処も多く含まれている。よって本書では聖マタイのイエスあるいは原題どおりマタイによる福音書で一貫する。
3 Il Giorno, 6 marzo 1963. 〔訳註、本書では三三頁。〕
4 Ibid.  
5 Lettera del febbraio 1963 al dott. Lucio S. Caruso della Pro Civitate Christiana di Assisi. 〔アッシージのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナのルーチョS.カルーゾ学士に宛てた一九六三年二月の手紙。〕本書では三十四頁。
6 Tempo presente, ix, 9-10, sett.-ott. 1964.
7 このテーマに関して貴重な書物はPasolini e la morte di Giuseppe Zigaina, Marsilio ed. 1987. である。
8 Jean Narboni, Rencontre avec P.P. Pasolini, in Cahiers du Cine'ma, 1967, n.192, p.31.
9 Filmcritica, n.156-157, 1965. 現在はCon Pier Paolo Pasolini, a cura di E. Magrelli,Roma, Bulzoni, 1977, p.64.
10 Il Castoro Cinema n.78, La Nuova Italia, 1974.
11 Il cinema di P.P. Pasolini, Marsilio ed. 1977, p.111.





マタイによる福音書



「困難な」映画か?

アルフレード・ビーニが制作し、ピエール・パーオロ・パゾリーニが脚本を書き、監督した『マタイによる福音書』についてのフィルムは、一九六四年の春から夏にかけて、このような芸術的責務と負債を抱える作品としては、非常に激しく常にない仕事のリズムで映画化された。三時間物の映画のために、十万メートル近いネガが撮影された。これは通常の映画の二倍だ。
とはいえ「福音書」もまた明らかに並のものではない。まだたんなる構想にすぎなかったころから、この映画の出会った障碍や反対がそのことを如実に物語っている。映画といえども、家や工場や産業やサッカー・チームがそうであるのと同様、銀行からの融資をえてはじめて産業的に実現できる、こんなことは誰にでも分かり切ったことだ。おまけに銀行の窓口では興行主や配給会社が張りあっている。『福音書』の最初の企画は一九六二年秋に遡るが、道は開けなかった。どの銀行もその決定を延期したし(発案が支持された五つの主要な銀行の頭取たちはその慇懃さは最たるものであったがその否定的回答の確固さでも記憶されることだろう)、それに映画界全体の環境も好いどころではなかった。同じような状況が一九六三年の春から初冬まで繰り返された。それと同時に、公式資料によれば、一九六二年には一七七本の映画に、六三年の年初から十箇月では七七本の映画に、それぞれ合計一八〇億リラと一五五億リラが「融資された」ことも注目すべきだ。
だが、「福音書」のためには一銭もなかった。「福音書」は金融上の観点からも倫理上の観点からも尊重や信頼に値するとは見なされなかったのだ。たぶん、それが真剣に準備されていて、はっきりとスペクタクルな趣を添えていなかったためかもしれない。
一九六四年初めには権威ある代議士を嫌というほど揃えた一グループが下院に戻って、正当にも、セックス映画に反対して、その危険と風俗紊乱を告発した。イタリア映画作品全体のなかでセックス映画の占めるパーセンテージはわずかなものだし、最も重要なものでもないが、もちろんその抗議はもっともだし理解できる。とはいえそうしたジャンルの映画に限って銀行の信頼と信用を欠いた試しがないのだ。議員諸公の見上げた態度はさておき、倫理上有害と目されるイニシアチヴを意気阻喪させようという産業界、宗教界、政界に一般的な言葉だけの熱意を見るにつけ、しかし論理的に思えたのはプラスの企画ならば具体的支援を期待しうるかもしれないということだった。個別に則して言えば、劇化され、再構成された、それゆえ手に負えない「福音書」ではなくて、聖マタイの言葉をまさしく文字通りに追って脚色した『福音書』ならば、好意的に臨むにより相応しいクリマ、環境があると見たのである。中道および右派の新聞はまたぞろテレビに噛みつきだして、共産党の下心を非難していた。せめて彼らの偏頗な見地からすれば、理の当然として、正直に、福音書についての映画を支援してもよかりそうに、慎重さや保証は要求してくるかもしれないが、その発案に心遣いくらいは示してくれそうに、思えたのだった。実業団体は「より良い映画」のための会談を提案して論争を助長してくれたが、ほぼ同じその日々に、映画についての意見を求められると、彼らは映画の「形にも中身にも」関心はないと答える始末だった。
プロデューサーは映画制作を開始した、その映画たるや、それまで彼の手がけたほかの全作品をひっくるめたのと同じくらいに金がかかったのに、独力で、全力を傾けたのである。やがて彼はなにがしかの慰めをぽつりぽつりと、助力と励ましを受けるようになる。二人の友人、全国映画産業協会の二人の代表者、省の高官一人、個人の資格で数人の司祭、政治家二人、労働銀行の頭取一人。しかし環境は総じて彼にとって、最良の場合でも、冷淡に無関心か、それとも温かく反対かであり、左翼も右翼も、パゾリーニは「変わった」と言う者もあれば、パゾリーニは「危険だ」と言う者もいた。多くの新聞は、最初のころ、この映画に関する写真やニュースを、カメラマンや通信社に、尋常ではない果断さで突き返した。「今日の映画」というテレビのコラムはこの映画に洟も引っ掛けなかった。パゾリーニには彼らはみな侮辱された思いでいたから、「福音書」だろうが、信頼しうる証言だろうが、固定観念と先入観の厚い壁に疑いを染み込ませることは出来なかった。
最後に労働銀行だけが、その映画信用独立事業部で、異例の、用心深い但書「検閲済を以て」付ではあったが、部分的な融資に応じた。つまり、映画制作後にというわけだ。このような留保条項を見れば、幹部と何人かの信頼できるメンバーが好意的であったときにさえ、『福音書』について検討せねばならぬグループ内に生じた雰囲気も少しは分かろうというものだ。
同じようなことが、普段は顧客探しに懸命な施設での劇場および技術手段の供給面でも生じた。『福音書』については、製作者と監督の活発な弁護にもかかわらず、団体内に巣くういつもの「慎重さ」が交渉をうやむやにさせてしまうのだった。
映画の配給会社のほうはほうで、顔を出しもしなかった。それに海外市場での、前評判は大したものであったその関心のほども、映画完成後に初めて具体的に評価できるのだった。
これがビーニとパゾリーニがそれぞれその持場において、だがふたりとも頑とした熱意で、『マタイによる福音書』を、映画監督が「ヨハネ二十三世の親愛なる愉快で心安い庇護に」献じたフィルムを、映画化した情況であった。いまは批評家も観衆も、あの仕事とあの信頼が果たして理に叶ったものであったかどうかを、それらがプラスの成果を芽生えさせたかどうかを告げることだろう。映画は果たして成功するのか、それとも失敗するのか、しかし何人もこんなにも近視眼的にかつ片意地にその公開以前に妨害を重ねる権利はない。なぜなら、偏見は人間の悪の根元にあり、それらを打ち砕くためにもイエス・キリストその人が戦い、死んだのだから。このフィルムは今日、それが映画化されたのと同じ善意をもって観られることだけを求めているのである。



 





着想からシナリオへ

マタイによる福音書
生命力の旺溢
 
                            

二千年まえの書物について語らねばならないのには、ひどくうんざりしてしまう。自分がエルメティズモの詩人か、それとも女流詩人か、あるいは教授かで、テレビでコラムを受け持っているような気がしてくるのだ。最近の読書として二千年まえの書物について語るのはつねに何かひどく立派なことだし、「大層なこと」、あるいはせめて大いさに関わることになる。だが、ぼくに関して言えば、それはまったくの偶然だった。ぼくは仕事の都合で、この数週間というもの、マタイによる福音書を五、六回読み返した。実際ぼくはテキストを移し換えることから始めねばならなかった──シナリオを介してではなく、あるがままに、あたかもシナリオがすでに整っているかのように──文字通り元のままの、だが専門化されたテキストにおいて。たとえば、

1-まもなく母親になるマリアの全身撮影
2-苦しみをこめて、慎ましく、羞じらいながら、見つめるマリア、そのクロースアップ。または最大接写
3-苦しみをこめた、しかし硬く、厳しい眼差しを返すヨセフ、そのクロースアップ。または最大接写。
4-小部屋からパン撮影で遠ざかるヨセフ、その全身撮影。
5-相変わらずパン撮影で野菜畑(または小さな果樹園か、ぶどう畑)づたいに歩みきて、一本の木の下に横たわるヨセフ、その全身撮影。
6-疲れ果て、苦しみながら目を閉じて、眠るヨセフ、そのクロースアップ。
7-彼に現れて、「ダヴィデの子、ヨセフよ、躊躇うことなく、おまえの妻マリアを迎え入れよ……」と、告げる天使、その全身撮影。

これはひとつのテキストに対して出来る最良の読み方だ。文体研究者が決して予見しえなかった分析である。断片の機能性の研究とか、結合的でもある節の視覚化の力の研究とか、シュピッツァーの研究した「遅らせる」要素ばかりか、「速める」要素の研究とか(聖マタイはこうした文体上の加速に満ちているし、省略と不均衡はその夢想家=異邦人の特徴である)など、など。


なぜぼくがそんな仕事を始めたのかというと、それはそれで随分と長い話になってしまうが、たやすく想像のつくことではある。ひとつの出来事だけをお話ししておこう(相変わらず専門的な話だ、だから聴く耳を持つ者は、聴いて悟るべし)。『マタイによる福音書』を初めて読みおえるやいなや(今年十月のある日のことで、ぼくはアッシージにいて、あたりは教皇の到着を祝う祭りが鎮まって、無関心の、そして要するに、敵意ある空気だった)、ぼくはたちまち「何かをする」必要を感じた。それは恐ろしいほどのエネルギーで、もろに身体を、どやされるに近かった。それはそれについてはベレンソンが語っていた「生命力の増大」であった──そしていまではぼくの「仲間うち」ではひどくもてはやされる概念となった、ソルダーティ、バッサー二、ベルトルッチ、モラーヴィア……──生命力の増大は、一般的には作品を批判的に理解しようとする努力、その解釈のうちに具体化する。要するに、その作品を明らかにして、熱狂もしくは感動の言葉になる以前の最初の衝動を論理的、歴史的な寄与に変えるような仕事のうちに、生命力の増大は具体化するのだ。何がぼくに出来ただろうか、聖マタイのために?
それでも何かぼくはしなければならなかった、あのような感動ののちに、動かずに、無能でいるわけにはいかなかった。美学的にこんなにも深ぶかとぼくを襲った感動は、人生のなかでわずかしかなかった。ぼくは「美学的感動」と言った。しかも心からそう言ったのだ、なぜならこうした様相の下に、生命力の増大が、抑えがたく、幻視をともなって、姿を現したのだから。聖書における、神話的(語の人種差別的、偏狭な意味においてヘブライ的)暴力と、実用的教養、そのなかで字を識るマタイの働かざるをえなかった文化、との混入が、しばしば互いに結合しあって、二重の一連の表徴的世界をぼくの創造力のなかに映し出した。インドやアフリカのアラビア海岸沿いの旅でぼくの目に映ったのと同じような、聖書時代の、粗々しく生きている生理学的な世界と、マザッチョから黒いマニエリストたちにいたる、イタリア・ルネッサンスの表徴文化が再構築した世界を。
最初のショットのことを、「まもなく母親になるマリアの全身撮影。」のことを考えてほしい。サンセポールクロのピエーロ・デッラ・フランチェースカ作の聖母マリアの示唆を免れることが出来ようか? 金髪の、あるいはやや赤みをおびた髪の、あるかなきかの睫毛に、膨らんだまぶた、ふっくらと膨らんだお腹の乙女、その輪郭には、アペニン山地の丘の輪郭の清々しさと同じ清々しさが漂うというのに? そしてすぐ後には、ヨセフがうずくまって休んだ、あの野菜畑または果樹園があるが、あれは、ぼくがアスワン周辺のエジプトの村々か、それともアデンの菫色の火山の麓か、で見かけた、赤みがかった牝山羊たちのいる、薔薇色の埃だらけの、あの小広場の菜園ではなかろうか?
しかし、繰り返して言うが、こういうのは生命力の増大の、呆れるほど視覚的な、外観にすぎなかった。深いところで、さらに烈しい何かがあって、それがぼくを震撼させた。
それは、マタイの見るがままのキリストの姿であった。そしてここまでで、ぼくの美学的=ジャーナリスティックな語彙では、口を噤まざるをえない。けれどもただひとつつけ加えたく思うのは、あの姿ほどに現代世界に反するものは何もない、とぼくには思えることだ。あのキリストは、心は優しいのに、理性においては「決して」そうではなく、おのれの信仰の絶えざる検証の意志として、また矛盾や躓きに対する絶えざる蔑みとして、おのれ自身の恐ろしい自由を片時も手放そうとはしなかった、あのキリストの姿。
マタイの「文体的加速」を文字通りに追ってゆくと、彼の物語の異邦人=実用的な機能性、年代学上の時代の廃止、うちに教育的な停止の「不均衡」を抱えながら歴史の略辞法的な飛躍(素晴らしさに茫然とする、果てしない山の上の言説)を経て、キリストの姿は、ついには、ひとつの抵抗運動と同じ烈しさをもつにちがいない。現代人に具現しつつある人生、そのシニシズム、皮肉、実用的獣性、妥協、順応主義、大衆の人相特徴におけるおのれのアイデンティティーの称揚、あらゆる異質性への憎しみ、無宗教の神学的な恨みなどとは、根底から相反するような何かに、キリストの姿はなるにちがいない。
P.P.パゾリーニ
("Il Giorno", 6 marzo 1963 から)



三通の手紙*

  アッシージのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナのジョヴァンニ・ロッシ師に宛てたピエール・パーオロ・パゾリーニの手紙。

親愛なるジョヴァンニ師、                           一九六三年五月
仕事の熱と苦しみの虜となって、もう三、四日もぼくはほとんど家から出ていない。ぼくはおのれの出来ること、つまり慌ただしい覚書とさして変わらぬものを仕上げた。あとはあなたとあなたの共同者たちがこの乾いた専門的言語のなかに籠められたもの、ぼくがそのスケッチを描きあげたばかりのものを読み取ってくれればいいのだが。
その間にぼくは先へと進んで、金曜日には、アッシージへ、シナリオ最終部を持って往こう。
優しくあなたを抱擁する(あの上のほうで、庭の手すりにもたれて、ぼくを呼んで挨拶を送ってくれた、あなたの姿がいまも目の前に浮かぶ。それはこの数日間の仕事中ずうっとぼくについてきてくれたイメージだ)。そしてぼくの親愛のこもった挨拶を〈砦〉のあなたの友だちみなに伝えてください。あなたの忠実なる             ピエール・パーオロ・パゾリーニ



  プロデューサーのアルフレード・ビーニに宛てたプロ・チヴィターテ・クリスティアーナのルーチョS.カルーゾ学士の手紙。

親愛なるビーニ学士、                          一九六三年五月十二日
『マタイによる福音書』の脚本をぼくは一気に読んでしまった。非常に素晴らしい! ぼくの第一印象は驚愕だ。この著者があのパゾリーニ、あの男については何紙もがあんなにも悪く言っているのに、なんてことはありえるのだろうか? ぼくらは〈聖書〉に最も厳密に依拠しているばかりか、倫理的にも教理上も最も完璧に正統的なばかりか、稀に見る聖書解釈上の洞察の仕事を目の当たりにしているのだよ。
近日中に、ジョヴァンニ・ロッシ師の判断と、高名なる神学者のファヴァーロ神父やグラッソ教授やアーンジェロ・ペンナ教授の判断を、ぼくは知ることだろう。
いまはあなたに口頭でもっと漏れなく言えるであろう一つの考察を前もって言わせてほしい。ぼくにはこれは作るべき映画、あるいはせめて作ろうと試みるべき映画だと思える。すべてはいまやパゾリーニにかかっている、彼の信仰次第だ。いったいパゾリーニはおのれのうちに〈信仰〉の大きな焔を燃えあがらすことが出来るだろうか? イエスについての映画を作るにはまず何よりもイエスを信ずることが必要だ。さもないと、冷やかで学者ぶった作品が仕上がってしまう。事実に則してみると、ぼくらはこれまでのところパゾリーニ学士から多大な保証と最良の脚本を受け取った。これら一切がぼくには立派な瑞祥のように思える。
あなたに会える日を待ちながら、親愛なるビーニ学士よ、ぼくの心からの挨拶を受けてくれたまえ。あなたの                      ルーチョ S.カルーゾ



  プロデューサーのアルフレード・ビーニに宛てたピエール・パーオロ・パゾリーニの手紙。

親愛なるアルフレード                             一九六三年六月
『聖マタイによる福音書』のぼくの映画化を司るであろう基準を文書で、きみの便宜のためにも、要約してくれとのことだったね。
宗教的な視点からは、宗教性の特徴をおのれの世俗主義のなかに取り戻そうとつねに試みてきたぼくにとっては、素朴に本体論的な二つの既知事項が役に立つ。キリストの人性は、かくも内的な力によって、知と知を確かめることへのかくも減じえない渇きによって、どんな躓きやどんな矛盾も恐れずに、押し上げられたから、キリストの人性にとっては「神性の」比喩はその比喩性の果てにあって、ついには観念的には現実となるくらいなのだ。さらに、ぼくにとって美とはつねに「倫理的な美」であった。けれどそういう美はつねに、詩、あるいは哲学、あるいは実践をとおして、間接的にぼくらに届く。間接的ではなく、直接的で、無垢の状態での「倫理的な美」は、ぼくはそれを〈福音書〉において実験したのだ。
ぼくの「芸術家としての」〈福音書〉との関係はというと、それは充分に興味深いものだ。たぶんきみも知るように、ぼくは作家としては〈抵抗運動〉の理念から生まれたのだし、マルクス主義者として云々、一九五〇年代を通じてぼくのイデオロギー的な作品はみな合理性へと向かい、デカダンス文学(そこでぼくは立ち止まり、あんなにも愛したのだが)の非合理主義と論戦を重ねてきた。ところが、〈福音書〉についての映画を作る、そしてその技術的な直観は、白状せねばならないが、非合理主義の猛り狂ったうねりの結実なのだよ。ぼくは詩としての無垢の作品を作りたい、美的にはいくつも危険を冒してまでもね(伴奏音楽としては、バッハそれに一部はモーツァルト。表徴的なインスピレーションのためにはピエーロ・デッラ・フランチェースカそれに一部はドゥッチョ。背景および環境としては、アラブ世界の結局、先史時代的かつエキゾチックな現実)。こうしたこと一切はぼくの作家としての全経歴に危うくもまた傷をつけることだ、それは分っている。けれどもマタイのキリストをこんなにもひたむきに愛してしまったのだから、ぼくとしては何かまた傷つけるのを恐れるのも素敵じゃないか。きみの
                                                          ピエール・パーオロ・パゾリーニ

* Sei lettere むろん、本来は「六通の手紙」である。が、残念なことに、旧式のワープロからのファイルをパソコン用に変換したときに、どうしたことか、三通分が文字化けしてしまった。新たに翻訳するのは大分先のことになるので、ここでは無事であった三通の手紙だけを載せた。






パゾリーニ  聖地の実地検証  ジャーコモ・ガンベッティ 

 

一九六三年六月二十七日から七月十一日まで、イスラエルとヨルダンに赴いて、〈福音書〉のもともとの事跡を、ピエール・パーオロ・パゾリーニ、プロ・チヴィターテ・クリスティアーナのアンドレーア・カッラーロ師とルーチョ・セッティーミオ・カルーゾ学士、アルコ・フィルムのワォルター・カンタトーレ、制作会社のアルフレード・ビーニ、チーフカメラマンのアルド・ペッネッリの六名が訪ね歩いた。二重の目的があった。ひとつにはパゾリーニにおいてはすでに深ぶかと苦悩に満ちたインスピレーションを再確認して、ただ読書のなか、幻想のなか、表徴芸術のなか、音楽のなかに見ただけの事物や瞬間を間近に捉えなおすこと、またひとつには〈福音書〉をとおしてキリストの人生に想をえた映画のために、あちらで映画の全部または一部を撮る可能性を調べ、衣裳や、すでにあるセットと「可能な」セットを掌握することだった。
パゾリーニは、訪れた土地土地のドキュメンタリーフィルム六巻と、厖大な量の新たな精神的示唆と、「荒廃、賤しさ、貧しさの極端な印象」と、フィルムを映画化するのにまだ必要があったとして実に鞏固な新たな衝撃を抱えて、イスラエルから帰国した。が、同時にイスラエルおよびヨルダンの風景を、あるいはイスラエルおよびヨルダンの人びとの顔を使うことは不可能だと断乎たる確信をもって舞い戻ったのだった。
キリストの時代から過ぎ去った二千年間に、自然の背景は深ぶかと変わってしまい、「いつも何かしらモダンすぎて工業的なものが目につく」のだった。そうしてパゾリーニは、出会ったもののうち、そうであったのに、もう全く元へは戻りようのないものと、何か似ていて、ずっと無垢のままに、ずっと不動のままに、保持されてきたもの、それゆえ〈福音書〉の過去、場所、背景を表現できるようなものとを、絶えず同一視しようとするようになった。南イタリアの、マテーラ、クロトーネ、プーリア、そしてなおまだほかの地域へ、ますます抑えがたく、深く分け入ってゆき、フィルムの美術と環境の設定にのめり込む、それというのも〈聖地〉の変貌した風景ばかりか、不変の風景をもそこに捉えられる可能性があったからだが。「〈至福〉の山はカラーブリアやプーリアの最も荒寥とした土地のひとつのように思えて(……)ぼくは寓話的な土地を予期していて、ぼくは遜ることの教えをえて、キリストの生と死は悉く握り拳のなかにあって(……)たいへんよく似た山々がイオーニア海に臨む、クートゥラとクロトーネのあいだにあって、プーリア地方に典型的なオリーヴ畑が拡がり、(……)バーリの旧市街はキリストの奇蹟のひとつがなされた場所でもよく(……)でもぼくに必要となるのはその上にモダンな教会を建築中なんかじゃない〈聖母マリアへのお告げ〉の洞窟だろうし、今日のベツレヘムに置き換えられるような『ほんものの』ベツレヘムをぼくは探さねばならないことだろう(……)たぶん、唯一の問題は荒れ野の再現だろう、この光と、この地平の茫漠さと、草木の毟り取られたこの一帯、エートナ山を思い出させるような(……)それに死海、それ自体のうちに雄大さを蔵しているかのような、きわめてわずかな風景のひとつ、月世界の戦慄の風景、の再現。」
本質において、〈聖地〉での旅は精神力の(精神的=美的な、とパゾリーニは言う)横溢を倍加した、まさにフィルムが物理的にはその物語の起源から遠ざかったときに。イスラエルは現代的すぎる。ヨルダンは後代の、とりわけ〈十字軍〉やアラブの、さまざまな建築学上の沈澱物に覆われていた。パゾリーニの気に入らぬ現代的なキリスト教の大教会がとにかく〈聖母マリアへのお告げ〉の洞窟や、キリスト〈誕生〉の地や、〈カルヴァーリオの丘〉や、〈聖墓〉の自然のままの表現を妨げている。
カルーゾ学士がぼくらに言ったように「休戦の暫定性」ばかりを長年色濃く漂わせている国のなかで、パゾリーニは今日ただいまの事態を深く観察すると同時に、イエス・キリストの時代のテキストどおりの風土に分け入った。実際、ルーチョ・カルーゾが旅の日々のなかで言っている。「〈聖墓〉のコンスタンティヌス時代のバジーリカ会堂をまえにして、パゾリーニの拒絶みたいな軽い仕草にぼくは衝撃を受けた。動機は──それはすぐに分かったし、あとで彼自身がぼくにそれを認めた──彼は後世の建築的堆積の下に、イエスが目にしたままの〈聖地〉の顔を見たかったのだ。ぼくにはますます明らかなことに思われた、彼はフィルムを、歴史的再現に想をえたり民衆の空想に任せたりする遠い後世の霧散した展望のなかにではなくて、現代の生きた展望のなかで撮りたいのだ。」野良の眺め、たとえば小麦の籾と籾殻を空高くほうり上げる「脱穀」の単調な作業を見て、アンドレーア・カッラーロ師がパゾリーニに言う。良い小麦の粒は一方へ、籾殻は他方へ、厳しい選別を無事に切り抜けるかどうか、まさしく麦に譬えられたファリサイ人たちの福音書のイメージを。すると映画監督は注意深くその言葉を聴く。それこそアンドレーア師の「完璧な反応」と彼の呼ぶものだ。言葉遣いで分かるように「アンドレーア師がヴェーネト訛りで話す、ヴェーネト人だからでもある。」それに彼は彼自身と同じような幼年時代を送り、「典礼的=ヴェーネト的=カトリック的教育」を受けたから、将来のカトリック教徒の観衆の反応を知る物差しになるかもしれない。実際、ドキュメンタリー撮りの──それはパゾリーニには、探索、試し撮り、証言として役立った──最中にアンドレーア師は映画監督に向かって言ったものである。魂は〈聖地〉の地理的状況も呑み込まねばならぬだろうから、それを感じるためには、また創りなおさねば。なおまたパゾリーニもおのれのうちにいくつか文体的な警告を聞き取っていた。「エルサレムは疑いなく壮麗で崇高だ。それまでのフィルムが簡素でくっきりとしたものならば、エルサレム入城ではぼくは調子を変えて、ルンペン・プロレタリアートの貧民窟の陽気さや多様性と、群衆と都の雄大さを吸収し直さねばならない。」
もうひとつ問題が未解決のままに残ることだろう。フィルムがイスラエルとヨルダンで撮られたとして、まさしく実地調査の裏をかくように、エキストラの問題が浮上することだろう。大部分が工業の労働にほぼ全住民が吸い取られているイスラエルでエキストラを見つけるのは不可能だ。それにヨルダンでは「アラブ人の顔々はキリスト教以前のものだ。無関心で、陽気で、獣染みていて、いくらか悲しげだ。彼らの顔の上に、キリストの教えは、遠くからでもかすりもしなかった。」そんなヨルダンでもエキストラを見つけるのは不可能だ。パゾリーニはいつも、とても活き活きと「アンドレーア師の頭の絶対的に、秩序立った働きに」感銘を受けていた。この人は、古きにつけ新しきにつけ、知られていることでも未知のことでも、異常だろうが尋常だろうが、何事にも決して驚かなかった。「アンドレーア師は」と、ルーチョ・カルーゾがつけ加えて言う。「学究肌の精確さでもって節度ある説明を、その釈義学の複雑な用語を簡明な言葉に訳し直しながら伝えていた。彼がぼくの〈聖書〉の厳しい教師であったその人と同じ人だとは思えないくらいだった。決して感情に左右されず、声の調子を変えることもなかった。あれらの場所にひとつの説明を加えるだけで、あとはそれら自体の声を聞かせるのだった。そして顔という顔の表情からぼくは気がついたのだったが、各人の心の内奥に語りかけてくるのは、二千年前に〈罪のない人〉の血に濡れたまさにあの石畳だった。苦しみの道。ここを通ってイエスが、人である神が、十字架を肩に背負って、今と同じく当時も無関心だった人びとの真ん中を歩んでいったのだ。ぼくはパゾリーニに訊いた、」とカルーゾがつけ加える、「『おまえたちのうちに、おまえたちの知らない方がいる』という洗礼者ヨハネの言葉はいまでも彼には現実のものに思えるのか、と。すると彼はぼくに、そうだ、と答えた。」そしてパゾリーニは絶えず強調する傾向があった──聖パウロの思考についてアンドレーア師の確認を受けながら──事物が小さく剥き出しだったと映れば映るほど(「全〈福音書〉のいつものつましい物差し」)、彼にとっては美的にいっそう美しいのだった。
「パゾリーニは、」と直の印象をルーチョ・カルーゾがなおも述べる、「どきっとするほど仕事が出来る。酷い暑さにも気がつかないように見えるし、それどころか、実に涼しげなんだ。注意力の固まりで、どんな微細な細部でもたちどころに捉えてコメントするんだ。彼のうちにある、社会学的というよりは心理学的な関心には一驚した。不健康な環境にいる、この惨めな人びとをまえにして、彼らの巨大な社会問題、この襤褸を纏った人だらけの共同体全体の屈辱のことを、彼は考えないでむしろ個々の個人の葛藤を、その精神世界を、個人=食物にありつくこと、個人=襤褸の関係を感じとって、彼らの東洋的宿命論の外的徴候を捜し求め、ここの人びとの陽気さがあるいは悲しみにあるいは獣性に支えられているのであって、決して晴れやかな喜びに支えられた陽気さではないことを暴く。
ぼくらはゲツセマネの農園を訪れて、そこから車で一時間のエンマウス*まで足を延ばした。ゲツセマネはイエスの恐れと苦しみの場所だ、ここで彼は血の汗をかき、ユダによって裏切られ、使徒たちによって見捨てられた。パゾリーニはオリーヴの木々を賛嘆して眺めた、巨大で、千年を超えて生き、その幹という幹は漏斗状に巻いて身を捩り、二千年前と少しも変わらなかった。彼はオリーヴの樹々のことを語り、ほかのことは口にしなかった。これらの土地が放つように思われる力強い精神力の旺溢に、防御の姿勢をとるかのように見えたことだった。」
*訳註 エマオという村のこと。復活後キリストが二人の弟子たちの前に姿を現したが、それと分かるとすぐに見えなくなった。ルカ二四-一三。
パゾリーニのほうも、ドキュメンタリーへのコメントのなかで(つねにビーニ宛の読みやすい報告の手紙という体裁をとった)、ある程度まで、カルーゾの観察を間接的に証拠立てながら、こう記す。「獣みたいにこちらにいて身をもってヨルダンの前に立つのは、ぼくにある種の当惑と、敬意の不足を感じさせる。ぼくはとりわけ美的理由ゆえに戸惑ってしまった。」カルーゾが続ける。「まさしくここで、ゲツセマネの農園で、イエスは『罪を着せられて』、つまりあらゆるぼくらの罪を背負ってやがて十字架にかけられてそれらを贖うのだ、と彼に言ってやった。彼の眼差しのなかに感動の閃きを見たようにぼくには思えた。」実地検証のドキュメンタリーは〈キリストの昇天〉の環境で終わる。それはパゾリーニが、彼は彼で、「〈教会〉全史中最も崇高な瞬間、彼を探し求めるよう〈彼〉がぼくらを置き去りにした瞬間」と同一と認めたものである。


プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの見解



  プロ・チヴィターテ・クリスティアーナは「ジョヴァンニ・ロッシ師によってアッシージに一九三九年十二月に創設された平信徒の慈善団体だがすぐにその教区の司教によって教会法に従って設立された」。その名前自体がその目的を知らせている。「〈福音書〉の原理に社会を連れ戻すこと」、ヨハネ二十三世の教皇小勅書が権威をこめて公布したように、これをもってこの団体は一九五九年十一月に「第一の位に永久に引き上げられた」。そのメンバーたち、いわゆる「ボランティアたち」は、みな大学で学位を取って、正規の神学研究課程を終えた者たちで、使徒職に完全に身を捧げて、家庭や職業を捨てている。彼らのもくろみは「現代人の魂をキリスト教徒化させることで、それには伝道会、講座、集会を開いて言葉で、雑誌、書物を出版して印刷物で、世俗の人のために神学学校を組織して学問で、芸術で、また現代が彼らに供するあらゆる手段で、働きかける」。彼らは〈キリスト教徒の砦〉で暮らしながら働いていて、そこは現代の大修道院にも似て、「短期滞在のためにアッシージに立ち寄ることを望む人びとを受け入れるが、とくに懐疑や不信仰に苦しむ人たちを歓迎する」。
 〈プロ・チヴィターテ〉のボランティアたちは、その創設者であり会長であるジョヴァンニ・ロッシ師の思考と行動にまったく同調しているばかりか、その精神を生きている。ここ数ヵ月間のニュースが報じたように、プロ・チヴィターテ・クリスティアーナは、おのれの活動とおのれの基準の路線に沿いつつ、ピエール・パーオロ・パゾリーニによって〈福音書〉に想を得て、〈福音書〉を原作とし、〈福音書〉に関して映画化されたフィルムのイニシアチヴを活発に支援してきた。たとえ外側からは、このような類の作品にはもろに「相応しい」者ではないとほかの人が考えうる映画監督であるにしても、パゾリーニは燃えるような独創性と生き生きとした着想をもって、宗教映画の主題を再び開いている。それはその扱いがかくも難しく、かくも重大なばかりか、最高位の聖職者からその裾野に至るまで、芸術表現の方法として、また現代的コミュニケーションの手段として映画を信ずる、映画の美的、倫理的、使徒的な価値に心から打たれたカトリック信者たちみなの心にかくも近い主題である。
 それゆえ、一般的には、プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの事業に関して、また個別には、パゾリーニの『福音書』とのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナの関係について、映画部門の部門長である、ルーチョ・セッティーミオ・カルーゾ学士を、われわれはインタビューした。


プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの
目的とはいかなるもので
それを基に
パゾリーニとの出会いを説明願えるか?

プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの目的とはたった一つのことしかない。使徒としての現代的イニシアチヴをとおして今日の文明をキリスト教に立ち返らすことだ。思うに、キリスト教の教義に故意に敵対する人びとはあるまい。それゆえ一方の今日の社会と他方のイエスの言葉とを結び合わせることがぼくらの仕事となる。つまり、真実を苦闘しながら探し求める人間の精神と、精神や心を洞察する消えない力をおのれに備えている神的〈真実〉との出会いだ。
こうした目的を追求しながらぼくらプロ・チヴィターテ・クリスティアーナのボランティアたちはイタリアじゅうを旅して、司教たちの招きのもとに伝道し、イエスの福音を説く、工場で、会社で、大学で、刑務所で、文化施設で、町中の辻々でさえ、要するに社会生活の喘ぎの脈打つところならどこででも、福音を説くのだ。
同時にぼくらの〈キリスト教徒の砦〉においてあらゆる社会カテゴリーの出会いを公告する。ぼくらは画家たち、彫刻家たち、大学の教授たち、工員たち、学生たち、音楽家たち、専門職たち、職人たち、銀行家たち、映画芸術家たち、産業家たちを招く。そして〈砦〉の晴れやかな楽しい雰囲気のなかで誰にでもイエスのことを語りかける。キリスト教の光の下でこの地上でも喜びは可能なのだと、ぼくらは誰にでも言う。ぼくらの招待はまず何よりも信仰から最も遠くてしかも社会的に最も反響の大きな人びとに向けられる。それゆえ一九六二年にパゾリーニが、イタリアのすべての映画芸術家に向けられたぼくらの招待に応じて、数日間を過ごしにぼくらのもとに来たときには、ぼくらはとても嬉しかった。繰り返しておくが、イエスから最も遠い人たちにイエスのことを語る、これがぼくら固有の伝道なのだ。
そしてしばらく経ってから、イエスの生涯に関して作ろうと思っている映画(結局作ったわけだが)においてキリスト教の教義と倫理上の誤りを避けるために、パゾリーニがぼくらに助力を求めてきたとき、ぼくらの義務は彼を助けて助言することだとぼくらは感じた。もうぼくらは後へ引くわけにはゆかなかった。ぼくらにタボル山の悪鬼に憑かれた少年の父親の祈り「主よ、わたしの乏しい信仰をお救いください」を無視することが出来ただろうか?*

* 訳註 本書二八二頁。父親の言葉はマルコ九-二四、参照。

一九六三年の二月から五月にかけてパゾリーニはしばしばアッシージを訪れてぼくらの図書館(イエスのことを語る四万五千巻の蔵書!)と〈天文台〉の図像学部門での調査を終えた。彼はそのシナリオの大部分を〈砦〉で書き上げた。脚本はその後PCCの何人かのボランティアたちやたまたま訪れたほかの人たち、ブルーノ神父に伴われた聖フェデーレ文化センターのファヴァーロ神父、と議論された。またそれは著名な学究たち、神学者のロマーノ・グアルディーニ、ドイツの作家のシュテファン・アンドゥレ、聖書学者のペンナ教授にも読んでもらうために送られた。


ピエール・パーオロ・パゾリーニにはどんな印象をもったか
またこの男に対してどんな感情を育んだか
キリスト教の信仰と倫理からは遠い男と
彼はしばしば目されているのだが?
いくつかの新聞が申し立てた異議に対しては
どのように答えたのか?

ピエール・パーオロ・パゾリーニには、ぼくらが近づきを得たそれぞれの人たちと同じように、ぼくらは非常に素晴らしい印象をうけた。実際、どの人間の顔のなかにも〈主〉のあの驚くべき顔の反映を見るわけで、どの魂のなかにもイエスがおのれの血で贖われたものをぼくらは見出すわけだ。
パゾリーニが神を信じない人であるばかりか、過ちを犯す人だと言われていることについては、たとえそれが真実であったにせよ、それが彼を締め出して彼がぼくらに求めた助力を拒む理由にはならないと思うとだけ控えめに答えておく。イエスは誰をも愛したが、ことのほか取税人、罪人、山賊を愛し、またマグダラのマリアのように、最も苦しい倫理的悲惨に陥った哀れな人たち、不倫の女や、サマリア女を愛したのだから。
ある種の新聞の攻撃にはぼくらは答えなかった、論戦することはプロ・チヴィターテ・クリスティアーナの習慣にはないからだ。けれども低い声でならぼくらも言っておいた、もしもみなほんとうにキリスト教徒なら、どの人間の傷口にも酢ではなくて善意の香油を注いだのではあるまいか、と。イエスはみなを助けるために、誰をも救うために死んだ。キリスト教信仰が光を放つのは、まさしくこのような無限の憐れみのヴィジョンにおいてなのである。


あの映画に関するプロ・チヴィターテ・クリスティアーナの
判断はどのようなものか? 

いまぼくらが話しているあいだもあの映画はまだ制作中だ。だから、ぼくらとしては先走っていかなる判断も下すわけにはゆかない。ぼくらはあの脚本に関して保ったのと同じ路線に沿って撮影を見守り、ぼくらに求められた助言はすべて与えた。あの映画が、教義上また倫理上、ぼくらの望むように、一切の誤りなしに仕上がったなら、ぼくらはとても喜んで、ぼくらの満足の意を公に表明することだろう。


真にキリスト教から想を得た映画は
どのような意義をもちうると思うのか
そしてとくに福音書に関する映画は?


カトリックの〈公会議〉は技術的諸発明を「驚くべきもの」とし、なかでも映画を「これらの道具が、善用されれば、人類にもたらしうる莫大な恩恵」ゆえに驚くべきものとした。「実際、それらは精神を高めて豊かにするばかりでなく、〈神の王国〉を広めて強固にするのにも役立つ」のだから。
キリスト教的価値を含む映画、ことにイエスの言葉のはこびてとなる映画は、信者たちの信仰に活力を与えるばかりではなく、教会には通わないが映画館へは往く者たちに救いのメッセージを知らせられることだろう。いまや映画は、いわゆる「貧者の聖書」、つまり大きなフレスコ画や、彫刻や、要するにあらゆる宗教芸術が担ってきた役割を引き受けられるかも知れないのである。



賛否

司教座聖堂参事会員アーンジェロ・ペンナ師は、教皇聖書委員会の一員、公会議列席者で、バーリ大学のセム語・文明の教授である。リッチョッティの愛弟子である、ペンナ教授はとくにその預言者イザヤと聖パウロの翻訳と註釈の労作ゆえに偉大な聖書学者のひとりと目されている。
ペンナ教授はローマの、聖アニェーゼ聖堂近くに住んでいる。

聖アニェーゼのコンスタンティヌス聖堂
ノメンターナ通り三四九                 ローマ、一九六三年五月十五日
親愛なるカルーゾ氏よ、企画中の映画の筋を大変興味深く読んだ。そこに信仰に反する物はなにひとつない、と二言三言に止めておくことも出来たのだが、やはり特記しておくことにした。思うに、パゾリーニは論評が何の偏見もなしにまたほかの理由からではなく書かれることを理解するには十分すぎるほど知的だ。そのことをどう考慮なさろうと、それは全くあなたのご自由だ。
ジョヴァンニ師始め、みなに心からの挨拶を。
敬虔なるアーンジェロ・ペンナ師


プロデューサーのアルフレード・ビーニに宛てたミラーノの聖フェデーレ文化センターのアルカーン
ジェロ・ファヴァーロ神父の手紙

親愛なるビーニ学士、                      ミラーノ、一九六四年一月四日
ピエール・パーオロ・パゾリーニが〈銀幕〉に託そうとしている『聖マタイによる福音書』のシナリオを読んだ。それが〈聖書〉に則し、かつ恭しいものであることを見出した。
あの〈芸術家〉の演出が天才的だとしたら、この〈プロデューサー〉のイニシアチヴは勇気あるものとぼくは言わざるをえない。ぼくは確信しているが、〈テキスト〉から〈銀幕〉への推移のなかでパゾリーニの詩学は立ち向かったテーマにほんとうに相応しい芸術作品を生み出してくれることだろう。そして観衆の歓迎が〈あなた〉にも当然うけるべき満足を与えるように。
ぼくのほうとしては些かなりとも協力できて、しかもそれが〈著者〉によって鷹揚に信頼されて幸せだよ。
ピエール・パーオロ・パゾリーニのためにもその天才的な仕事が完璧に仕上がるように心から祈る。
心からの挨拶をこめて。           アルカーンジェロ・ファヴァーロ・イエズス教会神父


ロマーノ・グアルディーニ教授は、エッセイストで作家で、ドイツ国籍でミュンヘンに住んでいる。
カトリック神学の大家とされ、〈公会議〉の専門家である。主要著作は『〈主〉』。
〔訳註。もとはドイツ語で記された手紙だが、以下はそのイタリア語訳からの翻訳である。〕

ロマーノ・グアルディーニ博士教授
八 ミュンヘン二七、メルツ通り、二                   一九六三年九月十八日
親愛なる学士よ、あなたの送ってくれた脚本を受け取った。この企画に関しては、残念ながら肯定的な判断は下しかねる。はっきりと言わねばならんかね? 今日聖なる事柄が広告によって受ける扱いは確かに〈神〉には喜ばれまい。わたしが思うに、イエスの生涯を映画によって描いて見せることは不可能だ。
たとえば、想像したくもないことだが、そのフィルムの映画化においてキリストの位格はその役の不運な俳優によっていかに忠実に演じられうるのだね? 少しは「神秘感」が必要だと思うね。
それゆえ、思うに、この企画は映画化しないほうがよいことだろう。
心からの挨拶をこめて                       ロマーノ・グアルディーニ




アルフレード・ビーニの(信頼に溢れた)発言


ピエール・パーオロ・パゾリーニの『福音書』の制作を準備したアルフレード・ビーニの狙い(企業的、イデオロギー的、芸術的な狙いをひっくるめて)はいかなるものか、ローマの、イタリア演劇協会本部で、一九六四年一月十四日に彼が行った座談から引き出すことが出来る。ビーニはそもそもの始めからパゾリーニを信じた男である。それは、この新映画監督のスタイルが月並みに過ぎると判断したさまざまなプロダクションの拒絶ののち、そしてほかの取決めも結論が出ずに、『アッカットーネ』(乞食)を映画化する希望が悉く潰え去ったかに見えたのちのことである。
それゆえ彼のはすでに共通の仕事の五年間によってテスト済の信頼であり、対立のある際にも減じたりはしないし、今日は『福音書』のような映画に対する心からの熱中と生き生きとした関心によって再び火のついた信頼なのである。『福音書』は彼らの技量の意志すべてを巻き込み、イニシアチヴにおけるそのどんな責任、どんな役割をも絡めこんで、とりわけ彼らの最も深い精神的感動を巻き込んだのである。


著名なる紳士、温和なる淑女方、
みなの名において短編映画協会会長のパッラヴィチーニ学士に感謝することをお許しいただきたい。〈教皇〉の〈聖地〉巡礼という異例の出来事を撮ったこの実に美しいカラー臨時特別フィルムをかくも早々と見ることが出来たのだから。ぼくらは異例の時代に生きていると本当に言うことが出来る。ほんの二、三ヵ月前までは異例なことと言えばほとんど専らテクノロジーの進歩に関するものであり、すでにかなり前から潜在していた精神的不安の鋭敏化はいまや到る所で姿を現しつつあって、抑えがたい精神的必要を満足させることを求めている。要するにこうした絶えざる不満、不安、苦悶の徴というものは、偉大な技術上の進歩と物質的向上それだけでは人類を安心させるには足らないことのはっきりした兆候である。その上で進展可能な社会的関係という共通の土壌の必要性をますます生き生きと感じだしたすべての民衆のために役立つ真実を、明らかに人類は探し求めている。
民衆のあいだの精神性と結合というこの切迫したうねりを視野に収めてゆくこの精神、その最初のスポークスマンとなったのがヨハネ教皇であり、往く先々の国々で、またその政治的、宗教的指導者みなのあいだに即座の反応を見出している。そして〈公会議〉、国際的な緊張緩和、〈教皇〉のパレスティナ巡礼と続く。ケネディ大統領の暗殺のように劇的かつマイナスの出来事も、また正確かつ示唆的な徴なのだ。
人間に巣くう非合理な獣染みた有害な衝動が、いかにつねに待ち伏せしていて、善へと向かう勢力を狂気の一瞬において断ち切ってしまうかを、いま一度示している。キリストの時代から何ひとつ変わらなかったように見える。今回の暗殺においてもまた、手を抜いた哀れな追っつけ裁判をもって人びとと利害の蠢く同じリズムがある。まるで裁判は、避けがたくはあるが、急いでやっつけて隠してしまうべき、恥ずべきことでもあるかのように。
しかし翻ってぼくらの映画という小さな問題を考えてみれば、実のところぼくらはすでに一年も前から仕事を始めているのだが、世の中のこうした徴やこうした一致からして、『福音書』による対話を、映画という媒体を使ってでも、世界中の観衆と始められるときが本当に来たというぼくらの確信を強めることが出来た。つまり、ぼくらがこれまで騒ぎ立っては来たが、ますます不充分で矛盾に満ちてくるばかりの論争的、イデオロギー的な分断された戦いを戦場から取り払って、要するに、『福音書』によってやり直すということは、人生の異論の余地がない掟の源泉からやり直しをすることを意味するのだ。
ぼくらは確信していた、世界中の観衆たちは、異例のスペクタクルを見物することばかりではなくて、この地上での対話をも受け入れようとすることだろう。そして『福音書』が、たんに物語られた出来事の表現としてだけ見られたとしても、熱っぽい関心と普遍的な理解の主題ではないとは言い切れないだろう、と。
それに、今宵ここにぼくらのなかにいる映画産業の信頼しうる専門家の方たちは、宗教的主題の映画に対する公衆の態度がいかなるものかを、よくご存知だ。イタリアでは映画事業の開始いらい今日に至るまで宗教的主題の映画だけが四〇億リラを上回る売上を上げており、『十戒』に到っては史上最大の六〇億リラ強の売上を記録している、と言えば足りる。そのことはイタリアの全人口のおよそ六〇%がその映画を見たことを意味する(イタリアで商業的に大成功した映画はふつう人口の七ないし八%に見られていることを留意すべきだろう)。
ぼくらが映画化しようと思うフィルムの商業的有効性についてぼくが触れたのは、ぼくらの企画が事業だからばかりではなくて、そのような有効性が、映画が国の隅々までほんとうに流通し、国境を越えてゆくためには、映画にとって不可欠だからだ。そのようにでなければ、フィルムそのものはたいへん素晴らしい出来で、正統性の視点からも非の打ち所がないかもしれないが、映画としてはおおよそは無用のものとなってしまう。
要するにこの映画の実際的かつ直接の野心は、一本の映画にとってその釣合い上可能なかぎり、ヨハネ教皇、フルシチョフ、ケネディによって始められ、いまはパウロ六世によってかくも深ぶかと続けられている理解と共存の大きな運動のなかに、仲間入りすることなのだ。パウロ六世の〈聖地〉への旅は、パレスティナの貧しい人びとと清貧な教会への復帰、キリストの時代と同じように今日でも国際的な人種と利害と緊張の坩堝であるあのエルサレムへの復帰をもって、福音書の教えに適った的確な意義があるようにぼくらには思われる。
ぼくらの企画に話を戻せば、もちろん、このような企てを試みることが出来るためには多大の協力と多くの同意をぼくらは必要としている。だがとりわけ、ぼくらが今宵お邪魔したのもそのためなのだが、ぼくらは信じてもらう必要がある。この点については、ここに出席の方々に、個人としてであれ、団体あるいは協会としてであれ、これまでぼくらに励ましと貴重な助言をいただいた方々に、お礼せねばならないとぼくは感じている。ロッシ師の〈砦〉の友人たち、演劇協会、聖フェデーレ・センターのファヴァーロ神父。脚本を検討してくださったイタリア内外の権威ある人びと。ぼくらとしては、つねに助言を求めてきたし、映画の脚本を彼らの検討に委ねて、釈義学および神学的視点からの彼らの示唆を喜んで受け入れてきた。ぼくらは映画の制作中もまた完成後も同じ態度を続けることを請け合う。
だからといって、この企画に関してぼくらと一緒に誰かに責任が及ぶという意味ではまったくない。最終的な判断はやはり、ぼくらが完成した映画を彼らに委ねたのちのことである。
ともあれ、これまでぼくらが仕事を進めてきた明快さと、ぼくらの担った責務とで、ぼくらは彼らの信頼を保ってゆけると確信している。そういう信頼が、いわれなく反対の数人の声によって、損なわれることがありうるとはぼくらは思わない。こうした反対の声はすでに企画を初めて明らかにした当時から上がっていて、ぼくらの行動や言葉の端々に絶えず尾鰭を付けながら、その偏見と不毛の態度を撤回しないで、ついには成った事実の明白さのまえに沈黙を強いられるまで消えそうもないのだが。たぶん、その時に及んでさえも消えないかもしれない。ともあれ、ぼくらの事実と彼らのお喋りのあいだで、ぼくらが優位に立つことだろう。
そしてあなたがたの今宵の寛大なるご出席はすでにそれ自体、ぼくらにとっては極めて励ましとなる疑いもなくプラスの徴なのである。




映画/演劇のなかの福音書


【覚書】

パゾリーニとその〈福音書〉の映画演出について語るとき、それ以前の〈福音書〉の戯曲や視覚的演出について、ごく短く総括し、ただ参考までに記して、思い出すのも役に立つことかもしれない。
キリスト教の初期の時代から〈福音書〉と、その説明である〈釈義〉の朗誦は〈ミサ〉の肝要な部分を成していた。信者たちはそのような朗誦に無関心のままではなかったし、ある種の場合には、劇的な仕方でさえ反応した。教皇グレゴリウス一世のときに「交唱聖歌」が導入された。〈聖書〉の節が、あたかも対話みたいに、応答する二つの半コーラスによって唱われた。〈福音書〉では多くの出来事が対話体で物語られていて、少しも無理をする必要がなかった。
〈聖週〉にはイエスの〈受難〉物語が、演ずる人物によって声域を変えて劇化された。やがて(ときには今日でもなされるように)物語が〈歴史〉〈キリスト〉〈会堂〉に区分されて劇化された。夜明けから待たれ始めた〈復活祭〉の朝は、香料をもって〈聖墓〉に来た女たちに向けられた〈天使〉の言葉をくり返す歌声で幕が上がる。「誰を探すか?既に甦りたり。/来て見よ。ハレルヤ。ハレルヤ。」これに返答を促す問いがつけ加えられた。実際、古い時代の〈昇階唱〉や〈交唱聖歌〉の多くで(アックイレーイア、モンテカッシーノ、バーリ、バルレッタ、ベネヴェーント、ボッビオ、チヴィダーレ、クレモーナ、イヴレーア、マーントヴァ、ノナーントラ、パルマ、ピアチェーンツンァ、ラヴェーンナ、シチーリア、スートゥリ、ウーディネ、ヴェルチェッリ、ヴェネーツィア)このようにして、テキストが豊かになったのを見る。「誰を探すか?/ナザレのイエスを/此処には在さず/ハレルヤ。」サン・ガッロの「トローポ *1」(またはファルチトゥーラ)ではこんなふうに唱う。「問。キリストの墓にて誰を探すか?/答。磔にされた、おお、天の住人、ナザレのイエスを。/此処には在さず、その預言されたる如く甦りたり。/往って、墓より起ちたることを告げよ。/甦りたり。」
こうした初期の挿入から動作や仕種の追加へと向かう。祭壇間近に坐った白衣を纏った助祭が〈天使〉を演じ、三人の助祭が加わって〈聖墓〉の女たちを演じる、といったように。劇化はやがてほかの祭日にも及ぶ。クリスマスにはトローポ〔トロープス〕はこうなった。「厩にて誰を探すか?」
こうして典礼のなかに挿入されて、劇的祭式もしくは典礼劇と呼ばれる本物の劇となった。聖書の言葉からは後に、散文に韻文(続唱、聖歌)が取って代わったときに、離れてゆく。モンテカッシーノの『受難』は、俗語詩の〈聖母〉の『歎き』付の『スタバト・マーテル〔母は立ちいたり〕』の韻文と同じ韻律の韻文である。俗語の優位とともに、出来事の推移としては福音書または聖書に倣いながら、現代
的な言葉やフレーズや対話を取り入れて、聖劇のテキストも実際に俗語で書かれるようになる。主役たちはもはや聖職者ではなくて、「信仰会」に属する、ことに「苦行者の会*2」の俗人たちであった。ことに非常に数多くの〈聖母〉の「悲嘆」が母親たちが死んだ息子になす「死者への歎き」に想をえた。イエスの受けた苦しみをその〈母〉の口から語らせて、その〈受難〉物語をますます戦慄かせるものにする傾向さえあった(聖アンセルモ、聖ベルナルド、ほか)*3。
俗語の戯曲は宗教的な役割を外れてゆく。名高いヤコポーネの『歎き』はもともとは(アポッローニオ、テッルッジャ、対ダンコーナ、デ・バルトロマエイス)たんに叙情的な聖歌であったのに、さらにのちになるといくつかの節がほかの聖劇に挿入されて、教会から大伽藍の真向かいの広場に移ってゆき、手の込んだ舞台装置と衣裳の舞台でミサを豊かにしながら、聖書とは無縁の要素を取り入れて、追悼するばかりでなく、楽しませ驚かせることを目的とするようになった。聖書のほぼ逐語訳的な聖劇がウーンブリア地方には残されていて、ペルージアに二つ、アッシージに一つの讃歌集があり、そのうちの短い劇は「福音書讃歌」と呼ばれている。実際、その日にミサで朗誦された〈福音書〉の一節が「劇化」されていた。

 原註*1《Tropo:"versiculi ante, inter, vel post alios ecclesiasticos cantus appositi".Inventato a Jume'ges come ricordo mnemonico sull' a  dell' Alleluia》 (Terruggia).
*2「男たち女たちから成る“マリア信仰会”と違って、“苦行者の会”はただ男たちだけで“おのれを鞭打ちながら”讃歌を唱って街中を練り歩いた。それも、金曜日の晩と日曜日その他の祭日の朝にたいてい語り始められたデヴォツィオーネのなかで語り演じたのちにである。彼らの讃歌の歌調と主題は、讃歌とは〈聖母〉〈神〉〈聖者〉への祈りであり賞讃であるほかの〈信仰会〉の讃歌とは違っていた。〈苦行〉はイエスの鞭打たれたことひいては一切の〈受難〉と〈贖罪〉の神秘を呼び戻す。なおも鞭打つことに拍車を掛けるためにせよ、行列の往くのを見た者あるいはついてくる者たちを感動させるためにせよ、彼らの讃歌は〈受難〉とイエスとその〈母〉の苦しみの物語であった」(アーンジェラ・マリーア・テッルッジャ、いかなるときに〈苦行者〉たちはその演劇を創始したのか Atti del Convegno Internazionale di Perugia, 25-28 settembre 1960 su Il Movimento dei Disciplinati nel Settimo Centenario dal suo inizio, a cura della Deputazione di Storia Patria per l'Umbria, Perugia 1962).
*3「本物の“聖史劇”は(少なくとも聖ステーファノ〈信仰会〉と、同じ規約をもつその他すべての〈信仰会〉にとっては)年に一回だけ行われる。民衆のために〈受難〉の讃歌が唱われて演出される、聖金曜日の朝に」(A. M.Terruggia, op. cit.).

その後、民衆向けの劇としてさまざまな挿話が立て続けに演じられた。アーンジェラ・マリーア・テッルッジャの記すところによれば、ウーンブリア地方の演劇の進化において、「千三百年代初頭の二、三十年
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スピアの時代になってもまだそれらは演じられていた。フランスでは、まさに「受難劇講中」に出会う。(しかし彼らも一五四八年の決定的禁止令のあとでは聖書劇を演ずることはもう出来なかったことだろう)。フランスの「受難劇」は最も発達し、わが国のレヴェッロのものと同じく、何回かに分けて上演された。重要なテキストはドイツにも残っているし、スペインでは『東方三賢人劇』から『聖餐神秘劇』に至るまで保存されている。トレント公会議によって、〈教会〉と、もはや「宗教的」ではない、いかなる類の劇とも、あらゆる関係が禁止された。それからルネッサンス期の長い休止があって、十七世紀には「イエズス会士劇」の凡庸な作が見られ、それでもそれが機縁となって、ラシーヌの二傑作『エステル』と『アタリー』が生まれた。この二作は〔王の寵姫〕マントノン夫人の監督するサン・シール学院の女子寮生が演ずるように書き上げられた。
現代演劇においては──福音書劇の本当の凋落が絢爛さと外的豊富化という不自然な傾向に流れ込んだのちに──舞台上に聖なる人物を登場させるよりは「精神的な」劇を演ずるほうが好まれている。「聖体安置所」、「貧者たちへの洗足式」、南部の鞭打ち苦行派、「訓戒詩」など、劇的要素がなくはない、いくつかの伝統的形式が典礼生活のなかで再び取り上げられはしたが。今日では、福音書的な主題の戯曲探究への著しい寄与が、イタリアでは、プロ・チヴィターテ・クリスティアーナによって成されている。このP.C.C.は一九五六年にまさしく「現代社会のあらゆる最も生き生きした渇仰を活気づけるキリスト教的熱情に光を当てた戯曲のために」毎年のコンクールを発表した。
二十世紀には、映画によって、福音書から引き出されてキリストの生涯に想をえたテーマに新たな関心が注がれた。キリストの姿はつねに世界じゅうの映画監督たちに生き生きとした示唆を与えてきた。かのリュミエールその人が一八七九年に『受難』のドキュメンタリーフィルムを(ボヘミヤで)二二〇メートルも撮ったのも故なしとはしない。「これらの映像全体が」と、アメーデーエ・アイフレ*5が書く、「よく知られたドラマの一貫した物語を構成しえている(……)西欧のあらゆる芸術がいまだに汲み尽くしえない意味をこめて。」ゴーモンには一八九九年作の『キリストの生涯』があり、メリエスのほうは同年に『水上を歩むキリスト』を映画化した。パテ=ゼッカには一九〇一年に『放蕩息子』と『クォ・ヴァディス?』〔主よ、何処へ往きたまうか?〕がある。見て明らかなように、黎明期には、映画の父親たちがこぞって、福音書を源泉に肩を並べていたのである。
歳月の経つにつれて映画のタイトルはくり返されて、何本もの「生涯」、「受難」、「クォ・ヴァディス?」が舞い戻ってきた。それからイタリア映画の英雄時代が到来して、一九一二年と一四年には、ジューリオ・アンタモーロの大評判となった『カビーリア』、『クォ・ヴァディス?』、『クリストゥス』の三作があって、いずれも長い間イタリア映画の傑作と見なされた。
その後、一九二二年から三四年にかけて、セシルB.デ・ミルの「大作」映画、『十誡』、『キング・
オブ・キングズ』、『〈十字架〉の徴』があるし、一九二六年にフレッド・ニーブロゥによって映画化された最初の『ベン・ハー』も忘れることは出来ない。表現主義の提唱者の一人ロベルト・ヴィーネには一九二六年作の『ユダヤ人の王なるナザレのイエス』がある。ジュリアン・デュヴィヴィエは一九三三年にその有名な『ゴルゴタ』を撮影した。大層な評判になったのはめったに見られないイエス・キリストの生きてる姿がスクリーン上で拝めるからでもあるが(俳優はロベルト・ル・ヴィーガン)、宗教面からは、「物語とドラマの意味においてすべてが計算し尽くされていて〈福音書〉の資料に厳格に依拠している」*6ために、注目に値する。ことに注目に相応しいのはカール・Th.ドライアーの『悪魔の書物の頁』、一九二〇年作だ。この映画では、ときには、キリストの姿が登場するシーンがあるが、そのやり方をアイフレは支持しないで、他の監督たちの他の映画のように省略するほうをよしとした。一方、われわれにより近い歳月に想起されるものとしては、クールツィオ・マラパルテ脚本監督の『禁じられたキリスト』があるが、これは示唆するところなしとはしないが、主知主義と文学的上部構造によって損なわれた現代的「解釈」であった。また、『キング・オブ・キングズ』、『十戒』、『ベン・ハー』などのアメリカ版の新作があるし、リチャード・フライシャーの『バラバ』、『外衣』、『大いなる漁師』などもある。
ここまで跡を追ってきた慌ただしいパノラマのなかでは、絢爛さ、物量と手段の豊かさ、浪費とたいていはシチュエーションの皮相さ、それに〈福音書〉の内奥の精神の解釈が全く成ってないことばかり目につくのだが、そんななかにも、ある意味で、二つ例外を挙げることが出来る。その一つはプロ・チヴィターテ・クリスティアーナのために、ヴィンチェンツォ・ルッチ・キアリッシが監督したドキュメンタリーフィルム『贖罪-イエスの生涯』で、このテーマに関してイタリア絵画の傑作を集めてコメントを付したもので、生き生きした芸術的感性をこめて映画化されている(コメントはただ福音書の言葉だけである)。もう一つはドライアーの『オルデット』(一九五五年)である。これはキリストに、その教えに、その〈受難〉に想をえて映画化されたこれまでのフィルムのなかで、言及は直接的ではなくてキリストの姿の映るシーンはないにしても、疑いもなく最高の例である。おまけに意味深長だ。宗教的なもの、キリスト論的なものといったらしばしば「出来事」と、たぶん、意図だけしかない多くの映画に使われた舞台美術と何百万、何十億リラという莫大な費用の大饗宴ののちだけに。この点に関しても、『オルデット』は再び容赦なく厳格な起原の簡素さ、ほんとうの内的な大いさの先触れである慎みの控えめな落着きへと赴く。〈聖地〉での実地調査の折りにパゾリーニの提出した観察からも分かるように、彼はこうした同じ見通しの下にその『マタイによる福音書』を映画化しようと意図していたのである。


*4 Paolo Toschi, Le origini del teatro italiano, Einaudi, Torino 1955.
*5 Ame'de'e Ayfre, Problemi estetici del cinema religioso, Bianco e Nero Editore, Roma 1953.

*6 Ame'de'e Ayfre, op. cit.




 


パゾリーニとの出合いから


イエス・キリストの姿に絶えず「とり憑かれていて」、キリストの人性に繋がる出来事がいかにしばしば彼の人生と彼の作品に痕をつけたか、ときにはまったく正統的どころではない仕方で、と、パゾリーニが力をこめて話そうとするのは偶然ではない。マルクス主義者の批評家がはっきりと書いている。「パゾリーニ的な福音の教えに適った民衆主義と無垢という信仰 の内部には、悲壮で心の奥底から同情をさそう契機のすぐ間近に、それとは矛盾しながらもそれと縄をなうかのようにして、絶望しきったアナーキーな叛逆の契機がだんだんに現れてくる」*1。最も鋭敏なカトリック信者の批評家はすかさずパゾリーニ的な絶望と曖昧さのなかにはキリスト教的な感動が含まれていると指摘した。つまり、G.B.カヴァッラーロの言葉を借りて言えば、「そういう感動はキリスト教徒の意識の深みから、また間近に、関心を抱かせずにはおかない」*2。彼の人間として作家としての教育は合理的であると同時に感情的な不安につねに結びつけられてきたし、しかもその上に環境が、ファシズムから戦争、家族のひっきりなしの引越、家庭内の不和、ローマに移転してからの「焦げついた」歳月、と、気儘に影響を及ぼしてきたのである。

原注*1 Gian Carlo Ferretti, Letteratura e ideologia - Bassani, Casola, Pasolini, Editori Riuniti, Roma 1964.
*2 Da 《Accatone a 《La religione del mio tempo》, in Cineforum n.10, anno I, dicembre 1961.


「叙事詩的=宗教的」世界

レオナルド・フィオラヴァンティの運営する映画実験センターで行われた一九六四年三月の「対談」*3は、この映画監督の個性とその作品のモチーフを知るうえで重要な充実したものであったが、そのなかで彼はとりわけこう述べている。「ぼくの世界の見方はいつも、その根底において、叙事詩的=宗教的な型のものである。それゆえ憐れな人物においてもそしてことに憐れな人物において、歴史的意識、いまこの場合はブルジョア意識、の埒外におかれた人物において、こうした叙事詩的=宗教的要素は極めて重要な役割を演ずる。貧苦はいつも、その内奥の特徴ゆえに、叙事詩的だし、それに憐れな、貧苦の人、ルンペン・プロレタリアの心理のなかで働く諸要素は、いつも何らかの仕方で混じりけがない、なぜなら意識が欠けているからだし、それゆえに本質的だから。貧しい人びと、ルンペン・プロレタリアたちの世界のぼくのこうした見方は、思うに、音楽によってばかりではなくて、ぼくのフィルムの文体そのものによっても結果として生じてくる。」
確かに、いまはここで、ひとりの作家であり映画監督の批評的小伝をやり直している場合ではない。彼についてなら広汎な分析のテキストやページがすでに出版されているのだから。論戦や色彩が、日刊紙の報道までも、公正な掘り下げた検討をしばしば妨げているにしても。パゾリーニに関しては、先験的判断がしばしばそれこそ日々新たに下されており、反感にせよ好感にせよ、先入観ばかりが、すでにそれ自体苦しみなしとはしない人物像のうえに哮り狂うのだった。なおまた、パゾリーニの過激主義、しばしば逆説、不穏当な言葉、驚くべき帰結へと持ってゆく表現形式に富んだ映像への美的感覚が、「呪われた詩人」としての名声を、確かに軽減するどころか、掻き立てるのに寄与したのだった。その名声は、彼という人間、作家、評論家、批評家、映画監督、極めて個性的で不世出の個人であると同時にひとつの世代全体の代表者である彼に浴びせかけられたのだった。一九四〇年代に大人になった世代──戸籍上の必然から、しかしまた知的準備のためにも──共通の経験、公的レベルでは破壊、私的レベルでは焦慮と不安定、そのなかで身をもって贖った者もいるが、また同時に現代の最も活気と切望に満ちた雰囲気にどっぷりと浸かった世代でもある。その文化的特徴は(イタリアにおいては映画、文学、絵画、詩が証言しているように)実際、知らない こと、知ろうとしないこと、決めないこと、どんな出発にも、どんなゴールにも、どんな内的掘削にも、どんな疑いにも、扉を開けておくことである。しかるに自伝的傾向は根本的な文体上の鍵の一つであることを確かめている。


*3 Pubblicato in Bianco e Nero, n. 6, giugno 1964.



映画への源

「ぼくがおのれの自伝を知るほどには内側から完全にそれを知らない人たちにとっては『アッカットーネ』(乞食)がぼくの最初の映画作品に見える」と、なおもパゾリーニが打ち明ける。「ぼくが出し抜けに『アッカットーネ』みたいなフィルムを撮ったとしたら驚くべきことかもしれないが、実際にはぼくがきみたち生徒と同じ年齢でボローニャで勉強していたころには、映画をとても愛していたし、とうにまさしくここ〈実験センター〉へ来る心づもりだったんだよ。ところが戦争のほうがやって来てしまって、ぼくはそれを諦めねばならなかった。ぼくの映画への情熱は最も重要な文化的=自伝的形成要素の一つなんだ。だから、ぼくは一生かけて結局、映画のことを思っている。実際、一九五〇年代にある雑誌に発表した何篇かの中編小説なんかは、たぶんきみたちは読んでないかもしれないけれど、まもなく再出版するからね──思い出すと、とりわけ『テスタッチョの生のエチュード』と題した一篇なんかは、あれは一九五〇年に書き上げたのだから、『アッカットーネ』よりも十年ほども前のことなのだよ──そうした中編小説には映画のシナリオに近い要素があるね。実際、ぼくは移動撮影とか、パン撮影とか述べているよ。それに『はぐれ少年たち』だって、五一年に書き上げて、出たのは五五年だったけれども、数多くのシーンが、たとえば何匹もの犬たちと一緒に少年たちがアニエーネ川で水浴びをするシーンなんかは、ぼくの友だちも気づいて言ってくれたけれど、あれは視覚的場景であって、表徴的には映画的なのだ。(……)この話はきみたちに映画監督としてのぼくの物語の外的要素を伝えるためにしたわけだ。内的要素に関してはとなると、言説はもっと難しくなる。ぼくは職業的知識は何もなしに映画に到着した。だから、いまだにぼくのチーフカメラマンがフォト=フル〔暈し、ふわっとした、軟調写真〕のことをぼくに話しても、フォト=フルがいったい何なのかぼくにはよく分からない。このようにしてなおも際限なくほかの専門的要素がぼくから滑り落ちてしまう、ぼくの知の有り様では捉えがたいのだ。(……)それゆえ、ぼくが実際に『アッカットーネ』に到着したときには、内奥にはどっさりと準備があったし、映画への情熱に漲っていたし、映画的映像を理想的に感じとる仕方にも不足はなかった、けれども専門技術的にはまったくの準備不足だったんだよ。しかし、それはぼくの事物の見方で埋め合わせがついた。つまり、ぼくはフィルムのさまざまなシーンを実にはっきりと頭のなかに持っていたから、それらを映画化するのに専門的要素は必要なかった、ピニェートの剥がれ落ちた低い壁を映し出すようにカメラを回すのに、ぼくは“パン撮影”が“パン撮影”と言うのだと知る必要はなかった。」*4

*4 Bianco e Nero cit.



前作まで

さて今回もまた、つまり『福音書』ゆえに、パゾリーニに関しては、論争と先験的判断が罷りとおる。
パゾリーニはたいていは言わせておいたが、だからといって推断や誇張の数々が──いつものように──深いところで彼を打ち、おのれ自身に閉じ籠もらせなかったわけではない。それに色調が──たぶん感謝の、確かに本質的でない色調が重なる。なかには想像上の「回心」への仄めかしもあれば、〈プロ・チヴィターテ・クリスティアーナの客〉が二年前のとある晩泊まって「鄙びたナイトテーブル」のうえに聖マタイによる〈福音書〉を見出したかも知れぬアッシージの「修道院」への仄めかしもあった。〈プロ・チヴィターテ〉のどの部屋も実は風通しよく、開放的で、調度も整っていてまさしく「客たち」(ロッシ師の福音書的概念によればほんとうの「持主たち」)の意のままに役に立つようになっているのに、そしてどの寝室にもいつも何かしら宗教本と、〈福音書〉が置かれているのに、そうではないかのように。
パゾリーニの霊感のモチーフのいくつかを理解するために、アッシージを知る必要がある、小さいが実に深みのある「千二百年代」の聖ダミアーノ修道院を知る必要があると、ある意味で、言えるかもしれない。けれどもまた同様に確かなことは、前作までのいくつかの作品は、環境や詩においてばかりではなく、『アッカットーネ』や『マンマ・ローマ』という映画においても、非常に明らかだということだ。*5
精神的な──たぶんパゾリーニなら美的な、とむしろ言うかもしれない──前作までの作品と、文体論的な前作までの作品。「書くということと、フィルムを“撮る”ということとのあいだには、」とパゾリーニが『アッカットーネ』に関して断言する、「新たな表現上の必要はさして緊急に感じたとは思わない」。そしてまた、「撮影カメラを前にして、“撮り”はじめたとき、それに、ぼくは書くことと大した違いは感じなかった。この断言に、異議を唱える者もいれば、言葉を濁す者もいた。なぜなら今度もまたパゾリーニは極端な言葉に訴えるのを躊躇わなかったのだから。『リコッタ』(オムニバス映画『ロゴパグ』Rogopag - Laviamoci il cervello! 中の一篇)に関しては、はっきりと、疑いはない。この物語は、『福音書』の準備の最中にはすでに着想されて映画化されており、そこには曖昧な言葉や間接話法なしに宗教がしかとある。論戦は「ファリサイ人たち」、慈悲深い虚偽に向けられており、本物の象徴には向けられていない(三百代言には註記しておく、いまやローマ控訴院による完全な書式の無罪判決が一九六四年五月六日に下されている)。ストゥラッチ〔襤褸、貧乏人〕という人物は他人のためにわが身を犠牲にする一種の新たなキリストである。「哀れなストゥラッチは、」と映画監督が、オーソン・ウェルズが言う、「くたばる。彼が生きていたのだとぼくらに思い出させる術は彼にはほかになかったのだ。」
そして犠牲は完全だ。しかも、キリストの犠牲の有効性を、パゾリーニにとっては現実性を、強調する。
『怒り』が一種の純真でしばしば雲を掴むような幕間劇だとしたら、最後に、『愛の集会』は観衆にはまだ未公開であるが、モラーヴィアとムサッティの協力でパゾリーニによって映画化された、ときに短くときには長い、ときに好感をときには反感を覚えるがつねに生き生きとした質問や対談の調査=映画で、イタリアでは、公然とは 常にない問題、だからといって重要でなくはない性の問題に、さまざまな角度から取り組んでいる。

*5「実際、『アッカットーネ』や『マンマ・ローマ』に存在するいくつかの要素、それは現実から直の逸話的刺激の不足であり、ぼくがおのれのフィルムを撮る撮り方であり、ショットやシークエンスや作品全体をぼくが思いつく、その着想の仕方であって、それは閉じられた作品であって、開かれた作品ではない、それは叙事詩的な全体であって、現実の逸話や叙情的な刺激からなる全体ではない。こうしたこと一切が『アッカットーネ』や『マンマ・ローマ』をネオリアリズムの範囲やネオリアリズムの領域にもはや属さなくさせている。他の点に関してはぼくには答えようがない。たぶん一年か、それとも二年か前だったら、たいへん正確に答えられたことだろう。今の今はこれらのぼくの作品がいったい何を目指しているのか、ぼくには言えそうもない。なぜなら、ぼくのイデオロギー的な全世界がこの二年間というものいささか危機にあるので、どの考えももはや二年前ほどには明らかでないから。ぼくの作品はあるがままにあり、今は醒めた批判的な眼でぼくは眺められそうなものだが、今のところはこれらの作品が現実の作品として何でありたいのか、定義できるとはぼくには思えない」(Bianco e Nero cit.).


国民=民衆路線

それゆえ、これらの主題および今日の映画に特有の重荷について質問されたパゾリーニは難なくこう明らかにする。『マタイによる福音書』もまた「ぼくの全歴史を縦断する一本の鉱脈の一地点だ、あいだにぼくの作品もあればぼくの人生もある。それに内側の視点からはまったく新しいのは、ぼくのほかの宗教的な作品はまったく私的で文体論的には卓越して、いわば“デカダンス”であったのに対して、こちらでは宗教的問題は私的問題ではなくて、他人の信仰、神話、神話学のなかに客観化されていることだ」。この過程は、パゾリーニによればこの裏返しは、彼の文学において検証されたものと同じである。それは一九四二年のやや卓越したやや貴重な内面派的傾向が、小説においては「ローマ方言の話し手たち」による客観化を被っていることだ。「こうして、ぼくのものとしてあった宗教問題が神話学のなかに、それに他人の宗教のなかに裏返しにされながら、おのれとともに一連の表現要素、新しい価値、または再び論争のなかに置かれる価値を引きずってゆく」。マルクス主義ばかりでなくむしろそれ以上にグラムシと、批評の傾向と文学の傾向の真の更新を決定したアクセントにおいてグラムシによって始められた文化とに、パゾリーニがいかにつねに立ち返ったかは、周知のことだ。「いまや、」と彼が言う、「この映画は、グラムシの語った“国民=民衆”路線のなかに、ほんとうにあることが出来る。そこには風俗、音楽、風景のなかに洗練されたものがあるし、国民=民衆的な大いなる詩的霊感とともに、いわゆる“卓越した”、そしてたぶん語のありふれた意味で“デカダンス的な”ものがある。それは一方では寓話的な、他方ではイデオロギー的な根底のある物語であり、歴史的信頼性、言語学的信頼性、再構築、その当時のヘブライ的な国民世界を、切に求めない物語である。」実際には、パゾリーニのやり方は、「再構築」どころか、むしろほんとうは、「置き換え」であり、二千年前のヘブライ的世界を、有史前の顕著な特徴をもつ、工業以前の、羊飼いの、古めかしい暮しの、南イタリアの世界に置き換えたのである。*6

*6そしてCSC〔映画実験センター〕における「対談」のなかで、パゾリーニはさらに言う。「それにぼくがやろうとしていた『聖マタイ』は、『アッカットーネ』や『マンマ・ローマ』や『リコッタ』のなかにすでにあったものの、別の水準へのささやかな称揚なのだ。(……)そのことを思い返してみて、分かったのだが、ある生徒が言及したことには深い理由があったのだ、つまり『アッカットーネ』に霊感を与えた非合法の要素からの、宗教的霊感のあるマルクス主義者への解放なのだ、つまり『アッカットーネ』のなかにあってまさしく別の霊感となった絶望からの解放なのだ。ぼくの考えでは、『聖マタイ』は、人間と、人間の人類学的に人間的、古典的、宗教的要素の破壊である未来に向けて愚かにも投げ出されたブルジョアたちへの、烈しい呼びかけであらねばならない。(……)ぼくはひとつの科白もつけ加えなかったし、ひとつの科白も削らなかった。ただひたすら『聖マタイ』にあるがままの物語の秩序を追うだけだが、〈福音書〉のテキスト自体にまるで魔法みたいにある叙事詩性と激しさの叙述上のカットにいくつも出くわす。そしてそれゆえにこの映画は文体論的にかなり不思議なものとなる。実際、無声映画の大作みたいなのだ──長いあいだ登場人物は喋らずに、無声映画でしたみたいに仕草と表情だけをとおして言うことを演じねばならない──かと思えば、二十分間も連続してキリストが語りつづけるときが続く」(Bianco e Nero cit.).


「ヘロデ」たち

パゾリーニがいかにつねに逆説的な極端な形でおのれを表現するかを、これまでも強調はしてきたのだが、今度もまさにそうした場合のひとつである。とはいえ、現実と具体性への言及は同じくらいに正確だ。「金持と権力者たちの世界を、」と彼がつけ加える、「大土地所有者と“ヘロデ”たちの世界を、ぼくは南イタリアの有力者どもの世界と、その中世からの本拠地とスワビア王家やノルマン人のプーリア地方の城という城と、置き換えた。」「そしてこれは、」とパゾリーニが明確にする、「この映画の最も騒々しくかつ最も目立つ外観である。ぼくらの経験のなかにはいかに古い時代の、過去のものがあるかを伝えるために、何か直ぐそれと分かるものを、ぼくはいつも考えてきた。」この点に関して、ことに興味深いことは、『アッカットーネ』に関してすでに表明された「スクリットゥーラ」〔書くこと〕の理論の──もちろん──確認だ。「ここには同じものがあった、確かに、かつてないほどの、直に芸術的散文であるほどの“スクリットゥーラ”があった」。けれどもシナリオとの関係、予想されたものとの関係は、このことに関して実現されたのだろうか?シナリオにおいては「暗示」が、強調的で修辞的な要素とパゾリーニの呼ぶものが、優位を占めているが、それは、当初は、このフィルムがビーニとばかりではなくて、〈聖地〉において映画化されるような、線引きの上で、金のかかる映画を脚色できそうなプロデューサーとも組んで映画化される筈だったためでもないかと思われる。その後、状況は変わった。「『アッカットーネ』みたいな映画のあとでは、“宗教的厳かさ”の要素とともにぼくは『アッカットーネ』の道を固執してみて、」とパゾリーニが言う、「気がついたのだが、聖なる文体素を使っていてはぼくはこのフィルムも物語ることが出来なかったし、まさしく修辞的なフィルムを撮らないためにぼくは『アッカットーネ』の路線と矛盾せざるをえなかった。」パゾリーニは実践的、技術的な例まで挙げて、説明する。
『アッカットーネ』の撮影レンズがみな七〇-七五ミリ、つまりはっきりと正確に映し出す大型レンズだったのに対して、こちらでは彼はいまやクロースアップのためには二五ミリはおろか、一八ミリをも使ったし、かと思えば、あの種の「既成の聖性」を破壊して、まさに予想したとおりにフィルムの「厳格な不動性」を得るために、競走競技用の、望遠レンズに近い三〇〇ミリをも使用した。そしてその結果はどうだったのだろう、せめて映画監督の初印象においては? 「ぼくが感じるが、実際には自由極まりなく動き回っている、映像の目の前の存在感、ロマネスク性を内部に保っている主題のつねにマグマみたいな、ときに渾沌とした塊。」とりわけ強調されたのは、このような仕方で、マタイの「シナリオ」が価値あらしめられて、聖マタイの映像たちと話し方への忠実性が最大限強化されたことである。マタイはひとつの主題から他の主題へと躊躇いなく曖昧な言葉なしに移る。「だからぼくは、」とパゾリーニが明確にする、「アリストテレスの三一致の、語の厳密に論理的な視点から、マタイのテキストにあると思うもの、その著者としての偶発性によりも、実質的な視点から──だといいのだが──その映像たちの豊かさにより忠実に留まったのである」。


音楽と衣裳

この映画に関して、たぶん燃えあがるかもしれない教養ある洗練された論戦のひとつは、美術ばかりではなくて、衣裳に関する論戦だろう。音楽はなおもバッハだろうが、黒人霊歌やカンツォーネやさまざまな国のリズムにも欠けはしないことだろう。美術に関しては、パゾリーニが再構築よりもいかに現に在るものの相似性に力を注いだか、についてすでに触れた。おまけに、そのようにしてみると、彼は空想的だがある解釈、ある自立しかつ更新された暮しに挿入されたひとつの現実、ひとつの地理を再構築してしまった。同様にか、それとも似たようにか、千四百年代の絵画に、それも専らピエーロ・デッラ・フランチェースカの絵に想をえて、彼は衣裳にも立ち向かった。(それにパゾリーニはかつて美術史を専攻する学生であったのだし、ピエーロの最も正確な研究家の一人、ロベルト・ロンギが彼の師であった)。こうして、千四百年代の衣裳は、ノルマン人の城と調和して、一方では美的解釈の同じ恣意的秩序のなかに収まって、また今日的にした再発明の同じ味わいのなかにも収まったのである。なぜなら、明らかに──それに美術もなのだが──二千年前に起きたイエス・キリストの物語をほかの時代に嵌め込んで、千年前にも起こりえたし、また今日でも起こりうる物語とすることは、付加する重みを強化すること、その同時代的な重みを強調することを意味するのだから。「権力者たち」の典型の類似、当時の遠い昔のファリサイ人たちと、もっと近い時代のファリサイ人たちと、今日のファリサイ人たちとの類似は、ピエーロの籠型の大きな帽子の数々と同じ平面で、千四百年代風だが空想的でもあり、時空を超えて、現実と感興の赴くままの自由なゲームのなかで、言及は理想的にだが観察はリアリスティックに、ぎりぎりまで戯れられたの-である。


出演者たち

周知のように、パゾリーニは、信仰と神性のあいだにうっすらと微妙に分ける線を引きながら、映画のなかでは「その」キリストとキリストの神性を、彼に従った(そして彼に従っている)人びとと群衆の眼をとおして表現した。そしてこうした着想の秩序そのもののなかに、イエス・キリストという登場人物を演じうる俳優のまったく困難な選択もある。それは、理想的かつ美的必要も、またいわゆる象徴的かつ実践的必要も強く感じさせた選択である。「ルネッサンス期の図像にあるような、優しい眼差しの、柔かな顔だちのキリストを、ぼくは望まなかった、」とパゾリーニがルイージ・カルドーネに打ち明ける(La Settimana Incom Illustrata, 24 maggio 1964)。「中世の画家たちのキリストの顔みたいに、力や決意をも顕わす顔だちのキリストを、ぼくは欲しかった。要するに、説教が行われる乾いた、石だらけの土地に相応しい顔だ。」またも選択であり、美的に純粋な特徴の割り出しだ。どんな類の疑いや恐れも被写界に残さないような、つまりそこでは時代や、史的観察や適切さとは関わりなく、言及の核心に触れるような割り振りが必要なのだ。「初めのころは、」とカルドーネ自身が述べている、「パゾリーニは詩人の起用を考えていた。誰かはよく知らなかったのに、彼は文学者を採用したがった(……)、アメリカの詩人や、スペインの詩人や、ロシアの若い詩人に当たっていたっけ。だが、交渉はうまく纏まらなかった。そこでパゾリーニはフランクフルトのブレヒト劇で見かけた演劇人、無名のドイツ人俳優を使う気になった。契約書も整ったときになって、パゾリーニのもとに、バルセロナのスペイン人学生が訪れてきた。作家のスペインで訳された唯一の書物『はぐれ少年たち』に関する彼の論文について語り合いにきたのだ。“エンリケ・イラツォキが書斎に入ってくるのを見るやいなや、ぼくはおのれのキリストをついに見つけたと確信した。彼は、エル・グレコの描いたキリストたちと同じ、美しく凛々しい、人間的で超然としている顔だちをしていた。ある種の表情は厳しく、いかついくらいだった。”」


俳優の問題は明らかに、パゾリーニのように、非=俳優たち、職業的俳優たち、そしてまさに、文学者たちと一緒に仕事をして、この分野では「自由」であった前作までの経験のある映画監督にとっても、こうした類の映画においては、根本的問題である。しかし、即座の選択がひとつ、否定の意味でではあっても、初めから成されていた。つまり、誰であれ知られた顔は、誰であれ観衆の前で演じたことがあり、それゆえに観衆の気を散らしかねない顔は、使わないということである。「俳優とでは、」とパゾリーニが言う、「真実が出る、撮影レンズは真実の血清だ、あるがままが出る、その胸底の誠実さと真実が出る。」だから、割り引かれ、マイナスの一切の事情にもかかわらず、「俳優」であった者もいれば、また完全できれいすぎて演じれないものもいる。*7 風景の場合と同じように、もしも映画監督が彼が実際にしているプロセスを続けなければ、結果は同じように偽りと不誠実に終わってしまったかもしれない。そして真実と空想力、現実と可能性のこういう要素の秤は、まさしく撮影レンズによって、乾いた技術手段によって、与えられた。つまり、撮影レンズにパゾリーニの「スクリットゥーラ」が全幅の信頼をもって託されたのである。「三博士のひとりの顔として、とある顔がうまくゆくように見えた。ところが、撮影カメラで撮ったテストフィルムを見ると、そいつは怪物そのものなんだ」。もっと一般的には、〈福音書〉に典型的な三つの場合(民衆の賤しい人びと、宗教研究の愛好家と知識人たち、指導階級)が、それぞれの階級の今日の代表者たちによって、充分に忠実に、映画のなかに表現されている。最大の困難は最後のカテゴリーのメンバーたちに関して生じた。なぜなら「誰もファリサイ人を演じたがらなかったから」。そしていきなり廃疾者になったかのように感じる者もいれば、そのような類の役を演じる義務を、かつまたそのような提案が当の自分に降りかかった事実自体を、呪いのように感じる者さえいた。

*7それに話し言葉の問題は、言語学的な関心からパゾリーニとしてはほかの監督よりもさらに感じるところだ。「きみたちはどんな言葉を学んだの? きみたちは映画俳優だからたぶんあまりこの問題を感じないかもしれないが、演劇俳優だったらずっと感じていたはずだ。だが、きみたち、映画の職業的俳優のなかにも、この無、この空隙はある。だから、きみたちは存在しない言葉を、つまり現実には存在しないある語彙、ある統辞法を信頼して、ある仕方で、ある言葉を言うのに、教えられたとおりのアクセントを付けて、学びたまえ」(Bianco e Nero cit.).


「仲間うち」のひとり

ダビングの声優たちから。すでに述べた理由から、声を聴いただけでそれと分かる、すでに在る声、それに似た声、あまりに規格化された、機械的な声などは、明らかに除外すべきだ。『リコッタ』のオーソン・ウェルズのイタリア語の声のためには、パゾリーニはジョルジョ・バッサーニに援助を求めた。バッサーニは異なる文学の潮流を代表する作家だが、彼と並んで現代文学の最も活発かつ最も苦悩する主役たちのひとりである。現代性と極めて人間的な理解力に誠実さ、それがバッサーニであり、警世家の彼は、「エミーリア人」で、頭でっかちの態度とは無縁の人だが、思考や精神状態や問題提起の内的実体には執着して、パゾリーニのそれとまったく同様の文体探究に関心を抱く。バッサーニとパゾリーニは十五年、二十年来の友だちで、互いに評価しあっている。「それに彼は実にでかした俳優だ」と、パゾリーニが言う。「ぼくの詩は彼が読むとみな完璧だ。彼のイタリア語の発音は完璧なうえに真実で、自然で、教科書読みや鼻声は微塵もないね。」パゾリーニとしては『福音書』でも何かバッサーニに一働きしてもらいたいところなのだ。この点に関しては彼は心配することもないだろう、たとえたくさんの問題がいまだに彼を苦しめているにしても。
「ひとつひとつのショットごとにリスクは恐ろしいほどだった」これが今日パゾリーニが確信しているたったひとつのことだ(彼とわれわれが話しているのはまだフィルムを撮りおえてないときのことだ)。
彼がこれまでに撮ったフィルム、編集したフィルムについて、彼が満足しているかどうか尋ねるのも場違いなことだろう。編集の仕事は撮影とほとんど平行して進められて、現時点では、すでに在る、すでに具体的にあって終了しているフィルムの四分の三のところに、われわれはいる。しかし、三時間続くフィルムでは多くの要素が変わらざるをえないし、選び抜かれねばならない。どんな著者でも途方に暮れるところなのだが、ましてやパゾリーニのように今日この日までこんな量のフィルムと渡り合ったことのない著者となると、デカルト的な疑問のなかで、彼の詩人としての生命力、著者としての確信の、その理由のひとつに、図らずもわれわれは出会うこととなった。「ぼくの選択のリスクは、」とパゾリーニが明確にする、「つねに“在る”と“無い”のあいだにあって、良いものとあまり良くないもののあいだではなくて、信頼に足る有効な結果と、何かしら見るなりぞっとしてまずぼくが拒否してしまうようなもの、とのあいだにあった。そして初めてぼくはおのれのうちに、仕事ゆえに、心理学上の不安を感じて、枯渇状態を感じて、この二者択一がぼくを無のなかに投げ込んだのだよ。」

[G.G.]



 




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